学歴社会の是非を問う

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名前:たまごっち
101年03月06日15時26分
竜飛さんへ

掲示板は新しい方に移行しているので、続きはそちらをご覧下さい。
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とはいえ、こちらに来たリアクションなのでこちらに書いておきます。

>かなり昔のことを蒸し返すようですが、卵っちさんは、社会主義や共産主義を完全に否定してるのでしょうか?

私自身は社会主義に傾倒するつもりはありません。主義主張は認めますけど。
しかし、社会主義は、私のようなリベラリストを認めません。
リベラリズム(自由を重要な価値と認める主義主張)は、リベラリズムと対立しない限りでは、社会主義を許容していますが、
社会主義はリベラリズムを許容していません。だから私は社会主義に傾倒しないわけです。

リベラリズムと対立しない限りにおいて、とは、次のように説明できます。
人間の周りにはたくさんのウイルスがうようよしていて、いつも病気の危険にさらされています。また、生まれてから死ぬまでに全く癌にならない人はほとんどおらず、単に
病気として発症しないだけである、ということも良く知られています。
つまり、人間は、特別の不都合が生じない限りは、ウイルスがいようが、体内に癌細胞があろうが、それらと共存関係にあります。
しかしながら、風邪を引いて高熱が出たり、癌が発症してくると、薬を飲んだり、時には手術を受けて病気を退治します。

要するに、社会主義がリベラリズムを否定するのであれば、その限りでリベラリズムは社会主義を否定します。
リベラリズムは社会主義を許容できますが、社会主義はリベラリズムを許容できません。
この懐の深さが、私がリベラリズムを支持する理由です。日本に、日本共産党があっても、
中国に、リベラリズムを基調とする政党は存在していません。理解してもらえましたか?

>僕、個人としては、社会主義や共産主義もいいと思いますよ。ただ、法律と同じで理想的にその理念が
行使されることがないっていうところが問題なだけですよ。

社会主義の理念とは何か、ということがまず第一に問題になりますが、それはあえて置いておきましょう。
それでも、社会主義には傾倒できません。リベラリズムを基調とする資本主義社会では、
資源の配分(単純に言えば、誰がお金持ちになるか、誰が女にもてるか、誰が人気者になるか)を、
市場(単純に言えば、人気投票)が決めています。
社会主義は、資源の配分を国家が決めています。国家といっても、実体は一部の高級官僚が
手前勝手に決めているわけです。
現在の資本主義には多くの問題がありますが、それでも、資源の配分を勝手に決められる世の中よりは
せめて1票を投じる権利がある、今の世の中の方がいいと思っています。

それでは


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名前:龍飛
101年01月31日04時32分
学歴社会とはあまり関係ありませんが書き込みさせてください。
卵さん達の熱い戦い?に興味を持ったので一言いいたくなりました。
僕は、アホ私大一年(一年が終わったとこ)からかもしれませんが皆さんの言っていることがわかりにくいので読むのが大変でした。もっと分かり易くしていただければなーと勝手に思いました。そういう意味で、破免検見さんは、バカの僕でも、難しい内容のカキコを非常に分かり易く書いてありましたので内容まで正論に思えました。多分、皆さん誰もがそれぞれに正しいことを言っているときに分かり易さというのは珠玉の価値があると思えました。(そんなこといって自分も読みにくいけど)

PS
卵っちさんへ
かなり昔のことを蒸し返すようですが、卵っちさんは、社会主義や共産主義を完全に否定してるのでしょうか?
別にそのことはいいと思うのですが、「共産党員のあなたには」や「**くんと同様の思想的背景を持っているのかどうか不明ですが」というのは少し余計なのでは?「沖縄の人はみんな赤だ」とか言ってしまった政治家を思い出してしまいます。気分を害したらすいません。
僕、個人としては、社会主義や共産主義もいいと思いますよ。ただ、法律と同じで理想的にその
理念が行使されることがないっていうところが問題なだけですよ。
ちなみに、法律と同じで云々って部分あの人の言葉を使わせてもらったんですが分かりましたでしょうか?
白い奴さん、赤い彗星さん、クワトロ大尉さん?
それでは。


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名前:白いヤツ
100年11月14日18時00分
今朝ニュースでちょっと小耳にはさんだんだけど、
なにやら、
文部省が出している教育に関する刊行物らしいのですが、
内容は、アニメ、マンガを日本を代表する文化としての評価をしているらいしいのです。
私もマンガが大好きで、600冊は持っていて、
前前からマンガは文化だと偉そうに周りの人に言ってきたけど、
このことは、嬉しい反面喜べない感情があります。
草の根レベルで、漫画図書館やマンガについての授業が大学で行われることには、
歓迎ですが、教育を指導する文部省が率先して評価することはあまり乗り気ではありません。
私がマンガに対してしてきた評価は、
マンガは映画よりも長編の内容を可能にし、
小説よりも視覚的で、
テレビよりも時間の流れに寛容な独自のメディアとしての存在を意識できるところに有ると
いうことでした。
しかし、マンガを教育を通して観ると多少の疑義があります。
能動的なメディアの中で、唯一視覚的に情報を伝えるマンガは、
他のメディアに比べると強烈度が異なると思うのです。
しかも、その対象の層は老若男女を問わなくなってきているといえど、
依然少年少女達にもわかり易い内容になっています。
分かり易い為に犠牲になっているもの、個人的な意見の象徴であることを
どれほど意識できる年代なのでしょうか?
新聞でさえ、細かい正確な表現で言えば、
正しくないものをよく目にします。
<自分の専門に関わる事柄に対してのみ思うことなのですが、、
まぁ、理系の専門分野の話を分かりやすく紹介しようとすると
どうしても、そうなってしまうのでしょうが>
教科書がそうではないとも思えませんが、
初期教育においては、それが正しいかどうかを判断することは困難です。
しかも、それが分かり易ければ分かり易いほど、
現実感が伴うものかもしれない。
だからといって、教育に良い漫画だけが文化とするのも不思議なものです。
教育にいい漫画だけが描かれる将来にはならないと思いますが、
描く内容に自由度が低くなることは懸念していますが、、
大学生の質が問われている昨今で、
マンガが文化としていったいどうなるのでしょか?
という不安があります。

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名前:ヨシ
100年11月12日17時15分
これからの時代学歴よりも学校歴の方が重視されそう。今現在、ほとんどの人が大卒になってるし、大学が増えてるから、企業側としても偏差値40の大卒より60の方がいいに決まってる。それに、今の大学はレジャーランド化してるからなおのこと。某大手予備校の情報誌に「企業に聞いた採用してよかったランキング」があったけど、やっぱり有名大学が上位を占めてた。

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名前:白いヤツ
100年10月02日15時18分
てすと

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名前:破免検見
100年09月09日03時01分
てすと


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名前:ご意見お寄せください
100年07月27日21時00分
たまごっちです。

忙しいけどがんばります。全ての私が考える論点に反論することもできますが、
みなさんの意見も聞きたいので、主要な以下の点にとどめます。

> 仰る通りです。

この部分、もう解決しましたね。剣玉社会が合理的でないのは当たり前なので
説明するまでもないでしょう。どうも丁寧な説明をありがとうございました。

でも、学歴(=メタな思考能力)と仕事の場合は合理的な場合も多いと思うのですが、
このあたりが本質的な対立だろうと思います。みなさん、どう思われますか?
たしかに、大学の法学部で同時履行の抗弁権、なんてことを学ばなくても
普通に生活したり商取引していれば、自然と分かることかもしれませんが、
そういうことがある部分については言えるとしても・・・・じゃあ、それでいいのかなあ。
本当にそうなのかなあ。

> 私の学歴社会を否とする理由の一つに、能力の同じ一流大卒と中卒がいた場合に一流大卒の学歴が無いから
> という理由で中卒が不利益を受けるのはおかしい(【100年06月02日07時34分】投稿参照)というものがあ
> ります

一流大学卒と能力が同じ中卒って、その処遇が社会問題化されなければならないほど
たくさんいるわけですか?私にはそうは思えません。特に以前書いたように、
めちゃくちゃ学習内容を減らした学校で育った現代の子供が大人になったときには、
もう、相当の差がついている気がします。仮に今までの学歴社会(学歴で処遇に差がつく社会)が
問題であったとしても、これからはむしろ、学歴社会を「推進すべき」です。
専門の技術職を考えた場合は当然としても、普通の事務職だったらパソコンがみんなやっちゃうから
資料を整理分析し、長期的な展望でものを考えていくという能力が絶対必要だし。
それには当然根気もいるし。

風来坊さんの言う、

> 私自身も同じ大学の出身者で似たような経歴の人間ばかりの組織で真に優秀な人間が育つかどうかという点については、
> 疑問をいだきます。

と、あと

> 純粋培養の彼らは挫折を知らずにきており、逆境には非常に弱くなっているのではないか?そ
> れは、わが国の指導者としてはまずいのではないか?という気はします。
> また、そのような傾向は、私の知るかぎりでは出てきているようです。

についてですが、大分認識に違いがありますので、この部分についても、
私や風来坊さんの意見を相対化するような意見をみなさんお寄せください。
(多数決で決めましょう、と言っているのではありませんのでご注意ください)

上の文章には、「造られた受験エリート」に対する批判めいたにおいが感じられますが、
私の認識は完全に逆です。塾講師としての見識からすると、自由な発想や想像力、表現力がなければ
難関には合格できません。特に学年が下って、難関私立中学の問題は
本当に難しいです。反対に言葉遣いは悪いですが、三流の場合は、
中学>高校>大学と進むにつれて、「パターンを覚える」ことで
合格できます。思考力は無視されています。

下の文章ですが、これについても認識が完全に逆です。塾で(どの様な動機によるのかは
知りませんし、問わないことにしているのですが)一流中学、高校、大学を目指している生徒ほど
何度も挫折しており、そのたびに私たち講師陣は叱咤激励し、彼ら彼女らは、その壁を乗り越えて
がんばっています。ですから、この夏もそうなのですが、相当の困難な状況に追い込まれても
彼ら彼女らは踏ん張って勉強していますし、合格後、「あのとき先生殺したろうと思った」と
笑顔ではなしてくれます。「なあなあ」で「やり過ごしている」子供たちは、ハードルができれば
迂回するだけです。

というわけで、たまご、風来坊、はめけんみ、の3人でぐるぐる回っていても
仕方ないので、誰かご意見お寄せください。
特に企業人事部の方お願いします。

おふたりへ
それにしても自衛隊のページすごいですねえ。

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名前:さすらいの風来坊
100年07月25日18時30分
 みなさん、ご無沙汰しております。
 さすらいの風来坊です。

 破面検見さん

 いつもいつも丁寧に反論いただきありがとうございます。私自身、得ることが非常に多かったと思っており、大変に感謝しております。今後ともよろしくお願いいたします。

>この様な場合と、様々な生活経験を持つ人が高級官僚になる場合とでは、ど
>ちらが高級官僚の質の維持に効果的だと思われますでしょうか。

 リーダー的立場というのは少しおこがましいような気がします。常に一担当者として吸収すべきは吸収すべく、自学自習したり先輩に聞いたりと、すごしているうちに自分はまだまだ新入社員のつもりなのにいつのまにか部下を与えられていたというだけで、むしろ、マネージャーとしては失格だなあ(^..^)。と、最近、反省を込めて思います。(みんな、スマン)
 ご期待に添った答えを私の能力で引き出すのは、非常に困難だと思います。しかし、いくつか思うところはあります。私自身も同じ大学の出身者で似たような経歴の人間ばかりの組織で真に優秀な人間が育つかどうかという点については、疑問をいだきます。従って、あなたが、たまご氏に対して述べられているように純粋培養の彼らは挫折を知らずにきており、逆境には非常に弱くなっているのではないか?それは、わが国の指導者としてはまずいのではないか?という気はします。また、そのような傾向は、私の知るかぎりでは出てきているようです。最近の官僚の方はこじんまりと、昔のよい子がそのまま大人になったように、まとまってしまって、面白みにもかけるし、能力も落ちてきたんではないか?という声も聞くのは事実だと思います。

 何か、よい方法を考えなければならないのでしょう。

 ところで、こういう提案をした場合どうでしょうか。
 最近、思うんですが、制度を変えようとすると、制度を変える側の立場にならなければならない、という事実に直面します。

 あなたは、すばらしい見識もお持ちだし、また、理想もお持ちです。ひとつ、どうでしょうか、制度を作る側を目指されるというのはどうでしょうか?

 別に茶化しているつもりはありません。もしその方面にも興味をお持ちでしたら是非がんばってください。

 と、ここまで書きましたが、実は、別のページにはまってしまいました。同時に二つのページに投稿するということは私の能力を遙に超越しております。ただ、定期的には覗いております。 できるかぎり失礼のないようにはいたしますが、もし投稿の間隔があいてしまった場合でも、ご容赦ください。

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名前:破免検見
100年07月25日01時50分
恥ずかしい誤字

すいません、↓、「一塩」じゃなく「一入」です(汗)。
登録まえに読み返したんだけど、こんな所を見落とすとは・・・(大汗)。
塩かけてどうすんだっつ〜〜の!!!(一人つっこみ)
「一入」に読み替えてくださいね(大恥)。(−−;ゞ

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名前:破免検見
100年07月25日01時01分
暑さも一塩になってまいりましたこの頃、皆さんはいかが御過ごしでしょうか。


たまごっち様>

大元の対立点は、もちろん『学歴社会について是か非か』ということでしたが、私の【100年06月17日
18時57分】の投稿以降は、『「学歴社会の是非」と「自己責任原則」は別の論点か否か』及び『自己
責任原則の中身』の二つの意見の対立点があり、前者について、私は「別の論点」、たまごっち様は
「同じ論点」という立場で議論を重ねてきたと理解しておりますがいかがでしょうか?

>「どんな制度がよいかの話」ということですが、それを問うためには、機会の平等が
>達成されている、自己責任原則が適用できる、という前提がなければならない、という
>話を以前しました。それで上の書き込みを見る限りでは、その部分については、もう了解があるようです。

ただ、私は【100年06月17日18時57分】の投稿では、『「学歴社会の是非」と「自己責任原則」は”全く”
別の論点』と述べており、この”全く”と書いたことにより誤解を生じさせてしまったのだとしたら、お詫
びしなければなりません。
たまごっち様が自己責任原則を、「制度の良し悪しを問う前提」と述べられている様に、自己責任原則は
制度の良し悪しを計る要素の一つであり、この意味で「学歴社会の是非」と「自己責任原則」の話は重なる
所があると思います。
しかし、私が【100年06月17日18時57分】の投稿で述べたかったことの本意は、制度の良し悪しを判断する
ための要素は多種多様であり、自己責任原則はその要素の一つ(重要な一つではあるでしょうが)でしかな
いため、他の要素全体を含めて良し悪しを述べるべき制度について、その一要素でしかない自己責任原則が
満たされているかどうかのみをもって良し悪しを述べるべきではなく、その意味において「学歴社会の是
非」と「自己責任原則」は別の論点である、ということでした。
もし、たまごっち様が「学歴社会の是非」と「自己責任原則」の話の重なる部分のみをもって『「学歴社会
の是非」と「自己責任原則」は同じ論点である』と述べられており、その後私と議論となったということで
あれば、それは私の文章の未熟さから生じた誤解でありお詫びしなければなりません。

>ですから、メタな能力が重視される世界があって、その能力を持たない者が
>何らかのハンディを負うのは、それもやむなし、とはめけんみさんは考えているんですよね。
>その上で、しかし、そのような世界に対して異議申し立てをすること自体は自由じゃないか、と
>こういっているわけですね。もし違ってたら、また教えてください。

仰る通りです。
ある能力が重視される世界があるとしたら、その能力を持たないものがハンディを負うのは当然で、逆に言
えば能力さえあればハンディを負う理由はないと思います。

>機会の平等が達成されていれば、自己責任原則を適用すればよい、というのが私の立場です。

いい例が(おそらく)浮かびました。極端な例ですが、分かり易いと思います(おそらく)。
「学歴社会」ならぬ「剣玉社会」というものを考えてみます。
学歴社会の学歴が、そっくりそのまま剣玉社会の剣玉の技術に当たると考えてください。
剣玉の技術が採用や昇進に大きな影響があり、剣玉の技術を磨く機会は平等に与えられている、そんな社会
です。

剣玉の技術を磨く機会は平等に与えられているので、技術を磨かずに未熟であったために採用されなかった
人がいたとしたら、それはその人の自己責任でしょう。
しかし、皆、剣玉の技術が仕事には関係無く、従って剣玉の技術で人を判断するような社会は良くないと思
うことでしょう。

ここにおいて、自己責任原則の話と制度の良し悪しの話は別なのです。
剣玉の技術を磨くことが可能にもかかわらず、技術を磨かなかったことは、例え「剣玉の技術が仕事には関
係無い」という理由があったとしても、それは自己責任なのです。何故ならば、剣玉社会というものの存在
を知っているのにも拘らず、技術を磨かなかったからです。
しかし、たとえ機会の平等が達成され、自己責任原則が当てはまるとしても、剣玉の技術で人を判断するよ
うな社会は不当ということになるでしょう。

私の学歴社会を否とする理由の一つに、能力の同じ一流大卒と中卒がいた場合に一流大卒の学歴が無いから
という理由で中卒が不利益を受けるのはおかしい(【100年06月02日07時34分】投稿参照)というものがあ
りますが、この場合でも、自らした一流大卒の学歴を選ばないという選択については自己責任原則の問題に
なるでしょうが(責任の幅で意見の相違があります)、今後もこのような制度を続けるかは別の論点である
と思います。


私は学歴社会を非とする立場ですので、学歴社会において自己責任原則が満たされていても、学歴において
人を判断することについての異議があります。しかし、たまごっち様は学歴社会を是としておられますので、
学歴社会において自己責任原則が満たされていればそれ以上論ずる所はない。そこで、『「学歴社会の是非」
と「自己責任原則」は別の論点か否か』をめぐって議論を進めてきたのだと思います。

>おくれてメタな世界に進もうとする人がハンディを背負わされることに対して
>異議申し立てをすることは自由だ、と言っているんですよね?
>それともハンディが課せられること自体がおかしいといっているんでしょうか。

将来的に課し続けていくことがおかしいハンディはあるが、そのハンディの存在を知っていてハンディを負
う結果となる選択をした場合はそのハンディを負うべきである(ハンディの幅で意見の相違があります)。
しかし、ハンディを負っている場合でも、異議申し立ては自由である、といったところです。

対立点の話とは別に、

>現在の子供たちの状況見る限り(私は長い間塾の講師をしています)、
>勉強して一流大学、一流企業へ、という価値観を生きている子供はまれです。
>私は1971年生まれですが、私の周りも、今ほどではないにしろ、
>一流企業に行けば幸せな未来が開けるという考えは、かなり怪しかったです。
>そして学歴に関して言えば、今の子供の教科内容は恐ろしいほど簡単です。
>困難なハードルなんてないのです。要はやるかやらないか、という
>レベルにまで落ちています。やれば誰だってあんなもんはできるわけですよ。
>そういう状況の中で、後からメタな能力が要求される世界に「転向」しようというときには
>それなりのハンディがあってもよいだろう、と書いていたのです。

一流大学、一流企業に行けば幸せな暮らしが送れるなどという考えは、私の周りではかなり希薄なものにな
っていました。しかし、その一方で一流大学を目指す態度には強固なものがありました。
一体、一流大学を目指した人達(私も含む)に、「選択」はあったのでしょうか。
「他の選択」をしないという「選択」でしょうか。周りに流されている部分も多いように感じます。
そして、恐ろしいほど簡単な内容の結果としての学歴が、採用や昇進に大きな影響を与えて良いものでしょう
か。能力があればよいような気がします。

>その選択を母親がしてしまった、そういうことです。意に添わないお受験や中学受験をして
>失敗すると、プライドだけが肥大して、やはり失敗があると他人や環境のせいにするか
>引っ込み思案な子供になるかが多いのは塾講師としての実感です。

>選択は自分で行わせなければだめです。そうやって自己操縦のすべを身につけなければ、
>自分を肯定的に受け止めることができません。

仰る通り、「選択は自分で行わせなければだめ」でしょう。
ですが、繰り返してしまいますが、大学を卒業するまでおそらく勉学上での失敗は無かったであろう一流大
卒者に、自主的な選択はあったのでしょうか。自主的な選択の機会を、学歴社会は少なくしているのではな
いでしょうか。もしそうなら、一流会社の経営層や高級官僚が「失敗があると他人や環境のせいに」してい
ないか、不安です。

>そこで、ある世界を選択するのも、「転向しよう」、と選択するのも
>自己責任原則を適用しなければ、他人に責任転嫁するひどい人間になってしまう。
>(すぐ、あいつが何とか、上司が何とか、世の中が、学校が、マスコミが・・・・うんざりです)

同感です。
マスコミは他人に責任転嫁することで飯を食ってる部分も多いですが、いち国民として、酷い対応、人間が
目に付くことが多いです(マスコミの裏方の技術者には知ってる人がいるんですけど、裏方は誠実に仕事を
している人が多いみたいですが)。あまり言い過ぎるとマスコミ板に書くべきことになってしまうので、
このへんで。


さすらいの風来坊様>

>つまり、官僚になろうとする人や一流企業を目指す人、はたまた私のように物事を主導的に進めて行く
>技術者になりたいと考える人はみんなが皆、一流大学をねらっているという仮定です。

一流会社の経営層や高級官僚を志望している人全員が、一流大学を狙っている訳ではない、また、遅れて
志望する人もいる、というのは、私が学歴社会に持つ疑問の一つでもありました。
また、学歴社会の話とは少し離れるかもしれませんが、例えば、高級官僚になろうとする人は皆、一流大
学を狙っているとしたら、高級官僚はみな一流大学出身者と言うことになると思います。この場合、高級
官僚は皆ある程度同じ生活経験を共有していることになりますが、悪く言えば似た生活経験の持ち主しか
高級官僚にはいないことになります。リーダー的立場にたっておられる技術者の方だと言うことなので、
ぜひお聞きしたいのですが、この様な場合と、様々な生活経験を持つ人が高級官僚になる場合とでは、ど
ちらが高級官僚の質の維持に効果的だと思われますでしょうか。

>私が何を危惧しているかというと、競争社会といいながらもその採点基準が極めて日本的であいまいな
>ままその制度を導入している場合を多く見聞きする点です。

仰るような問題点は確かにその通りだと思いますし、社会の発展を望むなら解消されなければならないこ
とです。私は前回「日本的な競争社会」と書きましたが、「日本的」という言葉は良くない意味で使われ
る場合があると言うことを、うっかり忘れていました。
私が前回使った「日本的な競争社会」という言葉はもちろん良い意味で、西欧キリスト教的個人主義が、
おそらく一神教が大きな勢力とならない限り根づかないであろう日本では、「和をもって尊しとなす。和
して同ぜず。」の価値観と調和の取れた競争社会を目指すべき、というつもりで使ったのですが、「和」
についてはあまり詳しい話は出来ず、またこの場の議題ともずれますのでこのへんで。

>最後にエリート教育について、ですが、議論の重要性について賛同いただきありがとうございます。今
>の我が国の現状を考えると非常に重要なテーマだと思っております。しかし、ここの論点とはだいぶ離
>れてしまいますし、議論が拡散する恐れが非常に強いのでもう少し的を絞って議論する必要があるよう
>に思いますが、いかがなものでしょうか。ご意見をいただければ幸いです。

「的を絞って」がどの程度の内容を意味するところなのかは計りかねますが、エリート教育には興味があ
るので、あまり詳しくはありませんが、出来る範囲であるかぎり議論に参加していきたいと思っております。



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名前:さすらいの風来坊
100年07月19日12時37分
みなさん、長らくご無沙汰しております。
さすらいの風来坊です。

>破面検見 さん

いつも、懇切丁寧なご意見をいただきありがとうございます。

さて、「学んだ場所によって知識に貴賎が生じる事はない」という点について、私も基本的に同意している事については以前書き記したとおりであります。
私が修行という書き方をしたために誤解を招いているのではないかという気がしておりましたが、あなたの前回の書き込みにもあるとおり、私の主張は高度な知識を身につけるための基礎的な素養を持った人が一流といわれる大学の試験をパスできる、というものでした。

ただし、そこにもう一つ重大かつ決定的な基礎用件を共有できていなかったという事に気がつきました。

つまり、官僚になろうとする人や一流企業を目指す人、はたまた私のように物事を主導的に進めて行く技術者になりたいと考える人はみんなが皆、一流大学をねらっているという仮定です。

たまごっち氏の一つ前の投稿を見て、私のこの仮定にある種ギャップを感じると共に、私の中の漠然とした疑問が溶解しました。ちなみにわたしは、1963年生まれですが、生まれて学校を卒業するまで、ひたすら右肩上がりの社会を生きてきた人間です。(今はだいぶ違いますが…)

そして、たまご氏の解説がそのとおりであるなら、あなたに対する理論的な対立点を探す事は私には出来ません。

アプローチは若干違うようですが、どうも何を議論してきたのかよくわからなくなってきました。

次に、日本が本格的な競争社会を向かえつつあるという点ですが、あなたと同様ある種危惧を覚えているのは偽りのないところです。ただ、これが学歴一辺倒という採用や昇進を破壊しつつある事も事実ですので、簡単に拒絶するわけには行きませんが…。
私が何を危惧しているかというと、競争社会といいながらもその採点基準が極めて日本的であいまいなままその制度を導入している場合を多く見聞きする点です。具体的に言いますと、具体的な会社名は勘弁してほしいのですが、ある有名なメーカーとだけいっておきます。競争ですから当然、上司が点数を付け部下を評価するわけですが、大学の試験のように成績が良ければ全員“優”というわけにはいきません当然優劣を付けなければならないわけですが、その基準がないためほとんど好き嫌いの投票に近い状態になっているという話も耳にしました。
こうなる事を非常に危惧するものです。大幅に主題がそれますので、ここまでにします。

つぎに、ディベートと討論の違いについてはあなたの理解というのはある種正解だと思います。ここで、少し個人的な話をさせてもらいますと、最近は海外畑の仕事をしている関係で色々な外国人と真剣にネゴをする場合が多くなってきました。当然お互いの利害が絡んできますので、契約書や当該関係国の関連法規等を盾にとって、それはそれは激しくやり取りをする事があります。最初は恐ろしくなって逃げ出したくなった事もありましたが、これが欧米人のいうところのファイティングスピリットというやつかとわかりはじめてきたところです。
何を言いたいかというと、討論であれ、ディベートであれ、論理的な思考能力によって議論の優勢を勝ち取るための訓練は必要ではないかと思っております。私自身もそのような訓練を怠ってきたために、今大変に苦労しておりますので、その点については特にそう思います。

 私が相手をしたことがあるのが陽気なアメリカンと底抜けに明るいオージーだからということもあるかもしれませんが、議論の間中はそれこそつかみ掛からんばかりの勢いですが、ひとたびその議論が終わると、後は底ぬけに明るくいままでの議論はいったい?といった感じです。議論あるいはディベートというのにそのような一面もあるのではないかと思っております。

ただ、誤解しないで下さい、議論を通して新たな視点を開き見識を広げる事はとても重要だと思っておりますし、今回も、あまたと極めて有意義な時間を共有する事が出来た事に感謝しています。

最後にエリート教育について、ですが、議論の重要性について賛同いただきありがとうございます。今の我が国の現状を考えると非常に重要なテーマだと思っております。しかし、ここの論点とはだいぶ離れてしまいますし、議論が拡散する恐れが非常に強いのでもう少し的を絞って議論する必要があるように思いますが、いかがなものでしょうか。ご意見をいただければ幸いです。

追記:私も国家予算くらいの資金を得てその利殖で食っていけたら名なあ!といつも思っています (^_^)


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名前:たまごっち
100年07月17日03時40分
たまごっちです。

なんかだんだん本筋から離れていくような気がしてましたが、
今回の書き込みで、何となくその理由がわかりました。

>ただ、そのことと現在の制度の「メタな思考力」を持つ人に対する選抜方法が妥当かどうかは別の問題で、
>前者が「誰がどこまで責任を負うかの話」だとしたら、後者は「どんな制度が良いかの話」になるのだと
>思います。無論、「どんな制度が良いかの話」には、機会の平等が達成されている、自己責任原則が問える
>と言うことも一つの要素ではあると思いますが、

「どんな制度がよいかの話」ということですが、それを問うためには、機会の平等が
達成されている、自己責任原則が適用できる、という前提がなければならない、という
話を以前しました。それで上の書き込みを見る限りでは、その部分については、もう了解があるようです。

私ももちろん、ゴミ収集を3回に増やすように提案することは自由であると思います。
しかし、その場合は、相手はそう、易々とは受け入れてくれないだろう、
その困難のことを、自己責任原則のもとに許容されるハンディであると言っているわけでした。

ですから、メタな能力が重視される世界があって、その能力を持たない者が
何らかのハンディを負うのは、それもやむなし、とはめけんみさんは考えているんですよね。
その上で、しかし、そのような世界に対して異議申し立てをすること自体は自由じゃないか、と
こういっているわけですね。もし違ってたら、また教えてください。

ところで、

> 制度の良し悪しはそれだけでは決まらないと思います。

についてですが、以前に次のようなことをかかれていました。

> それから、
> >>10代後半に自分が進む方向性を決めなかったからといって、決めなかった方向についての道が閉ざされてしまうのは
> >>問題であると思います。
> >
> >と書いていますが、その場で主体的に選択を行わなかった方に責任を負わせなければ
> >後でどこかに大変なしわ寄せがいくことになります。どこかの誰かがうまく処理するような社会では
> >私たちは選択の自由が奪われることになります。
>
> この部分、抽象的過ぎて私は理解出来ませんでした。もう少し具体的に説明して頂けないでしょうか。
> すいません。

機会の平等が達成されていれば、自己責任原則を適用すればよい、というのが私の立場です。
(ただし、黒人差別問題に関連するアファーマティヴ・アクションの合理性の問題は別です。
 ここで詳しく述べませんが、もともと人種差別等で劣悪な環境にあった人たちに対する
 何らかの処置は別の問題です)

以前に風来坊さんがかかれましたが、

> 時代を昭和50年代以降とすることにより、私はだめだとします。なぜなら、それ以前の時代は大学に行く
> 能力はあるし進学したい、しかし、家庭の事情等でどうしても無理だということが往々にあったようです。
> しかし、現在は違います。

現在の子供たちの状況見る限り(私は長い間塾の講師をしています)、
勉強して一流大学、一流企業へ、という価値観を生きている子供はまれです。
私は1971年生まれですが、私の周りも、今ほどではないにしろ、
一流企業に行けば幸せな未来が開けるという考えは、かなり怪しかったです。
そして学歴に関して言えば、今の子供の教科内容は恐ろしいほど簡単です。
困難なハードルなんてないのです。要はやるかやらないか、という
レベルにまで落ちています。やれば誰だってあんなもんはできるわけですよ。
そういう状況の中で、後からメタな能力が要求される世界に「転向」しようというときには
それなりのハンディがあってもよいだろう、と書いていたのです。
そこで、ある世界を選択するのも、「転向しよう」、と選択するのも
自己責任原則を適用しなければ、他人に責任転嫁するひどい人間になってしまう。
(すぐ、あいつが何とか、上司が何とか、世の中が、学校が、マスコミが・・・・うんざりです)
そういうことをあそこで書いていたのでした。具体的には一時「嵐の乙女シンドローム」なんてものが
取りざたされましたが、要するに、女性の社会進出、というテーマに沿って
今を犠牲にして未来のためにがんばってきたのに、いざ会社に入ってみれば
やっぱりお茶くみじゃないか、私の青春どうしてくれる、と暴れる
20代前半の女性による家庭内暴力のことですが、女性がやっぱり会社では
お茶くみとコピーしかさせてもらえないことの問題は、別個に非難されるべきであるとして、
さしあたって私が言いたいのは、いや、「お茶くみとコピーで給料もらえるんなら
それもラクチンでいいんじゃないの」という選択もあり得たはずなのです。
その選択を母親がしてしまった、そういうことです。意に添わないお受験や中学受験をして
失敗すると、プライドだけが肥大して、やはり失敗があると他人や環境のせいにするか
引っ込み思案な子供になるかが多いのは塾講師としての実感です。

選択は自分で行わせなければだめです。そうやって自己操縦のすべを身につけなければ、
自分を肯定的に受け止めることができません。

この前提にたって、私はメタな能力が重視される世界があって、その世界に遅れて「転向」しようとする人は
そのハンディあってよいだろう、と言っていたのです。なぜなら自己責任でそのような世界を選べたはずなのに
その世界を選ばなかったことについてはその人に責任があるということです。
(ちなみに以前に書いたように、道は閉ざされていないのが実際だと思います。)

なんか、だんだん、どこが対立していたのかわからなくなりました。
どこでしたっけ?

おくれてメタな世界に進もうとする人がハンディを背負わされることに対して
異議申し立てをすることは自由だ、と言っているんですよね?
それともハンディが課せられること自体がおかしいといっているんでしょうか。



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名前:破免検見
100年07月16日02時23分
皆さん御久しぶりです。破免検見です。
遅筆にてご迷惑をおかけしております。

>さすらいの風来坊様

>つまり、修行の中身とは、高度な中身(であるべきと信じます)の大学の授業についていくことができ
>るための基礎的な学力と考えます。
>(中略)
>そのためには、たとえ試験というなかれ、その試験を突破できる基礎的な学力があり、それを何ら問題
>なくクリアしてきたということは重要な指標ではないかと考えるから、今までのスタンスの基本として
>据えております。

修行の中身が「高度な中身の大学の授業についていくことができるための基礎的な学力」であるが為に重
要なものだと考えると、修行とは、大学レベルの高度な知識や物の考え方を身につけるために必要になる
ものだと思います(「高度な中身の大学の授業についていく」とは、大学レベルの知識や物の考え方を身
につけることだと解釈しました。)。
前回までで、「学んだ場所によって、知識に貴賎が生ずることはない」とのことについては同意が得られ
た訳ですが、このことはつまり、「高校までに、大学の授業についていくことができるための基礎的な学
力を身につけた上で、大学で得た知識」と、「高校から大学というルートをとらずに別の方法で得た、大
学で得られるものと同レベルの知識」との間に何等の差が無いことだと思います。
確かに、大学で高度な知識や物の考え方を教授するには、その前提となる知識は必要なものだと思います。
しかし、「修行」が、大学レベルの高度な知識や物の考え方を身につけるために必要なものだとしたら、
逆に言えば、目標はあくまで大学レベルの知識や物の考え方にあると言うことですから、重要なのはその
ような知識や物の考え方を身につけているかどうかで、また、この場で議論を重ねてきたのは、「学歴社
会の是非」、つまり大学名や大学卒か否かが採用や昇進に大きく影響をあたえることの是非でしたが、学
んだ場所によって、知識に貴賎が生ずることはないことを前提とする以上、「修行」の成果が学歴社会を
肯定する理由になることは難しいと思います。


>ただ、ここで問題となるのが、あなたも少し指摘されておりますが、有名大学を出ればそれで全てか?
>というポイントではないでしょうか。

> で、エリート教育ということを持ち出したわけですが、これについては議論したい点が多岐にわたる
>ので、もう少し様子を見ることにします。

エリート教育については私も重要だと考えておりますので、いずれ議論をしてみたい気持ちは私も持って
おります(遅筆ですが・・・m(_ _)m)。もし仮に、この場が都合が悪いという場合にしても、新しい場を
作るだけの魅力のある議題だとおもいます。
(今月号の「正論」だか「諸君」にもエリート教育についての記事がありましたね。)

>この点についてですが、学歴不問の採用活動を展開をする企業が増えているのは間違いのないところで
>あり、日本の社会も本格的な競争社会になってきたのかな?と思いよい方向に向かいだしたなあ、とい
>うのが私の偽らざる気持ちです。

私も、日本の社会が競争社会の方向に進んでいることは、基本的には良いことだと思います。が、より競
争の発生する必要性は認めてますが、行き過ぎた競争社会の行き着く先には悲観的なのです。
終身雇用制についても問題点ばかりではないと思います。この先、日本の社会や文化にあった、日本的な
競争社会が生まれればなあと思っております。

> わたしは、飯を食っていく以上は、その道のプロになるべきであり、学歴にあぐらをかいてしまいそ
>の後の努力を怠っている人間に軽蔑感すら抱きます。ただし、それと同じくらいに軽蔑するのは今まで
>の自分の努力の怠りの全てを学歴社会の不平等のせいにしてしまっている人種です。(ちなみに私の上
>司のことです。)

それは、お気の毒です。(^^;
確かに、その様なことは良いことではありませんね。
逆説的ではありますが、学歴社会が無くなれば、自らの怠慢を学歴社会のせいにすることも出来なくなる
のでしょう。
学歴社会の話とは少し離れて、一般論として、努力が正当に報われる(正直者が損をしない)、そんな社
会に日本がなって欲しいと思います。

>じっくり考えて、どうやって飯を食っていくのかということを考えてみるのも一つではないでしょうか?

なかなかに難しい問題なのですよね。まあ、冗談を言わせてもらえば、1兆円ぐらいの資産があって、利
殖で食って行けるのがいいのですが(苦笑)。
冗談はおいておいて、仕事を決めるとなると職種のみならず仕事場の所在地の問題も出てきますからねぇ。
難しい問題です。大学みたく数年間というのなら、話はもっと簡単なのですが。



>たまごっち様

>ところで、私が実際に経験したことですが、私がある町からある町に引っ越したために
>以前の町ではゴミの収集が週2回だったのに、新しい町では週3回に変わりました。
>私としてはラッキーですが、逆に私と違う方向で、つまり3回から2回に変わったような場合、
>改善を要求することは自由ですが、法的権利としての正当性はありません。

確かに、ゴミの収集を増やせと「要求」する、「法的権利」はありませんからゴミの収集回数が少ないこと
について、自らが受け入れるべきものだと思います。
ただ、その様な法的権利はなくとも、当該自治体にとってのゴミの収集回数についての議論を行うことは可
能で、つまり、「現在のゴミ収集制度の是非」を問うことは可能だと思います。

>ゆえに、一般には、改善要求をすること自体は自由ですが、法的に正当化されるような場合と
>そうでない場合があって、そうでない場合には、やはり「そんなに週3回ゴミ捨てたきゃ
>前の町にかえんなよ」という反応があっても、「行政の冷たい仕打ち」と即断するにはためらいがあるでしょう。
>だからここでは、自己責任原則が適用できるはずです。

自己責任原則が適用できると思いますが、「一般には、改善要求をすること自体は自由」の中には、改善要
求の前提となる、現在のゴミ収集制度に対する是非が含まれており、つまり、自己責任原則と制度の是非は
別物だと思います。

>また、上の2つの例は、居住地域と行政サービス、と就業内容と待遇、という関係における問題でしたが、
>私が前に書いたのは、学歴(=メタな思考力)が必要とされる世界というものがあって、
>そこに、その様な能力を欠いた者が参入しようとして、制度の改善要求を求めることの正当性の問題ですから
>上の例とは事情が異なります。必要とされるものを持たない人間がハンディを負うのは合理化されます。
>俺は背が低いからゴールを下げろ、と要求するバスケの選手はいないはずです。
>彼はバスケをあきらめるか、俊敏さに磨きをかけてガードとして活躍するか、
>いろいろ選択すると思います。
>それはやはり自己責任による選択なのです。

確かに、学歴が要求される社会があって、自らの意志で学歴を取得することを選ばなかった人は、選ばなか
ったことについての責任を負うべきであり(自己責任)、その様な人は、制度の改善要求や、現行制度によ
り受けた不利益に対する補償や救済を受ける「法的権利」はないでしょう。
ただ、そのことと現在の制度の「メタな思考力」を持つ人に対する選抜方法が妥当かどうかは別の問題で、
前者が「誰がどこまで責任を負うかの話」だとしたら、後者は「どんな制度が良いかの話」になるのだと
思います。無論、「どんな制度が良いかの話」には、機会の平等が達成されている、自己責任原則が問える
と言うことも一つの要素ではあると思いますが、制度の良し悪しはそれだけでは決まらないと思います。


それから・・・、御二方へ

(さすらいの風来坊様)
>以上が私の今日のあなたに対する意見です。ディベートとしては、私のほうが形成不利なようです。
(たまごっち様)
>それにしても、はめけんみさんはなかなか賢いですね。

これは以前私が某所で議論をしていた時の、他の参加者の方の発言で印象に残っていたものです。

「ディベートと聞くと、私は、自分の信条とは関係無く敵と味方に別れて、双方が自分の主張を相手に認め
させようとするもの、または勝ち負けを決しようとするものと思ってしまいます。それに対し、議論とは、
私のなかでは、双方が自分の信条にもとずく主張をし、勝ち負けを決することが目的ではなく、双方にと
っての新たな発見を生み出していくものだと思っております。
また、議論の優勢、劣勢と論理的思考力は別物であると思います。極端な例ですが、例えば理想の政治形
態について、絶対王政と民主主義の間で議論をしたとします(ほんとに極端な例です。ただ、分かり易い
ので・・・)。勝負は始めから明らかで、民主主義側が勝利するのはあたりまえなのですが、双方の正当
化の方法、状況によっては、絶対王政側が論理的思考能力に優れていた、とされることもあるのです。」

実際、今回の議論を通しても私はいくつかの発見と再確認をさせて頂いており、有意義であると思ってお
ります。
それから、せめて週一ぐらいで書き込めるように努力します。m(_ _)m


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名前:たまごっち
100年07月04日17時05分
アメリカ法研究者の卵として今日のこの日を感慨深く迎えているたまごっちです

なつみさんへ

>結果無価値と行為無価値は、現在の段階ではどちらが正しいというものではなく(つまり正解はない)
>双方ともに有力な説なので、自分の正義感にあったものを選びましょう。

いやほんとそのとおり。やり過ごすための勉強なら、
結果無価値も行為無価値もうっちゃってしまっていいっす!
でも本気で勉強するつもりなら、この両者の対立は結構奥が深いので
やってみる価値はあるかも。まあ、1科目くらい、あたしは大学で、
これだけはまじめにやった、というのがあってもいいじゃないでしょうか。
結果無価値なのに、偶然防衛を殺人未遂にする構成とか、
なかなか興味深いものがありますから、勉強してみることをおすすめします。

>それから、刑法に限らず法学全体に言えることですが、法学は学説が命みたいなところがありますので、い
>い点が欲しいと思ったら、参考にした本の説明や自分の同意・共感できる学説だけでなく、担当の先生の主
>張する学説も知っておきましょう(ここで正義感を点数に売り渡すことになる・苦笑)。

う〜〜ん、大学院入試では特にね。
まあ、本当に良心のある学者なら、違う学説を主張したくらいでは落とさないですがね。
幸い私の指導教官もそうでしたが。もちろん、通説・判例を十二分に理解していることが
前提となります。やっぱり全然違う学説の先生が相手なんだから、こっちもやるだけのことは
ちゃんとやってるぞ、という姿勢がないと認めてくれないでしょう。
(>これなんて自己決定で課せられることが合理化されるハンディの典型ですね)

ただ、大学院入試なんかで全然違う学説の先生のところにいくのも
メリットはないので、先生を調べる、ということが大事ですね。
(知り合いに抽象的違憲審査制度の可能性で卒論書いた奴がいたが
 なぜかそいつはプロセスアプローチで著名なあの先生のところに行ってしまった。
 指導をしてもらえないと言ってたけど、そりゃ仕方ないよな〜。もともとあの先生は
 厳しいというしね。)

法律に詳しくない方、つまらん書き込みですみません

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名前:たまごっち
100年07月02日01時49分


かなり話が拡散してきましたが、一つのことを突き詰めるのもよいことだと
割り切って、このままいくのもいいでしょう。

それにしても、はめけんみさんはなかなか賢いですね。
でもオイラの方がもうちょっとだけ賢いと思って(^ ^)がんばって反論します。

>どの地方自治体に住むかは個人の自由な選択によるものであり、
>またどのようなサービスが受けられるかも選択時に明らかになっていますが、
>たとえ自由な選択によって自分が住む自治体を決定したからといって、その後自治体のサービスを自分達にとって
>より良いものにするために要求を行うことは否定されるべきものでは無いと思います。

という例と、

>就職をするにあたっても労働条件は初めに明らかになっていますが、よりよい条件を求めていくことも同様だと思います。

という例を挙げていますが、両方とも、条件が極めて不合理である場合は、よりよい条件を求めていくことが可能です。
法律に詳しいはめけんみさんであればおわかりでしょうが(だって前田と大谷の対立を司法試験参考書の例で出すくらいだから)、
そのような場合(=1日15時間労働を強制し断れば解雇、など)であれば、条件の改善を求めていくことが
法的権利として発生しますね。なぜそのようなことが可能か。付合契約の論理があるからです。
XXXXXXXXXXXXXXX
付合契約とは?
契約は自己決定に従って行われるべきである(契約自由の原則)のに、
私たちの暮らしの中では、当事者の自由な意志決定で成立していない契約が各所に見受けられます。
例としては、電車に乗る場合、料金の交渉を乗客と鉄道会社の間で行うことなく、鉄道会社側が示した
一方的契約条件に従って私たちは料金を払っています。このため鉄道会社が優越的地位を利用して
無茶な契約を結ばせないように、行政が運賃の管理を許認可制度を利用して行っているわけです。
XXXXXXXXXXXXXXX

ところで、私が実際に経験したことですが、私がある町からある町に引っ越したために
以前の町ではゴミの収集が週2回だったのに、新しい町では週3回に変わりました。
私としてはラッキーですが、逆に私と違う方向で、つまり3回から2回に変わったような場合、
改善を要求することは自由ですが、法的権利としての正当性はありません。
京都市民が大阪市立大学に入学し、大阪市民より多くの授業料を払わされたとしても、
差額を返還するよう要求する権利は生じません。
自治体の行政サービスや、企業の労働条件や賃金体系には、それぞれの「事情」や「合理性」があります。
(まあ、不合理な行政サービスや行政決定が全くないとは言えませんがね)
ゆえに、一般には、改善要求をすること自体は自由ですが、法的に正当化されるような場合と
そうでない場合があって、そうでない場合には、やはり「そんなに週3回ゴミ捨てたきゃ
前の町にかえんなよ」という反応があっても、「行政の冷たい仕打ち」と即断するにはためらいがあるでしょう。
だからここでは、自己責任原則が適用できるはずです。

また、上の2つの例は、居住地域と行政サービス、と就業内容と待遇、という関係における問題でしたが、
私が前に書いたのは、学歴(=メタな思考力)が必要とされる世界というものがあって、
そこに、その様な能力を欠いた者が参入しようとして、制度の改善要求を求めることの正当性の問題ですから
上の例とは事情が異なります。必要とされるものを持たない人間がハンディを負うのは合理化されます。
俺は背が低いからゴールを下げろ、と要求するバスケの選手はいないはずです。
彼はバスケをあきらめるか、俊敏さに磨きをかけてガードとして活躍するか、
いろいろ選択すると思います。
それはやはり自己責任による選択なのです。

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名前:さすらいの風来坊
100年07月02日01時22分
 みなさん、ご無沙汰しております。風来坊です。
 久しぶりに覗きにきたのですが、破免検見氏より長文にわたるご意見をいただいておりました。ありがとうございます。
 本当は、意見を書き込んだのに、”回答がないじゃないか!!”といわれるのを恐れながら、覗きにきたのですが、安心しました。(^^)笑

>破免検見さん

 そうです。小生の100年6月17日19時44分の登校、ではなく投稿は(^^)、あなたの投稿にまさにバッティングしたものです。登録時に、内容をみて・・・というわけです。流れは遅いものとなめていた部分があったようです。それと通勤時間帯が私の私的なパソコンタイムとなるのでこのくらいの時間が投稿時間となる場合が多いようです。(どうでもいい話ですが//)

 で、本論ですが、

 知識に対する基本的な考え方については意見に相違がないことがはっきりしてきたようですが、次の部分について多少同意しかねる部分があります。

>この「修行の証」の中身は、一体、どういったものなのでしょうか。
>もし、修行の結果についての優秀性を表わすものなら(つまり、「偏差値が高い方が優秀」等>といったこと)、優秀な者を識別するという目標があるわけで、逆に言えば優秀であれば学歴>は必ずしも必要で無い

 偏差値というのも基準としては優秀なような優秀ではないような摩訶不思議なものさしだと感じる部分があります。確かに統計工学的な話をするにあたってこの偏差というのきわめて重要な指標であり、また非常に面白い性質をもった指標であるのは周知のところであります。何をいいたいかといいますと、あなたがご指摘のように試験によって各大学が入学者を選別するのは少しでも優秀な人物を獲得しようとするからだと思います。優秀でなければ高度なレベルの講義についていくことができない学生が大学を占領するようなことになり、大学そのもの存在意義すらなくなりかねないのではないでしょうか。
 この部分については、別の投稿を見ると、少しゆゆしき事態になりつつあるようなきもしますが・・・

 つまり、修行の中身とは、高度な中身(であるべきと信じます)の大学の授業についていくことができるための基礎的な学力と考えます。

 手前味噌になりますが、構造解析を理解するためには高等学校までに学んだ数学の基礎知識なしで理解することはほぼ不可能です。そんなことはないという方が、もしおられるなら、その方は、技術の世界ではおそらくもぐりでしょう。また、日本の文献のみから知識を学ぶということはおそらく問題があるでしょう。その場合必要となる英文読解力も最低限の物が必要となるでしょう。ならば、少しでもその方向の能力に秀でる必要がありますから、その知識に対しても少しでも優れた能力が必要となるでしょう。

 そのためには、たとえ試験というなかれ、その試験を突破できる基礎的な学力があり、それを何ら問題なくクリアしてきたということは重要な指標ではないかと考えるから、今までのスタンスの基本として据えております。

 というわけで、全てにおいてこの基礎知識の有無は相当に有用な判断材料となるのは致し方ないんじゃないか、と考えるわけです。

 ただ、ここで問題となるのが、あなたも少し指摘されておりますが、有名大学を出ればそれで全てか?というポイントではないでしょうか。

 で、エリート教育ということを持ち出したわけですが、これについては議論したい点が多岐にわたるので、もう少し様子を見ることにします。

>近年、学歴を不問にして採用活動をする企業が増えていることを見ると、別の証明方法もあり>えるのではないかと思います。

 この点についてですが、学歴不問の採用活動を展開をする企業が増えているのは間違いのないところであり、日本の社会も本格的な競争社会になってきたのかな?と思いよい方向に向かいだしたなあ、というのが私の偽らざる気持ちです。

 ただ、ここで、注意する必要があるのは、これは会社そのものが雇用についてドライな考え方を持ち始めたことの裏返しであるとも言えるのではないでしょうか?いったん採用した社員を定年まで抱えておく必要がなくなれば、会社としても思い切った冒険ができるというものです。
 
 わたしは、飯を食っていく以上は、その道のプロになるべきであり、学歴にあぐらをかいてしまいその後の努力を怠っている人間に軽蔑感すら抱きます。ただし、それと同じくらいに軽蔑するのは今までの自分の努力の怠りの全てを学歴社会の不平等のせいにしてしまっている人種です。(ちなみに私の上司のことです。)

 破免検見さん

 以上が私の今日のあなたに対する意見です。ディベートとしては、私のほうが形成不利なようです。学歴社会が是であるというスタンスではありますが、それがすべてあるとは決して思っていない部分があるのが決定的なのでしょう。

 追記;就職活動ですか?そろそろ追い込みでしょうか?がんばってください。
    じっくり考えて、どうやって飯を食っていくのかということを考えてみるのも一つではないでしょうか?(さらりと聞き流してください。つまらない、戯言ですので)
 
  

 

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名前:破免検見
100年06月30日17時20分
なつみ様>

はじめまして。
法学を学ぶに当たって、義務教育で学んだことで”直接”役に立つのは国語と、あと英米法を研究する
場合の英語くらいでしょうか。私は、義務教育で学ぶ内容には重要なものもあると考えていますが、そ
れは直接実生活に役立つというよりも、教養として間接的に役に立つものだと思います。ま、重要でな
いものも結構あるとは思いますが。

まあ、大学の先生はある概念や用語等、前提となる知識があって初めて分かり易くなることを、聞いてい
る者が知っているかいないかお構い無しに話をすすめる傾向があるようですね。
昔は、分からないことがあったら学生が自分で調べるのが当たり前だったようですが、最近は・・・なかな
かそういった学生は少ないですね(というかいない)。これからは、本当に勉強、というか学問をしたい
と考えるなら、自習が大きな意味を持つことになります。

教科書はどういったものを使われてるか分かりませんが、学問的に優れているものが必ずしも初学者に分
かり易い訳ではないので、今使われている教科書が分かりにくかったら、司法試験予備校が出している参
考書や、司法試験受験生に人気のある学者先生の著書を参考にしたら良いと思います(司法試験と聞いて
引いちゃうかもしれませんが、つまり分かり易いということなんですよ。刑法だったら、結果無価値は前
田雅英、行為無価値は大谷實でしょうか。たぶん図書館にあるはずです)。

ちなみに、結果無価値と行為無価値とは、おおざっぱに言うと悪いことに対する捉え方の違いで、結果無
価値とは発生した結果が悪い、行為無価値とは行為自体が悪いということです。
例えば、ある人が浮気をしようとして街でナンパ(逆ナンパでもかまいません)をしたとします。
しかし、残念ながら(?)ナンパ(または逆ナンパ)は成功しませんでした。
この時、結果無価値の立場にたつと、ナンパはしてますが「浮気」という結果は発生していないので悪く
ないことになります。
しかし、行為無価値の立場ですと、浮気を目的としたナンパそれ自体が悪いと考えますので、「浮気」と
いう結果が発生していなくても悪いことになります。
無価値とは、価値が無い、つまり悪いことだぐらいに思っていてほぼ間違いはありません。
結果無価値と行為無価値は、現在の段階ではどちらが正しいというものではなく(つまり正解はない)
双方ともに有力な説なので、自分の正義感にあったものを選びましょう。

それから、刑法に限らず法学全体に言えることですが、法学は学説が命みたいなところがありますので、い
い点が欲しいと思ったら、参考にした本の説明や自分の同意・共感できる学説だけでなく、担当の先生の主
張する学説も知っておきましょう(ここで正義感を点数に売り渡すことになる・苦笑)。



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名前:破免検見
100年06月30日15時12分
皆さんお久しぶりです。破免検見です。
久しぶりの書き込みとなりますが、皆さんもお忙しそう(かな?)ですね。
少し安心しました。(苦笑)

さて、それでは御二方へ私の意見を述べさせて頂きます。

>さすらいの風来坊様

>できるかぎり、接続する時間を確保し、あなたの書き込みの確認そして登校という手順を踏める
>ようにしたいと考えております。

はじめ文意がよく分からなかったのですが、もしかして、さすらいの風来坊様の(100年06月17日19時44分)
の投稿は、私の(100年06月17日18時57分)の投稿に気が付かれずにされたものということですか?
私の投稿の47分後に投稿されてるんで、はじめは「おお!なんという速さの投稿だ!」と思ったのですが、
単に二人の投稿が重なったというこということでしょうか。
もしそうなら、流れの遅いこの場にしては、かなり珍しいことです。^^;

>私も特定の学校である必要はないと思います。いわゆる一流大学である必要はないし、知識を提供して
>くれる施設はたくさんありますし、その他に方法はいくらでもあることについては意義がありません。
>そこで各自の責任において各自を磨くということについても全く否定的な考えはありません。ただし、
>私が前回強調したかったのは、10代といっても前半、義務教育9年間+高等学校で得られる知識について
>です。

>大学に入学する前にしっかりとその各時点で要求されているハードルをクリアできたか否か、それを問
>うているわけです。

さすらいの風来坊様が強調されたかったのは、高校までで得られる知識についてでしたか。
この点に関しては私の方も理解がずれていたようです。こちらこそお詫び致します。

しかし、知識についての考え方については、意見の一致が見られたのではないかと思います。
『学んだ場所によって、知識に貴賎が生ずることはない』といった考えには同意頂けるものと思います。
ただ、私とさすらいの風来坊様との違いは、高校までに得られる知識について生じているのだと思います。
この知識について、私は単なる、しかしある程度は重要な知識(もちろん学校以外でも習得可能)としか
捉えていないのに対して、さすらいの風来坊様は知識+修行の証と捉えられており、学歴社会を是とする
に当たって「修行の証」としての性質を重視しているものと思います。

この「修行の証」の中身は、一体、どういったものなのでしょうか。
もし、修行の結果についての優秀性を表わすものなら(つまり、「偏差値が高い方が優秀」等といったこ
と)、優秀な者を識別するという目標があるわけで、逆に言えば優秀であれば学歴は必ずしも必要で無い
ことになり、また、与えられた課題に対して自らの希望とは関係なく努力したことを表わすものなら(忍耐
、組織に対しての従順さ等)、学校での勉強にその様な意味を持たせることに疑問があります。つまり、
忍耐や組織に対する従順性といったものは、学校教育よりもむしろ家庭における教育や社会の風潮に影響を
受けるものであり、近年になって大卒新規就職者の離職率が高まっていることもそれを証明していると思い
ます。

そして、仮に修行の証が優秀さを表わすものだとして、その証は学歴しかありえないのかという話ですが、
近年、学歴を不問にして採用活動をする企業が増えていることを見ると、別の証明方法もありえるのでは
ないかと思います。
国家公務員のいわゆるキャリア組採用(今はT種です)に関する話が出ておりましたが、多くの方が知って
いる内容かもしれませんが、私の知り合いにも目指しているものがいますので話は色々聞いております。
受験資格については、一流大学に限るどころか大卒も要求されません。確か、年齢と国籍、あと国家試験・
資格にはつきものの重大な犯罪歴の有無(^^;)だけだったと思います。
ただ、採用に当たっては面接(いわゆる官庁訪問)が非常に重要で、ここで学校名が重要な意味を持ってく
るそうです。私大枠なるものを設けているところもあるそうです。大卒未満枠は・・・聞いたことありません。


>就職活動等でお忙しいのか、あるいは何かの試験等でお忙しいのか良くは判断しかねますが、がんばって
>ください。(いらない応援かもしれませんが^^笑)

いえいえ、いらないなんてとんでもありません。大変ありがたく感じております。
ま、一体何で忙しいのかというと、それは私の将来に関わることでもあり、道楽でもあり、勉強することも
沢山あり、というものでして広い意味での就職活動なのかなと思っております。

それから、エリート教育について。
私もエリート教育というものを考えていくのは重要だと考えております。
ただ、職業に貴賎はないと述べておられますが、私もこの考えには同意致しますが、そのような考え方を取
ると、これまでいわゆるエリートと目されてきた職業は数ある職業の中の一つとしての権限や影響力の大き
い職業と考えるべきで、まあ、要するにエリートという言葉を用いるかどうかの話になってきてしまいます
が、とりあえずそれは置いておいて、そのような権限や影響力の大きい職業に伴う責任を考えていくことは
重要だと思います。
とりあえず、便宜上エリートという言葉を用いることにしますが、私は、エリートと呼ばれる立場の人間と
は大勢の人間により良い方向を指し示すことの出来、その責任を取れる人間だと考えております。
その意味で、偏差値の高い学校をエリート校と呼ぶ風潮には疑問を覚えます。
恐らく、偏差値の高い学校出身の人間がエリートと呼ばれる立場につくことが多いことからその様に呼ばれ
ることになったのでしょうが、エリート校と呼ばれる学校に通う学生・生徒のなかで実際に社会の責任ある
立場にたち、より良い社会の実現のために努力しているものは非常に稀だと思います。また、いくら偏差値
が高く頭がよかろうとも、自分のことしか考えることの出来ない人間は、私はエリートではないと思います。
つまり、エリート校と呼ばれる学校に通う学生・生徒は、エリートに近いことは間違いないかもしれないが
エリートではない。何故なら、社会の責任ある立場にたち、より良い社会の実現のために努力していないか
ら、と考えます。

最後に100年06月17日19時44分の投稿に関して少し。

>つまり、私が言いたいことは、こうです。一流大学に行くという選択は本当に有利な選択なのでしょうか
>?そして、世間で言うところ有利な選択をした場合には責任がついてこないのか?または、その責任とい
>うものがいわゆる不利な選択をした場合と有利な選択をした場合のあいだでそれほどまでに大きいのかと
>いうことです。
> その結果が常に普遍で、また帰結がはっきりとわかっていれば、別の見方もできましょうが、たいてい
>の場合はよくわからない、のではないでしょうか。すなわちどれが有利でどれが不利かということはその
>時点の状況はわかっても、10年後、20年後はわからない。ですから、誰が責任を持つかといえば、本人が
>持つしかないのではないでしょうか。

まず、一流大学に行くという選択は、一流企業に入り、キャリア官僚になるには有利です。
確かに、ある選択が有利かどうかは評価する時間枠を変えることによって変わってくるものだとおもいます
が、ここで問題にしている有利不利は、就職や昇進時についてものです。
次に、有利な選択をした場合にも責任を取るべしとのことは、その通りだとおもいます。
ただ、ここで問題になってくるのは、有利な選択をした場合と不利な選択をした場合の責任の「差」ではな
くて、有利不利関係なく、選択に対しどこまで責任を負わせるべきなのかだと思います。




たまごっち様>

私は、やはり「自己責任原則」と「学歴社会の是非」は別の論点であると思います。

いい例かどうか自信が無いのですが、例をあげて考えていきますと、例えば、これからの日本は地方分権が
進み、地方によって提供される行政サービスに差が出てくることが予想されます。ここで、どの地方自治
体に住むかは個人の自由な選択によるものであり、またどのようなサービスが受けられるかも選択時に明
らかになっていますが、たとえ自由な選択によって自分が住む自治体を決定したからといって、その後自
治体のサービスを自分達にとってより良いものにするために要求を行うことは否定されるべきものでは無
いと思います。また、就職をするにあたっても労働条件は初めに明らかになっていますが、よりよい条件
を求めていくことも同様だと思います。
どちらの例も、自分で選んだのだから自己責任原則により、より良い待遇を受けることは出来ないとする
ことは可能ですが、待遇の改善を要求すること自体、つまり制度の良し悪しを述べること自体を否定する
ことは出来ないと思います。選択者と制度の良し悪しを論じる者が別人であると考えれば分かり易いでし
ょうか・・・。
つまり、私が言いたいのは、制度の良し悪しを論じることと自己責任原則の話は別である。別の言い方を
すれば、自由な選択が可能かどうかは制度全体の良し悪しを論じる一つの要素に過ぎないのであって、自
由な選択が可能であるということを理由として制度自体が良いということは出来ない、ということです。

>学歴がものを言う世界というのがあって、その世界に遅れて飛び込もうという人は、
>それなりのハンディがあってよいのです。なぜそのようなハンディを課すことが合理化されるか。
>自己責任で選べたはずの学歴を取得しなかったからです。

上記のようなわけで、自己責任で選べる学歴がものを言う世界が現実に存在するとしても、その様な世界
が存在することの是非を問うことは可能であると思います。


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名前:なつみ
100年06月29日10時45分
私は何の目標もなかったけど、でも勉強はまあまあできたので今の国立大学に来ました。
でも大学での勉強って、高校までのやり方と全く違っていて、基本例題から学んで徐々に発展させていくという方法じゃないんで、はっきり言って勉強しづらい。刑法の授業とかもう最悪。なんか結果無価値とかなんとかずっと言っててなんのことかさっぱりわかんない。

今まで習ったことと大学で習ったこととの連続性がなくて頭の中が整理つかないまま。
義務教育で習ったことは役に立つという言い方をしている人がいるけど、大学の中では連続性がなくて全然役に立ってません。

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名前:さすらいの風来坊
100年06月18日13時57分
 
 破面検見さん

 お忙しいところ長文にわたる反論ありがとうございます。正直なところ私自身もしばらく忙しくしており、今回の返事に対してあなたがされるであろう反論に対してもあなた同様いつできるかはわかりかねますが、できるかぎり、接続する時間を確保し、あなたの書き込みの確認そして登校という手順を踏めるようにしたいと考えております。流れが多少悪いかもしれませんが、こちらこそご了承ください。

 まず、

>私の前回の投稿にも似たようなことを書きましたが、誤解を招く可能性は極力払拭しておきた>いのでもう一度書くことにしますが、私は学歴社会の問題点を述べることにより、高学歴者を>否定するつもりはまったくありません。あくまで、「学歴社会」の問題点を述べているので>>す。ただ、学歴社会が否定されることにより自分自身が否定されるように感じられる方がいる>としたら、学歴社会が肯定されることにより自分自身が否定されるように感じる方もいるかも>しれません。

 ご心配には及ばないと思います。高学歴者というだけでその能力を持ち合わせていないにもかかわらず、重要な地位にのほほんといつづけることをなんとも思ってない人がいるならば、それはあなたのおっしゃるようにまさしく問題です。しかし、それは制度のせいにされるべきではないと思いますし、個人が糾弾されることもやむをえないと思います。
 しかも逆にその程度のプライドしか持ち合わせていない、言い換えれば学歴という洋服を着ただけの能力しか持ち合わせていないのにそれを自身の立場の拠り所としている人がいるならば、論破されるべきですし、そのようなエリートの必要性は全く感じません。断じて排除されるべきだと思います。

 ということを前提として各論ですが、

1.「その知識を特定の学校で学んだものに限る」とするのには問題を感じる

 ということですが、あなたの書き込みに対して私自身の理解がはずれていたようです。その点についてお詫びします。

 私も特定の学校である必要はないと思います。いわゆる一流大学である必要はないし、知識を提供してくれる施設はたくさんありますし、その他に方法はいくらでもあることについては意義がありません。そこで各自の責任において各自を磨くということについても全く否定的な考えはありません。ただし、私が前回強調したかったのは、10代といっても前半、義務教育9年間+高等学校で得られる知識についてです。
 各大学は、優秀な学生を望んでおり、その能力を測るため(ふるいわけるため?)に選抜試験を行うわけですが、その試験を突破できる人はその時点で次の更なるステップを踏むための基礎的な能力を有しているということだと思います。ここがポイントです。 
 大学に入学する前にしっかりとその各時点で要求されているハードルをクリアできたか否か、それを問うているわけです。

2.しっかりした修行や努力を積んできた証は、学歴しか有り得ないのか

 非常に難しい質問だと思います。しかし、それ以外に能力を測る尺度が存在するのでしょうか。また、これを書くとなんだ学歴差別がないじゃないかという話にもなりかねませんが、高級官僚を目指した場合、国家公務員上級職試験(いまはT種試験ですか?)を受験してそのうち成績上位者から各省庁に採用されるというプロセスだったように思いますが、この受験資格に一流大学卒業者に限るという制限はなかったと思います。ただ、結果は別ですが・・・^^
 
 では、民はどうかというと、その基準は各社まちまちだと思いますが、各種の規制に守られてきた業界(たとえば銀行業、たとえば建設業、たとえば運輸業などなど)各指導省庁の許認可のからみから役所の担当者の出身大学が多いところから優先して採用するきらいがあるようです。これなど、学歴社会といわれる部分の悪弊でしょう。しかし、これからこの日本的な官民癒着という構図がなくなればこの意味での学歴社会というのはなくなるのではないでしょうか?

 なぜ、上のようなことがあるかというと、多くの方はすでにご存知だと思いますが、高級官僚というのは、特権階級です。自分がお上だという認識をお持ちかどうかは存じ上げませんが、民の普通の人間が業務からみで訪問してもまともに取り合ってくれないということが多いやに聞きます。ところが、同級生あるいは先輩後輩ということでの恩恵は多いそうです。

 とまあ、こんなところですが、これについては、悪弊だと思いますし、これはなくなるべきと考えております。また、なくなりつつあるものと思っております。

 話がそれましたが、私自身は他に有効な選択方法はないのではないかと思っております。企業というのは、人材の採用にあたって多大な初期投資をするわけですから、なるべくリスクは低くしたいということだと思います。一流大学でてったってたいしたことない人間ははいて捨てるほどいることは百も承知の上で言っております。
 あなたの疑問にはこのように答えておきます。(答えにはなっていませんが・・・)

 あなたとの議論重ねてきた中で、自分としての自信を深めることができたと思っております。改めて感謝します。
 あなたの鋭い洞察力そして勉強熱心さが伺われる言葉のはしばしから、あなたが相当優秀な方だと推察されます。就職活動等でお忙しいのか、あるいは何かの試験等でお忙しいのか良くは判断しかねますが、がんばってください。(いらない応援かもしれませんが^^笑)

 ここまできて、ひとつ思うことがあります。やはりエリート教育というのは必要なのではないかということです。なんだか、一流大学卒というだけで、ちやほやされるような風潮の中で、それをいいことにおいしいところだけもっていくというところがないでしょうか。あるいは、おいしいところだけをもっていっていい暮らしができるというように思われるだけではないでしょうか。
 エリートであれば、それなりの権利自由もあるかわりにその厳しい義務も負わなければならないということをはっきりさせたうえで、「エリートなんだから国家社会のために滅私奉公しなさい」という教育がなされるべきではないかと思うようになってきました。これをいってしまうと平等な社会でなくなると目くじらを立てる人が多数いるのでしょうが、今の社会は悪平等に陥りすぎてるのではないかという気がします。だからこそ、有利な選択・不利な選択というおかしなことになるのではないかとさえ思ってしまいます。
 職業に貴賎はないと思います。また社会が成り立ってゆくにはいろいろな立場の人が必要なわけですから、その各場所で開かれた自由な選択肢が存在し、その選別基準を誰もが納得できるのであればそれでいいのでは、ないかと思います。このあたりについて、あなたがたまごっち氏と展開されている自己責任原則と重ね合わせてもう少し自分なりに考えてみようと思います。

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名前:たまごっち(=学者の卵)
100年06月18日01時32分
たまごっちです。

私も含めてみんな忙しいようですから、まあ、ゆっくりやればいいなじゃないでしょうか。
ただ重要な誤解が生じているようなので、はめけんみさんのこの点につき今晩中に書いてみたいと思います。

>「学歴社会 の是非」と「自己責任原則」は全く別の論点であると考えております。

これは別の論点ではありません。学歴社会(=高学歴の人がしかるべき地位につく社会)というものが存在してるとして、
それを是とするならば、自己責任原則が背後になければならないはずです。
学歴が自己責任で選択しうる要素だから肯定できるのです。
身分差別のように、所与性(=自分ではどうしようもない不変属性)があるのであれば、学歴社会は肯定できないはずです。

>つまり、「キング牧師の活動が自らの暗殺を招いたことは全て牧師自身の責任である」とすることと、「牧
>師の主張が正しいか否か」は全く別であり、

この部分は同意できます。しかし、

>「学歴を望まないという選択をしたことにより、学歴が要求される様々な社会的状況により発生する結果を
>選択者の責任とする」ということと、「ある社会的状況において学歴を要求することの是非」も全く別であると思います。

この部分は同じです。 別ではありません。時系列で見て観察者の視点に違いがあるだけです。本質は同じです。

あなたの主張は
>また、遅れて志望した人はもう手遅れなのでしょうか。

という1文が象徴しているように思えるのですが、どのようなレベルで手遅れかということについて考えれば
結論は異なるでしょう。

キャリア官僚に50歳からなろうと思っても無理、というのは制度論の問題ですが
中学高校と勉強をさぼって、入った大学も3流私立大学か、駅弁国立大。でも自分は
キャリア官僚になりたい、というのなら、手遅れに近いんではないでしょうか。
そのハンディを克服するのは実際問題としてほとんど不可能でしょう。
ですから、そのような学歴であるにもかかわらず、学歴がある程度ものをいう世界に飛び込もうと思うのであれば
それ相応のハンディがあって当たり前なのです。

しかしながら自分が大学院入試の時に感じたことですが、
2・5流私立大学から一流と言われる国立大学大学院を目指すのは、大変でしたが不可能ではありません。
これは、自分がたまたまうまくいったから「勝てば官軍」の論理で言っているのではないのです。
所詮、優秀な学生に来てほしいわけですよ。教授からしてみれば。それで、試験の場で十分な実力を
発揮できなかったとしても、学部からその一流大学にいる人であれば、その学生の人となり等で
多少は下駄を履かせてもらえるという程度なのです。入学してみて実感しました。
大学院レベルにもなって、あほな学生はいらん、ということです。優秀な学生に来てもらえれば
指導も楽だし、自分へのメリットも大きいのです。優秀な学生に来てほしい。教授も企業の人事担当も
願いは一緒ではないでしょうか。学歴は目印にしかすぎないのです。ただ有効な目印だから
みんな重視するだけです。バスケの選手の優秀度は身長ではかられるだろうし、
大企業でビッグプロジェクトを動かせるような人間がほしいのなら、優秀度は学歴ではかられるだろう、と
言うことなのです。

学歴がものを言う世界というのがあって、その世界に遅れて飛び込もうという人は、
それなりのハンディがあってよいのです。なぜそのようなハンディを課すことが合理化されるか。
自己責任で選べたはずの学歴を取得しなかったからです。
わかっていただけましたでしょうか。

それ以外の点についてはまた今度にします


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名前:さすらいの風来坊
100年06月17日19時44分

 破面検見さん

 私もしばらく忙しくしており、久しぶりに覗きましたが、お忙しそうですね。
 
 前回の書き込みはあまりにも感傷的なりすぎたきらいもあり、論理的な的確な返答にならない部分がありましたので、改めて、あなたの書き込まれた以下の部分についてもう少し補足させていただきます。
 
>これら決定について、自己責任原則をそのままあてはめることは妥当なのでしょうか。
>学歴の問題に限らず、社会における様々な場面において、不利な選択を「決定」した場
>合、自己責任原則により選択から生じる全ての結果を選択者の責任に帰結させることは
>妥当なのでしょうか。例えば、白眼視されている特定の主義主張を掲げた場合とか(キ
>ング牧師、ガリレオ・ガリレイ等)。

 先に結論を述べてしまったようですが、私も自分のなした選択は自己責任に帰すべきものだと考えます。
 ただし、あなたがおっしゃる有利な選択をした場合についてもその自己責任を果たすべきということはいえるものと思います。確かに私はここで学歴についてはある意味で仕方がないあるいはマネージメントを果たしていく人間はそのための修行が必要で受験もそのひとつのプロセスであり、そのプロセスを経てきた人間がその立場につくのは必然の結果ではという主張を展開してきております。しかし、その選択が有利かあるいは不利かと言うことについては今のところ論じるつもりはありませんし、それはある意味で違った角度からの話にはならないでしょうか?

 つまり、私が言いたいことは、こうです。一流大学に行くという選択は本当に有利な選択なのでしょうか?そして、世間で言うところ有利な選択をした場合には責任がついてこないのか?または、その責任というものがいわゆる不利な選択をした場合と有利な選択をした場合のあいだでそれほどまでに大きいのかということです。
 その結果が常に普遍で、また帰結がはっきりとわかっていれば、別の見方もできましょうが、たいていの場合はよくわからない、のではないでしょうか。すなわちどれが有利でどれが不利かということはその時点の状況はわかっても、10年後、20年後はわからない。ですから、誰が責任を持つかといえば、本人が持つしかないのではないでしょうか。

 極端な、話をしますと、ある人が、官僚になって社会制度を作る立場になりたいと考えて(一生のほほんと暮したいかも知れませんが・・・笑)、全てを犠牲にして受験に打ち込み、めでたく東京大学に受かり、さらに大蔵省に主席で入省できたとします。19XX年に革命が発生し、現在の体制側にいる人たち全てが粛清されるということもありえるわけです。ま、あまり現実的ではありませんが、可能性がないとはいえないのではないのでしょうか?風来坊よ、とんでもない極論で逃げる気かと、思わないでください。ガリレオ・ガリレイは自分の観察結果に科学者として確信をもった。そしてプライドも持ったのでしょう。ただし、ひょっとすると他にも同じ事実を事実として隠し持っていた人間がいなかったとは断定できません。しかし、彼は時代に迎合し、ガリレオは迎合せずに通したため(ま、彼も最終的には合わせるわけですが)、以後彼の名が地球上に残るという栄誉を手に入れるわけです。

 話が大きくなりすぎましたが、いずれの場合にも自分の選択には自己責任を求められるべきだと思います。重要なのは、選択肢が広く開かれているかどうかということだと思います。

 と、ここまで書いてきて、ふと思ったのですが、同じ大学を選択するとしても文科系を選択するのか理科系を選択するのかで話が変わってくるのではないかと、思い出しました。全くの蛇足で、論点がずれますので、無視していただきたいのですが、なんだかそんな気がしました。要点は次のとおりです。

 技術系の場合、本人の学んできた事がそのまま本人の実力のような気がするのですが、違うでしょうか。誤解していただきたくないので、もう少し書きますと、技術的な部分だけでは評価されるべきではありませんが、技術職の場合は少なくとも各自の技術のプロたる知識がなければ話にならないと思います。別に、文科系を差別するわけではないのですが、その知識の如何が露骨に日常の業務の中で顔を出してくるのは技術的な業務についている場合ではないかと思ったまででです。

 たとえば、自己責任を救済するために、国が後々の針路変更を無条件で認めたとします。これが、特に、技術系の場合はなかなかうまい具合にクリアーできないのではないか、なんて思ってしまいました。

 すみません、最後にぜんぜんとんでもない話をしてしまいました。
 

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名前:破免検見
100年06月17日18時57分
さすらいの風来坊様、たまごっち様>
大変遅くなりました。
現在、大変忙しい状況ではありますが、12日に予定していた書き込みが今日まで延びてしまいました。
まずはこの点につき、お詫び致します。

さて、それではそれぞれの方に私の意見を述べさせて頂きます。

まずは、さすらいの風来坊様>

>貴重なご意見をありがとうございます。私の基本的な意見は前回書き込んだとおりで、基本的に
>は私が定義付けた学歴社会に対して肯定的あるいは仕方がないんじゃないの、というスタンスに
>変化はないつもりです。しかし、正直なところ疑問を抱き始めているのも事実ではあります。 
>ただ、これを認めてしまうということは、自分自身を否定してしまうことにもなりかねませんから・・・

私の前回の投稿にも似たようなことを書きましたが、誤解を招く可能性は極力払拭しておきたいの
でもう一度書くことにしますが、私は学歴社会の問題点を述べることにより、高学歴者を否定する
つもりはまったくありません。あくまで、「学歴社会」の問題点を述べているのです。
ただ、学歴社会が否定されることにより自分自身が否定されるように感じられる方がいるとしたら、
学歴社会が肯定されることにより自分自身が否定されるように感じる方もいるかもしれません。
それなら、なおさら私は学歴社会には問題があると思います。

>ただ、一流会社と”現在”言われているところに就職しゆくゆくはその経営層に尽きたい、あ
>るいは、高級官僚を目指して日本の政策立案にかかわりたいという人生設計をする人たちと限
>定すれば成り立つのではないでしょうか?

ROMの方々への補足////////////
この部分は、さすらいの風来坊様が
『昭和50年代以降、能力と意欲さえあれば、家庭の事情などの進学を困難にさせる状況に影響
を受けることなく大学に行けるようになったから、一流大学卒業のレッテルというのは無意味で
はない』
と述べたことに対して、私が
『上記の主張は、「全ての人が一流大学に進学することを望んでいる」という考えが背景になけ
れば成り立たない』
と述べたことに対する反論です。
//////////////////補足終了

一流会社の経営層や高級官僚は、全社員の生活を保障し国益を追求しなければならない立場ですから、確
かにその立場に見合う能力が要求されると思います。しかし、逆に言えば学歴が無くとも、その能力があ
れば良い訳ですから、一流大学卒業か否かを問う必要はないと思います。
そこで、一流会社の経営層や高級官僚を志望し、その立場に見合う能力のある全ての人が、一流大学に進
学することを望んでいるのでしょうか。また、遅れて志望した人はもう手遅れなのでしょうか。

この話は突き詰めると自己責任原則の話になってきてしまうかもしれません。
自己責任原則については、たまごっち様へまとめてレスするつもりなので、お手数ですがそちらをご覧く
ださい。

>少なくとも、いい会社に入りたいだからいい学校にいきたいという発想をする人が大部分ではないでし
>ょうか?
>ただ、私は、この考え方にははなはだ疑問をもちます。いい学校に入れば、それですべてが終わるので
>すか?ということです。確かに、そういうたぐいの輩も数多く私の周りには存在しました。司法試験を
>目指したり、公務員試験を目指したり、また、自分の専門知識を深める努力をしたり(わたしは、工学
>部の出身です)、といった連中もたくさんいます。

いい会社に入りたいから、いい学校に入る。
このことがまさに、学歴社会の問題点をあらわしていると思います。
私もこの考えには疑問を持ちます。この点の意見は一致しています。

>再度確認させてください。少しわかりにくいかもしれませんが、私の主張は、以下のとおりです。学歴
>という言葉を使っていますが、私の理解ではその学歴を背負っている人は、その各自の目標に対してし
>っかりと努力をし修行を積んできた人であるに違いない、ということです。だから、学歴社会に対して
>も、是であるとしています。

しっかりとした努力や修行を積んできた証は、学歴しか有り得ないのでしょうか。
学歴を努力や修行の証明方法の一つとすることには何等の異論もありませんが、唯一の証明方法であると
することには疑問を覚えますし、そのことこそが私が学歴社会を否とする所以でもあります。

それから、10代で学ばれた知識を説明して頂き、ありがとうございます。
私は、それらの知識は学校以外でも学べる知識だと感じました。
ですから、やはり「その知識を特定の学校で学んだものに限る」とするのは問題があると思います。

>どうもあなたの基本的なスタンスは、学校教育で得られる知識に対してかなり懐疑的なのではないでしょ
>うか。そんなもの詰め込んで何になるんだというスタンスではないでしょうか?誤解であれば、申し訳あ
>りません。しかし、私の基本スタンスというのは、学校で学ぶ知識というのも捨てたもんじゃないし、か
>なり大事なことをやっているよ、というスタンスです。

私の学校教育で得られる知識に対してのスタンスは、「重要なものもあるし、そうでないものもある」とい
うものです。ただ、「その知識を特定の学校で学んだものに限る」とすることに異論があるのです。


><このように重要な自国の歴史について、現在の学校現場では単に過去の出来事の暗記に
>なっているようで、残念に思います。

> が、現実であるなれば、憂慮すべき事態であり、私の主張が根底から覆りかねないと考えます。
>この辺について、現状をレクチャーしてもらえれば、幸いです。(あ、テーマが変わるからだめか?^^)

私の経験からですが、私の受けた歴史の授業とは、「何年に・誰が・何をした」、または「何年に・何が起
こったか」というものでした。語呂合わせで年代を覚える方法(例:いい国(1192)作ろう鎌倉幕府)
等はまだやってるのかどうかは知りませんが、この様な方法は歴史の断片を覚えるだけだと思います。
今でこそ一つの事例が有機的に結合した部分もあるのですが、それはむしろ自分で興味を持って本などを
読んだりした結果であって、その様な経験がなければいまだに多量の断片的知識であって、それもいつかは
忘れて行くものだったと思います。



たまごっち様>

一つ確認しておきたいのですが、私は、自己責任原則について「興味深い」とは述べましたが、「学歴社会
の是非」と「自己責任原則」は全く別の論点であると考えております。

つまり、「キング牧師の活動が自らの暗殺を招いたことは全て牧師自身の責任である」とすることと、「牧
師の主張が正しいか否か」は全く別であり、「学歴を望まないという選択をしたことにより、学歴が要求さ
れる様々な社会的状況により発生する結果を選択者の責任とする」ということと、「ある社会的状況におい
て学歴を要求することの是非」も全く別であると思います。

以上を前提にして、以下では自己責任原則一般として話を進めたいと思います。

>18歳で自分の進む方向性なんて決まらないのがほとんどでしょうし、わたしもそうでした。
>でも、だからどうだというのでしょう。その場その場で一生懸命考えてある選択をしていくしかないのです。

自己責任原則では、「全ての責任を選択者に負わせることの是非」と「成人の選択と未成年の選択の質的相違
の存否」の二つの論点があるかと思います。
正直に言って、私は自己責任原則について、まだはっきりとした自分の考えが持てないでいます。
従って、前者の論点について是非とは言えないのですが、後者の論点については、漠然とした考えではありま
すが、成人と未成年では選択に質的相違が存在するのではないかと思います。
理由は、判断力の差ぐらいしか思い浮かばないのですが・・・。
もし、たまごっち様が質的相違は無いとお考えなら、その理由をお聞かせ願えたらありがたいと思います。

それから、
>>10代後半に自分が進む方向性を決めなかったからといって、決めなかった方向についての道が閉ざされてしまうのは
>>問題であると思います。

>と書いていますが、その場で主体的に選択を行わなかった方に責任を負わせなければ
>後でどこかに大変なしわ寄せがいくことになります。どこかの誰かがうまく処理するような社会では
>私たちは選択の自由が奪われることになります。

この部分、抽象的過ぎて私は理解出来ませんでした。もう少し具体的に説明して頂けないでしょうか。
すいません。

追伸
バンドやってたんですか。私もやってました。身を立てようとは思いませんでしたが。(^^;
ネットは従であり、実生活が主であります。論文がんばってください。

最後に、御二方へ
何度も言うようですが、私は現在大変忙しい状況にあります。
従って、次の返事もいつできるか正直言って自分でも分からない状態なので、返事が大幅に遅れること
もあるかもしれません。
御了承頂きたくお願い申し上げます。

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名前:たまごっち
100年06月10日04時39分
たまごっち(=学者の卵)です。

論文の作成というのは終わりがないところが、よいところであり悪いところでもあるなと実感する毎日です。

さて、いろいろと思うこともあるのですが、破免検見さんのこの部分につき・・・

>自己責任原則をそのままあてはめることは妥当なのでしょうか。
>学歴の問題に限らず、社会における様々な場面において、不利な選択を「決定」した場 合、自己責任原則によ
>り選択から生じる全ての結果を選択者の責任に帰結させることは 妥当なのでしょうか。
>例えば、白眼視されている特定の主義主張を掲げた場合とか(キング牧師、ガリレオ・ガリレイ等)。
>私は現在否定的ではありますが、まだ結論は出せません。興味深い問題です。

以前、この掲示板では、ダイヤと石ころ、どちらを選ぶかという話がありました。
石ころを選ぶというのは、上の書き込みでは「不利な選択を「決定」した場合」に当たります。

ところで不利な選択の責任を自己責任原則で処理できるかどうかについてですが、
「開かれた選択肢」が存在している場合、私は自己責任原則で処理するべきであると思います。

白眼視されている主義主張についてですが、白眼視されていたとしても、真理(=真理値)を巡る主張と
価値判断(=思想)を含む主張は、ある時点から見て、両者を同列には語ることはできません。
ガリレオ・ガリレイによる科学的真理を巡る白眼視される主張が実際に真実であったから、
自己責任原則を当てはめることにためらいがあるだけです。現在証明されていない科学的真理に対しては、
少数派の意見を述べようが、大勢に従った意見を述べようが、それは、その人の責任に帰すことができるはずです。

ところがキング牧師の例では、白人と黒人の人種統合がなされるべき(人種統合主義)、という価値判断が当時としては
白人から見て白眼視されるものでしたが、後に認知されるようになった、という「筋書き」が信じられていますが、
実際には、64年の公民権法と65年の投票権法という、人種差別撤廃運動の主要な目的が達成された直後に
黒人による人種暴動が発生しています。現在では人種統合主義と分離主義の両方がともに、一つの政治的態度として
認知されている状態なのです。相も変わらず教科書にキング牧師の逸話をのせ、ローザ・パークスの顔写真入りで
バスボイコット運動を紹介する、こんなことで俺たち黒人の誇りは守られるのか、
結局は、白人の「お仲間」に入れてもらって喜んでいるだけなのではないか、
という深刻な問いかけが、黒人自身からなされているのです
(シュレージンガーの「アメリカの分裂」を読むと理解が深まります)。

キング牧師の場合は、もともと黒人が人間として正しく扱われていなかったという状態があるから、多少、そこから
でてくる結論は異なりますが、一般には、ある選択(=ある主義主張をすること)がどのような結果をもたらすかは
たいていの場合不明ですから、選択の自由が開かれていれば、どのような選択をするのもその人の自由で、
自己責任を適用することができます。
あれもすることができるし、これもすることができる、でも、あれをやろう、という判断はその人自身のものです。
その選択が他人に迷惑をかけないものである限り、どちらを選ぼうともその人の自由でその人の責任です。
勉強をして一流大学にはいるのも、勉強はそこそこにクラブに打ち込むのもバンドに熱中するのもその人の責任です。

ちなみに私は、高校生の時はロックバンドで身を立てようと思いましたが、
今は大学の研究者を目指して大学院で学んでいます。幼稚園の時はタクシーの運転手になるつもりでした。
18歳で自分の進む方向性なんて決まらないのがほとんどでしょうし、わたしもそうでした。
でも、だからどうだというのでしょう。その場その場で一生懸命考えてある選択をしていくしかないのです。
ロックバンドに熱中していたために、私の高校の成績は最悪の時に612人中601番でした。おかげで大学入試は
ほんと苦労しましたし、今でもその時さぼったのが響いています。でもまあなんとかやってます。

大学受験は大変そうだからとりあえず専門学校かな、も選択です。
俺はばりばり商社マンになりたいから一流大学目指す!、も選択です。
目標なんてないけど、とりあえず潰しのきく法学部でも入っておくか、も選択です。
今すぐには決められないから、ちょっと1、2年立ち止まって考えよう、も選択なのです。
ですから、

>10代後半に自分が進む方向性を決めなかったからといって、決めなかった方向についての道が閉ざされてしまうのは
>問題であると思います。

と書いていますが、その場で主体的に選択を行わなかった方に責任を負わせなければ
後でどこかに大変なしわ寄せがいくことになります。どこかの誰かがうまく処理するような社会では
私たちは選択の自由が奪われることになります。



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名前:破免検見
100年06月07日21時16分
さすらいの風来坊様>

さっそくの御返事、ありがとうございます。
私の反論についてですが、現在大変忙しい状況なので、次回の書き込みは
6月12日(月)以降(なるべく12日に書き込めるようにするつもりで
す)となってしまいます。
御了承くださりたくお願い申し上げます。

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名前:さすらいの風来坊
100年06月06日19時41分
 
 破免検見さん
 貴重なご意見をありがとうございます。私の基本的な意見は前回書き込んだとおりで、基本的には私が定義付けた学歴社会に対して肯定的あるいは仕方がないんじゃないの、というスタンスに変化はないつもりです。しかし、正直なところ疑問を抱き始めているのも事実ではあります。 ただ、これを認めてしまうということは、自分自身を否定してしまうことにもなりかねませんから・・・

 さて、ひとつづつ私の見解を述べさせてもらいます。

<上記の主張は、「全ての人が一流大学に進学することを望んでいる」という考えが背景
になければ成り立たないと思いますが、私はこれに甚だ疑問を覚えます。

 ここで、ひとつお詫びがあります。少し私の言葉が足りなかったようです。私もすべての人がそれを望んでいるわけだとは、思いません。ただ、一流会社と”現在”言われているところに就職しゆくゆくはその経営層に尽きたい、あるいは、高級官僚を目指して日本の政策立案にかかわりたいという人生設計をする人たちと限定すれば成り立つのではないでしょうか?
 少なくとも、いい会社に入りたいだからいい学校にいきたいという発想をする人が大部分ではないでしょうか?
 ただ、私は、この考え方にははなはだ疑問をもちます。いい学校に入れば、それですべてが終わるのですか?ということです。確かに、そういうたぐいの輩も数多く私の周りには存在しました。司法試験を目指したり、公務員試験を目指したり、また、自分の専門知識を深める努力をしたり(わたしは、工学部の出身です)、といった連中もたくさんいます。

 すみません、話が脱線しました。
 再度確認させてください。少しわかりにくいかもしれませんが、私の主張は、以下のとおりです。学歴という言葉を使っていますが、私の理解ではその学歴を背負っている人は、その各自の目標に対してしっかりと努力をし修行を積んできた人であるに違いない、ということです。だから、学歴社会に対しても、是であるとしています。

 ここで、あなたの私に対する質問を書き込みます。
 私が10代で学んだ知識とは何ぞや?
 非常に厳しい質問です。しかし、誤解を恐れずに言うと、学校で学んだ知識、親兄弟からもらった社会で生きていくための知識そして人生哲学(それほど大層なものでもありませんが)、友人たちとの馬鹿なことをしながらの知識、そして読書を通しての知識すべてです。ただし、その中でも、特に学校で学んだいわゆる知育に関する知識です。たとえば、英語です。私は現在、回が担当の技術営業業務に従事しており、外国人相手にプレゼンテーション等を行う機会を与えられております。私自身、特に、英会話学校に通ったことはありませんが、何とかやっております。これなど学校時代の知識が非常に役立っております。こんな構文があったな・・・等々。また、歴史(あなたはどうも否定的なようですが、)、これなども高校時代に学んだ教科書の知識でもって、現在も対処しておりますし、その知識のベースがあるので比較的楽にいろいろな話について行けます。物理、科学、地学、生物すべてです。その基本知識があるので科学雑誌にもすんなり入っていけるし、いろいろな話にすぐに対処できるという風に感じております。これを今はじめると考えたらとてもではありませんが、私には少し、できかねると思います。10代だからこそできる他の大切なことがたくさんあることは否定しません。しかし、学校で学ぶ知識というのも10代だからこそではないでしょうか。
 
 大学というのは、学問を深めるところであると思います。ですから、その基礎たる学力でもって入学基準とするのは理にかなった話だと思います。また、その知識を磨く機会が各人に均等に与えられている以上、機会の平等は確保されているのでは、ないでしょうか。
 
 どうもあなたの基本的なスタンスは、学校教育で得られる知識に対してかなり懐疑的なのではないでしょうか。そんなもの詰め込んで何になるんだというスタンスではないでしょうか?誤解であれば、申し訳ありません。しかし、私の基本スタンスというのは、学校で学ぶ知識というのも捨てたもんじゃないし、かなり大事なことをやっているよ、というスタンスです。

 自己責任の原則については、私がこの議論を展開していく上で、暗黙の了解として考慮している要件です。これについても突っ込んだ意見交換をする必要があるやもしれませんね。

 追記ですが、

<このように重要な自国の歴史について、現在の学校現場では単に過去の出来事の暗記に
なっているようで、残念に思います。

 が、現実であるなれば、憂慮すべき事態であり、私の主張が根底から覆りかねないと考えます。この辺について、現状をレクチャーしてもらえれば、幸いです。(あ、テーマが変わるからだめか?^^)

 最後に、破免検見さん、反論をいただけてうれしく思っています。debateには必ずしも結論は必要ないと考えていますし、ここで議論してすぐに現状が変わるわけでは決してありません。ただ、議論を通じて、少しでも多くの人が問題点を共有していくということが、重要なことではないかと思っています。今後とも、よろしく、


 

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名前:破免検見
100年06月06日12時54分
さすらいの風来坊様>
はじめまして。破免検見と申します。以後宜しくお願いします。


>では、中卒・高卒はだめなのか?ということになりますが、時代を昭和50年代以降と
>することにより、私はだめだとします。なぜなら、それ以前の時代は大学に行く能力
>はあるし進学したい、しかし、家庭の事情等でどうしても無理だということが往々に
>あったようです。しかし、現在は違います。すなわち一流大学卒かどうかというもの
>さしではあるが、9年間+3年間の基本の修行期間をしっかりと身のあるものにしてき
>たかどうかということになるかと思います。だから、そういう意味で、一流大学卒業
>のレッテルというのは無意味ではないと、したいと思います。

全ての人が一流大学に入るための「修行」をしなければならないのでしょうか。
上記の主張は、「全ての人が一流大学に進学することを望んでいる」という考えが背景
になければ成り立たないと思いますが、私はこれに甚だ疑問を覚えます。

>18歳の時点で自分の将来を思い描くことは困難だし、その時点で人間を選別するのは
>機械のびょうどうにもとるという反論をされていますが、よくこの10代後半という年
>齢を生理学的に考えてみてください。もっともいろいろな知識を何の苦労もなく吸収
>できる年代ではないですか。これが20代後半を過ぎ、30代ともなってくると私も近頃
>実感するのですが、持続力も衰え、また記憶力の衰えを隠すことができません。10代
>に学んだ知識でやっています。10代後半に自分が進む方向性を決めるというのはある
>程度、理にかなっているのではないかと思います。
>ですから、私は、この時点での機会の平等が確保されている現在は、是であるとしま
>すが、いかがでしょうか?

私は人間の生理的機構にはあまり詳しくないのですが、10代後半乃至20代後半を過
ぎると人間の能力は努力しても高めることが出来なくなるのでしょうか。
確かに、10代後半は知識を吸収しやすい時期ではあると思いますが、10代後半に知識を
吸収しなかったことでその後の人生が決定されてしまうのはどうかと思います。
「10代に学んだ知識でやっています。」とのことですが、どのようなお仕事をなさって
いるかはもちろん私には分かりませんが、10代に学んだ知識とは、学校で学んだ知識な
のでしょうか、また、それは学校でしか学べない知識なのでしょうか。
もし学校以外でも学べる知識なら、「その知識を特定の学校で学んだものに限る」とす
るのは、機会の平等に反すると思います。

また、ちょっと細かいとは思いますが、私は「18歳の時点で自分の将来を思い描くこと
は困難」とは主張しておりません。ですから、「10代後半に自分が進む方向性を決める
というのはある程度、理にかなっているのではないかと思います。」との意見には同意
します。ただ、あくまで「ある程度」であり、それを「絶対」とするのは反対です。
早い時期から将来の目標を決めてそれに向かって努力をすることは、目標達成について
有利になりますが、これは当然ですし否定するつもりはありません。ただしそれはあく
まで有利不利の問題であって、10代後半に自分が進む方向性を決めなかったからといっ
て、決めなかった方向についての道が閉ざされてしまうのは問題であると思います。

以上が、とりあえず私の反論となりますが、「自分の進む方向性を決める」ということ
について、自己責任原則との関連で興味深く思います。
一流企業に入るには一流大学を出なくてはならないことについて、一流大学にはいるこ
とを目標とすることを「決定」する、また、一流大学に入らないことを「決定」する。
これら決定について、自己責任原則をそのままあてはめることは妥当なのでしょうか。
学歴の問題に限らず、社会における様々な場面において、不利な選択を「決定」した場
合、自己責任原則により選択から生じる全ての結果を選択者の責任に帰結させることは
妥当なのでしょうか。例えば、白眼視されている特定の主義主張を掲げた場合とか(キ
ング牧師、ガリレオ・ガリレイ等)。
私は現在否定的ではありますが、まだ結論は出せません。興味深い問題です。

それから、これは蛇足ですが、
>社会しかりです。どこの国のエリートが自分の国の歴史を知らずに通せましょうか?

この点につき、まったく同感です。自国の歴史とは、単に過去に起こった事実にとどま
らず、社会を構成し、また社会秩序に多大な影響を与える自国の「価値観」をもあらわ
すものだと思います。さらに、外交の場面においては駆け引きのカードとしても使われ
ます。
このように重要な自国の歴史について、現在の学校現場では単に過去の出来事の暗記に
なっているようで、残念に思います。

最後になりましたが、御紹介、まことにありがとうございます。
私は、ネット上で議論をするのに、参加者の背景を明らかにすることは必ずしも必要で
ないと考えております。参加者の背景を知ることで、その方の主張の趣旨を理解し易く
なることはあり、今回も一流といわれる旧帝大出身の方の生の意見であると分り、この
場の議題にも密接な関係があるとは思いますが、それでも反論するのはあくまで主張や
意見それ自体であり、参加者の背景により私の主張が左右されることがなく、またその
方自身を攻撃する趣旨は決してない、ということを私はネットで議論をする上でのモッ
トーとしており、この点ご理解頂けたら幸いです。
ちなみに、私は単なる私大生です。

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名前:さすらいの風来坊
100年06月03日12時33分
 風来坊です。

 ようやくというか論点はかみ合ったのではないでしょうか?
 破面検見さんに対する私の問題定義は次のとおりでしょうか?

 あなたが、たまごっちさんに対する回答で要約されているように彼の意見のポイントというのは、メタな思考能力が要求されるような仕事については、学歴によりよりその能力を評価されるのはいたし方がないということになろうかと思いますが、私はこの部分について彼と考え方を同じくするのであります。ただし、私の過去の主張でも書きましたが、十分条件であって必要十分とは思っておりません。すなわち、一流大学を出ていれば、無条件で昇進できるとは思っておりませんし、もし現状がそうであればそれは改善されるべきと思っています。(現状はそのようにはなっていないと感じております。)

 ではなぜかと問われれば、とりあえず以下のように回答しておきます。議論が拡散するといけないんで、ポイントを絞らせてもらいます。1by1で行きましょう。

 まず、一流大学の卒業生は、意見が分かれるところでもあるのですが、その入学前の3年間また義務教育の9年間において学問の基礎(論理的な発送をするためには絶対的に必要だと思います。)を叩き込まれ、また、その理解が相当程度以上に洗練された人種であるはずだと定義づけます。たまにそうでない人種も混じっているようですが、大方はそうだと信じます。確かに、私の友人で試験になるとそのときだけ異様に能力をはっきするという輩がいたのはいましたが、例外だと思います。だから学歴で判断するもやむなしといってしまうことも可能ですが、これでは、あなたの主張に対する有効な回答になっていないことは、私も承知しております。では、中卒・高卒はだめなのか?ということになりますが、時代を昭和50年代以降とすることにより、私はだめだとします。なぜなら、それ以前の時代は大学に行く能力はあるし進学したい、しかし、家庭の事情等でどうしても無理だということが往々にあったようです。しかし、現在は違います。すなわち一流大学卒かどうかというものさしではあるが、9年間+3年間の基本の修行期間をしっかりと身のあるものにしてきたかどうかということになるかと思います。だから、そういう意味で、一流大学卒業のレッテルというのは無意味ではないと、したいと思います。
 社会に出て必要なんかないじゃないかとか、いろいろ言われる教科もたくさんありますが、その一つ一つすべてが教養といわれるものの基礎ではないでしょうか。
 数学を学ぶことにより論理的な思考能力を身に付ける訓練をしていますし、学校英語なんてという人もいますが、その学校英語の知識なしにはブロークンなとてもとても世界の経営層を構成する人々とまともに議論できるような英語は使いこなせないでしょう。社会しかりです。どこの国のエリートが自分の国の歴史を知らずに通せましょうか?
 18歳の時点で自分の将来を思い描くことは困難だし、その時点で人間を選別するのは機械のびょうどうにもとるという反論をされていますが、よくこの10代後半という年齢を生理学的に考えてみてください。もっともいろいろな知識を何の苦労もなく吸収できる年代ではないですか。これが20代後半を過ぎ、30代ともなってくると私も近頃実感するのですが、持続力も衰え、また記憶力の衰えを隠すことができません。10代に学んだ知識でやっています。10代後半に自分が進む方向性を決めるというのはある程度、理にかなっているのではないかと思います。
 ですから、私は、この時点での機会の平等が確保されている現在は、是であるとしますが、いかがでしょうか?

 反論をお待ちします。

 追伸 :それと、自己紹介が遅れましたが、年齢は30代後半に差し掛かっており、バブルだったといわれている好景気の時代に突入する直前に、世間では一流といわれている関西の某旧帝大の某国立大学を卒業したものです。

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名前:たまごっち(=学者の卵)
100年06月02日13時49分
なんで破免検見さんや風来坊さんのような人が今まで現れなかったのでしょう!
すばらしい!本当にすばらしい!特に破免検見さんの議論の要約の仕方は
実にこなれたものを感じます。実にすばらしいです。
この掲示板で初めて理論的な対立が生じましたね。忙しいのですぐには無理ですが
またがんばって反論します。

それでは

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名前:破免検見(はめんけみ)
100年06月02日07時34分
たまごっち様>
お返事ありがとうございます。

>新しい人が入ってくると、再び自分の考えを説明する機会が与えられたようで
>なんだかうれしいです。忙しくしていますが、がんばります。

議題が初めて提案された時からだいぶたっており、途中から参加するのには気が引けたんで
すが、そう言って頂けると安心します。ありがとうございます。

さて、<100年05月31日15時08分>の投稿に反論させて頂こうと思います。

先の投稿の趣旨を要約させて頂くと、
「世の中の仕事にはメタな思考が要求されるものと、そうではない仕事がある。
一流大学卒の人間にはメタな能力を持っている人間が多い。
したがって、メタな能力が要求される仕事において、学歴によりその能力の存否を判断する
ことは合理的であり、これを学歴社会というのならそれを許容する。」
ということになるかと思います。

このことについては同意できる部分もあります。
ぶっちゃけた話、大学の名前で頭の良し悪しを判断すると言うことだと思いますが、それを
全く否定するつもりは無いのです。従来の試験の方法でどの程度頭の良さが判断できて、ま
たそれが本当に正確なものなのかについては疑問が残らないでは無いのですが、「一流大学
卒の人間にはメタな能力を持っている人間が多い」という仮定には納得できる部分もあり、
そのことを人間の能力を判断するうえでの基準の一つとすることにはなんの問題も感じませ
ん。
しかし、学歴を人間の能力を判断する基準の一つでは無く、能力を審査してもらうためにク
リアーせねばならない基準、ないし能力の判断にあたって重大な影響を及ぼす基準と扱って
きたからこそ、学歴社会に問題点があると言われてきたのだと思います。

>1:早稲田、慶応、上智の連中は時事問題等に対して、自分の言葉で問題を考え、自分の意見を
>  表明できるが、それ以下のレベルになると単に新聞の論評をなぞるだけ。
>2:学歴完全不問の企業(確かソニー・ミュージックと思います)でも、
>  ふたを開ければ、早稲田、慶応が大勢を占めている。

一流大学には自分の言葉で自分の意見を表明できる人が多い、ふたを開ければ一流大学出身
者が大勢を占めている。それはそれで良いんです。
ただ、中卒にも自分の言葉で自分の意見を言える人がいるでしょうし、一流大学出身者が大
勢を占める中で中卒が頑張ってるかもしれません。メタな能力のある中卒もいるでしょう。
学歴社会の問題は、中卒には機会が与えられない、中卒には「ふた」が閉められているとこ
ろにあるのです。
最近は徐々に変化しつつありますが、今までは確かに学歴で能力を判断し、また学歴を能力
審査を受けるための一種の資格証明と扱ってきました。
しかしそれは、学歴がなければ能力評価の機会が与えられないことを意味し、能力評価に
少しでも有利な「ワンランク上」の大学に入るための、いわゆる「受験戦争」を生み出しま
した。受験戦争については肯定される方もいるでしょうが、私がここで問題にしたいのは受
験戦争の良し悪しではなく、能力評価を受けるためには皆、受験戦争を経験しなければなら
ないということです。
受験戦争という形態に順応できる人は良いと思いますが、そうでない人は受験戦争を継続す
ることにより精神的負担が大きくなり、それに耐え切れなくなり受験戦争から距離を取れば
「レールから外れる」、としてより大きい精神的負担を受ます。
また、人間の能力は努力により高めることが出来るという考え方を肯定するなら、十代後半
に出る受験戦争の結果としての学歴が、一生能力評価についてまわることも甚だ問題です。

近頃、社会構造において求められる「平等」について、結果の平等から機会の平等へと叫ば
れていますが、学歴で能力評価を行うことを是認すると言うことはつまり、機会の平等とは
「一流大学に入れる機会の平等」ということになってしまわないでしょうか。

学歴で能力を判断することは確かに、能力を判断する者の負担を軽くし(主に採用担当者)、
なおかつ採用結果についてある程度の妥当性が確保できるという面においては合理的ですが、
社会全体という面で考えてみれば、上記のような様々な不合理が発生してきたのだと思います。
また、企業の側にとっても、採用にあたって大学名を不問にする企業が増えていることは、
学歴で人を評価することを不合理だと認識し始めたということではないでしょうか。

極論ですが、合理性を追求するなら幼児期に知能テストをやって、その結果に応じて教育を
施し、職業に就けた方が合理的です。しかし、このような社会を望む人がいるでしょうか?
おそらく多くの人が反対するでしょうが、その時反対の理由になるものが、おそらく学歴社
会にもほとんどあてはまると思います。

>学閥の弊害を指摘する向きもありますし、私自身も学閥を無反省に肯定する気はありませんが、
>基本的にはそれほど問題が生じているとは思えません。単に同郷の人間同士の結びつきが強い、というレベルで
>捉えた方が健全であると思いますし、本当に何の資格も能力もない「アホ」が、学歴だけで昇進するような会社って
>そんなに多いのでしょうか。

確かに、「アホ」が学歴だけで昇進することは無いでしょうが、学閥の問題は、同等に優秀
な者が複数いる場合において、「同じ大学出身」と言うことを理由として選抜がなされるこ
とだと思います。「同郷の人間同士の結びつき」と聞くと藩閥政治を連想してしまいますが、
藩閥も学閥も、出身地や学歴が一種の身分として扱われていると思います。

それから、国Tの問題が出ていましたが、これは記述試験用の問題みたいですから2次試験
に出題されたものだと思います。
2次試験に進むためには1次試験に合格しなければなりませんが、その1次試験は知識を問
う試験です。要は知ってるか知ってないかです。
また、国Tで需要なのは1次試験で、2次は平均点でよいそうです。

現在論文執筆中とのこと。さぞお忙しいことと思います。
私も正直いって忙しいのは同様なので、ゆっくりいけたら嬉しいと思います。

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名前:たまごっち
100年06月01日14時46分
たまごっち(=学者の卵)です

> その時点から、ここでの論点であるところの是非を問うというところに持っていきたいと思います。
>
>  で、私の結論としてはどうもたまごっちさんと同じ結論です。

なるほど。ということは、私が書いていたのは一足飛びであったというわけですね。
俎上にあげるべき事実を指摘してから、その是非を問う、という二段階ですね。もっともな話です。
まあ、高学歴の人が一般に昇進しやすいとか、学閥が形成されて有利になることがあるというのは、
これはもう紛れもない事実ですから、学歴社会というのは存在しますね。
それでもって、そのようなものを学歴社会というのであれば、それは社会問題の一種として
批判の対象となるようなものではありません、というのが私の書き込みの本旨なのでした。

> しかし、そのようなタイプの人種ばかりでは社会が成り行かなくなるので、
> 各自の能力に応じた、ある意味での国民の選別というのは必要ではないかと考えています。

ちょっとこの意味が分かりませんのでまた教えてください。

ところでクワトロ大尉ってだれなのですか?

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名前:さすらいの風来坊
100年06月01日12時44分
 たまごっち さん

 リプライをありがとうございます。
 どうもあなたと私の論点がかみ合っていないようです。先のかきこにて、私は私が考えるところの学歴社会は存在するのでは、ということを主張いたしましたがそれについて否定も肯定もしておりません。
 ここで、私が考える学歴社会の定義とは、採用試験あるいは昇進において一流大学の卒業生が必要以上に優遇されている実態としておきます。「必要以上に優遇」というところは、私自身も少し言いすぎかな??、というきがしますし、必ずしもよい表現ではないことを認めつつ私の語彙では説明しきれないところをお詫びします。しかし、このように定義付けておきます。
 さて、あなたもおっしゃているようにメタな思考能力を身に付けた人種に一流大学の卒業生が多いというのは、厳然とした事実であると私自身感じています。また、その能力ゆえに非常に難解な上級職試験にも合格できるのであると思います。もっというと、我々よく歩留まりという表現を使います。実際に会社に貢献できるような社員に育つ確立のことをこう表現するようですが、この歩留まりが出身大学の偏差値に比例する場合が多いということをよく聞きます。自分の周りでは、人それぞれですが・・・!しかし、昔と違い能力があれば誰でも大学にいける時代ですから、この確率は昔以上に高くなっているのではないかという気がします。で、話がそれつつありますので、話を戻しますと、このように考える人間が私を含めて多数いるので、私は、学歴社会というのは存在しているというスタンスを取ります。
 その時点から、ここでの論点であるところの是非を問うというところに持っていきたいと思います。

 で、私の結論としてはどうもたまごっちさんと同じ結論です。

<そのため、学歴で選抜する方が合理的なこともある」とだけ言っておきたいと思うのです。

 私もこの点についてまったく同感です。そして「それでいいのだ」と感じています。

 私の切り口としては、国家あるいは大企業の経営層としてはメタな思考能力を持った人間がマネージャーとして評価されるべきだと考えます。しかし、そのようなタイプの人種ばかりでは社会が成り行かなくなるので、各自の能力に応じた、ある意味での国民の選別というのは必要ではないかと考えています。

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名前:クワトロ大尉
100年05月31日23時24分
どうも皆様こんにちは。気分転換に名前変えてみました。
卵君も本格的にここに戻ってきたので、久々に私も真面目に書き込んでみますぅ。
わたくしもまがいなりに公務員を目指している一大学生なんですが、
最近公務員試験の勉強をしていてつくづく実感するのが、
国家一種試験の問題の難しさ。
もっとも、私自身国一(キャリア)をを目指しているわけではないのですが、
国一の問題を目にしたときそのあまりの問題のレベルの高さに、
官僚の学歴以前に官僚になるために求められている能力の高さと言うものを
感じさせられます。まあ、だからといって今の官僚制度を全面的に肯定する
わけでもありませんけどね。
しかし、こういうのを見ている限り、卵君が以前から言っていたように、
一流大学の人間が然るべき地位につくという前提に心から納得させられますね。

大蔵省とかに限らず官僚に東大の人間が集中してしまうのはもう仕方のないことかも
知れません。普通の大学生では国一の問題なんか手も足も出ないでしょう。
だって、普通の大学ではそのレベルに達する学生は集まるわけもなく、また育成するのも
不可能に近いでしょうからね。まあ、可能性はゼロとは言いませんが限りなくゼロに近い
状況でしょう。

とまあ、昔は私も学歴を少なからず批判していたモンの一人ですが最近、卵君が言っていた
ことの十分の一くらいは理解できたような気がします。


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名前:たまごっち
100年05月31日15時08分
たまごっちです。

新しい人が入ってくると、再び自分の考えを説明する機会が与えられたようで
なんだかうれしいです。忙しくしていますが、がんばります。

風来坊さんと破免検見さんは、

> 実際の社会では必ずしもそうではないよ!と言う事を指摘しておきます。

というスタンスで、また、

>国家公務員のキャリアに中卒がなれるとお考えですか?
>大蔵省に東大出身者が多く、大蔵省事務次官経験者に東大出身者が圧倒的に多いのは偶然でしょうか?
>また、銀行においては、大蔵省との折衝担当部門に東大出身者が多く、
>多くの頭取はその折衝担当部門出身であることはどうお考えですか?

という考えにおいて共通すると思いますので合わせてお答えします。

上に指摘されたような事実についてですが、それを学歴社会であるというのであれば
私は「それでイイノダ」と思っています。以前の書き込み(既になくなっていますが)において
私は、浅羽通明の著書を引用しましたが、そこでは、企業の採用担当者の
言葉が引用されて、おおむね、次のように書かれています。

1:早稲田、慶応、上智の連中は時事問題等に対して、自分の言葉で問題を考え、自分の意見を
  表明できるが、それ以下のレベルになると単に新聞の論評をなぞるだけ。
2:学歴完全不問の企業(確かソニー・ミュージックと思います)でも、
  ふたを開ければ、早稲田、慶応が大勢を占めている。

また、私自身は、2・5流の私立大学から、1流(と世間では言われている)の国立大学大学院に進学し、
その間8年間にわたって、学習塾で多種多様な学生やその保護者と接する機会を得ました。そこで私は次のように
思うようになりました。

問題(数学の応用問題から社会政策に至るまで全ての問題を含めて)に対して、
どのような発想が必要で、一体なにが問われていて、どのような視角で切り込むのが最も適切なのか、
また短期的にはマイナスでも長期的にはプラスに転じるような選択肢を見抜き、それを正しく選ぶような能力、
これを、メタな(思考)能力と定義すれば、これを持っている人は、一流大学卒の人間に多い、といって
ほぼ間違いなかろう。私はこのように考えています。そして、そのような能力が特に必要とされている仕事と
そうでない仕事がある。企業上層部や、国1のキャリアにはそのような能力が求められています。
ちなみに95年の国1の2次試験は、
「次の4つの政策の内どれか1つを緊急の課題として選択しなければならないとすればあなたは何を選びますか。
どれか1つを選べば残りの3つに悪影響が及ぶことが考えられるが、その点にも
言及しつつ、あなたの選択が最優先であるという理由を述べよ(制限時間120分)」

1:先進各国と協調し、先進各国の安定的な経済成長と安全保障を実現することによって国際社会の平和と安定を維持するように  
  つとめること
2:我が国が率先して発展途上国を援助し、飢餓と貧困の解消や識字率の上昇などにつとめることによって、所得の南北格差を少
  しでも縮めること
3:炭酸ガスの排出制限や森林資源の保護に積極的に取り組み、迫りくる地球環境の悪化を防ぐことによって、将来の世代に豊か
  な地球を残すこと
4:我が国の社会資本の充実、都市環境の整備、医療・福祉制度の改革、生涯教育の充実などに努めることによって、迫りくる長
  寿社会に備えること

彼らはこのような問題を突破した人たちです。落としどころを勘案しつつ事なかれ主義に埋没しているのであれば
とうていこの問題には正解は得られないでしょう。(もちろん私にはこんな高度な問いは解けるはずはありません)

学閥の弊害を指摘する向きもありますし、私自身も学閥を無反省に肯定する気はありませんが、
基本的にはそれほど問題が生じているとは思えません。単に同郷の人間同士の結びつきが強い、というレベルで
捉えた方が健全であると思いますし、本当に何の資格も能力もない「アホ」が、学歴だけで昇進するような会社って
そんなに多いのでしょうか。私自身は学生(大学院生)ですが、漏れ聞くところの企業社会とは、もっとシビアであると
聞いています。まあ、この種の議論になると水掛け論(最近の若者は無礼!>いやこの前バスで座席譲ってもらった!の
類とおなじ)に陥るのが常ですからやめておいて、ここでは「上に立つ者とそうでない者では求められる能力に違いがある、
そのため、学歴で選抜する方が合理的なこともある」とだけ言っておきたいと思うのです。
車やコピー機のセールスで、営業車に乗って飛び回るのであれば、体力や人付き合いのマナー、如才なさ、の方が、
学歴なんかよりも(メタな能力なんかよりも)ずっと大事でしょう。

とりあえず今日はこれで勘弁して下さい。(論文やらなきゃ)


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名前:破免検見
100年05月31日01時03分
このページの参加者・ROMの皆さん。はじめまして。
「学歴社会の是非を問う」というタイトルのこの場所で、学歴社会の存在そのものを否定する意見が主流となっているようですが、私はこの考えには賛成できないので、反論をさせて頂きたいと思います。

改めまして、たまごっち様、はじめまして。

>学歴に応じて社会的身分が固定化されるような社会のことです。
>しかし、そのような現実がない。

「社会的身分が固定化」の具体的内容が分からないのですが、私は少なくともある特定の社会的地位において、学歴による差別が行われていると思います。
たてまえは抜きにして、国家公務員のキャリアに中卒がなれるとお考えですか?
大蔵省に東大出身者が多く、大蔵省事務次官経験者に東大出身者が圧倒的に多いのは偶然でしょうか?
また、銀行においては、大蔵省との折衝担当部門に東大出身者が多く、多くの頭取はその折衝担当部門出身であることはどうお考えですか?

>また、社員募集の広告欄にある、 「経験者優遇」と本質的には区別できない。

形式的には一種の資格とみなせるでしょうが、本質的にこそ全く違うものだと思います。
「経験」とは当然、社員を募集する特定の業種・職種についてのものであるはずです。
プログラマーを募集するのに、調理人の経験を問題にはしません。
「学歴」とは特定の業種・職種についての経験ではありません。
もちろん、社員募集にあたって学歴を判断材料の一つにすることを否定するつもりは毛頭ありませんが、これまでは判断材料のなかで学歴が過剰な位置を占め、それがため学歴社会と言われるようになったのではないでしょうか。

>だから、学歴社会、という 問題の建て方自身がもう意味がない。

上記の様な理由で、学歴社会という問題の建て方は意味があると思いますが、いかがでしょうか?

学歴社会の問題とは少し離れますが、

>不祥事の多くは末端の、現場の警官が怠慢によって起こしたものです。
>あなたが、おそらくは標的としている一流大学卒の人間は、このような現場にはいないでしょ
>う。
>(末端の現場の人間だけが悪で、現場にいない一流大学卒の上層部は避難される筋合いはな
>い、と
>書いている訳ではないし、末端の人間はミスをするが上層部はミスをしない、と書いているわけ
>でもないので誤解なきよう。現場の警察官に対する敵意と上層部に対する盲目的信頼を
>意味する文章ではありません。)
>現場の不祥事をもみ消した一流大学卒で構成される警察官僚や上部組織が悪いというのならば、
>それは警察システム、官僚システム全体の問題になるのであって、やはり学歴社会とは関係ないですね。

警察システム、官僚システムの問題は確かに大きな問題です。
ですが、末端の、現場の警官の不祥事が怠慢によるものでシステムの問題ではなく、警察官僚や上部組織の不祥事がシステムの問題であると言うのはどういう訳でしょう?
私は末端の警官の不祥事にも警察・官僚システムが大きく影響していると思いますが。

>私も官僚システム一般には、無反省に肯定できない問題を感じます。ただ、官僚を目の敵にす
>る
>連中が多すぎて、がんばっている人に対する正しい賞賛ができているとは思えないので
>警察官僚にしても大蔵官僚にしてもちょっとかわいそうとは思っています。

全く同感です。マスコミは「権力」を監視し、国民に判断材料を提供することがその本来の目的であるはずですが、近頃はもっぱら攻撃を目的とする新たな「権力」となってしまいました。その攻撃目標にさらされた人はとても気の毒だと思います。

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名前:TT(たまごっちマニア)
100年05月25日23時18分
最近テスト勉強に明け暮れてて、全然ここの掲示板に顔を
出さなかったTTです。あるおっさんが私に催促してきたので
ちょっと様子を見に来たら何と!ほとんどの掲示板が一歩べぇに
よって凍らされているではありませんか。一歩べぇ もう少し
論点をはっきりした矛盾の無い物を書きなさい!
みんな一応見てるんだからね。当分「べぇ」の称号は外れそうもないな・・・

風来坊氏へ

>しかしながら、理論的にはあなたがおっしゃるように学歴社会というものが存在しない(あな
>たが述べられるように採用に際する経験者優遇のようなもの、という意味で、)と言う事に同
>意できるのですが、実際の社会では必ずしもそうではないよ!と言う事を指摘しておきます。

>まず、第一に学生の就職に際して、一流大学卒業生が優遇されるのは、厳然とした事実です
>し、私自身もそのようなスタンスで、後輩達を「とりあえずは」みております。また、自身も
>某旧帝大の卒業生ですが、色々な意味で便宜を受けてきました。ひとつの例として、当社でも経営層に近い所に出世している人の数は旧帝大出身者が圧倒的に多いのですが、そういう人たちに後輩だからと言う事で仕事を離れた部分でも付き合いを持つ事が出来、そのための恩恵も多数被っています。これなど、外部から見れば、学歴社会というものではないでしょうか。

>また、採用時の話ですが、本人の実力を見極めてといいますが、何に基づいて判断するのでしょうか?また、出来るのでしょうか?わずかばかりの面接で人格まで、評価など出来るわけがありません。いきおい学力試験によるか(公務員の採用試験のように)あるいは縁故によるのかしかないのでしょうか?
>この試験というのが、曲者です。当然一流大学の出身者は彼らなりに一流の受験術というものを身につけています。これが、学歴社会の実態ではないでしょうか。

>ちなみに役所では、この採用試験時の成績が一生ついて回るそうです。ある私の友人がそのように嘆いておりました。民間企業では、こうはいきませんが・・・^^

>そのような意味では、学歴社会というものは存在すると思います。

別にたまごっちの味方でもないけど、マニアの私から言うと
貴方の言っている事はすでにたまごっちが言ってて、私を含めた
みんなに叩かれてたな・・・(上の引用した部分のことね。)



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名前:さすらいの風来坊
100年05月25日13時48分
このページでは、はじめまして、風来坊です。さすらいついでにこのページにもやってまいりました。

さて、一歩くん、相変わらず前時代的な資本家と労働者の対立軸を基本とした発想をされているようですね。しかし、現在の日本で実際問題として労働者から資本家(大企業もしくは官僚になるのでしょうか?)が搾取しているという図式が成り立つのでしょうか?
私の見解は、否、です。おそらくあなたも感情的には、それに同意せざるを得ないとお考えなのではないでしょうか。どうも、わたしにはあなたの考えが、こていかしあ資本家と労働者の対立という図式を維持するために学歴というものの考え方を無理矢理持ってきているような気がしてなりません。最近になってから立ち寄っていますので、初期の頃にあなたが何がしかの意見を書いていたのであれば申しわけありませんが、どうもあなたがいわんとしていることがよくわかりません。誤解を恐れずに言うと、あなたが学歴社会を否であるとしているのはわかりますが、否であるとしている理由がはっきりしません。そのへんをはっきりさせていただけないでしょうか?

たまごっちさん

あなたがおっしゃる意見に原則的に同意致します。ただし、一歩くんとの議論は客観的に見てかみ合っていないようなきがしますし、また、かみ合う事はないような気がします。5/24付けのあなたの一歩くんに対する反論は一歩間違うととんでもない誤解を生じると思いここに文章を書き始めたのですが、訂正されたようですので、それについては筆を置きます。

しかしながら、理論的にはあなたがおっしゃるように学歴社会というものが存在しない(あなたが述べられるように採用に際する経験者優遇のようなもの、という意味で、)と言う事に同意できるのですが、実際の社会では必ずしもそうではないよ!と言う事を指摘しておきます。

まず、第一に学生の就職に際して、一流大学卒業生が優遇されるのは、厳然とした事実ですし、私自身もそのようなスタンスで、後輩達を「とりあえずは」みております。また、自身も某旧帝大の卒業生ですが、色々な意味で便宜を受けてきました。ひとつの例として、当社でも経営層に近い所に出世している人の数は旧帝大出身者が圧倒的に多いのですが、そういう人たちに後輩だからと言う事で仕事を離れた部分でも付き合いを持つ事が出来、そのための恩恵も多数被っています。これなど、外部から見れば、学歴社会というものではないでしょうか。

また、採用時の話ですが、本人の実力を見極めてといいますが、何に基づいて判断するのでしょうか?また、出来るのでしょうか?わずかばかりの面接で人格まで、評価など出来るわけがありません。いきおい学力試験によるか(公務員の採用試験のように)あるいは縁故によるのかしかないのでしょうか?
この試験というのが、曲者です。当然一流大学の出身者は彼らなりに一流の受験術というものを身につけています。これが、学歴社会の実態ではないでしょうか。

ちなみに役所では、この採用試験時の成績が一生ついて回るそうです。ある私の友人がそのように嘆いておりました。民間企業では、こうはいきませんが・・・^^

そのような意味では、学歴社会というものは存在すると思います。

私の意見ですが、最初の成績がついて回るというシステムは改善されるべきではないでしょうか。でも無理か、減点主義に基づく人事が続く限り。


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名前:たまごっち
100年05月25日11時24分
たまごっちです。

急いで書いたので、前回の投稿に誤読を招く文章がありました。
訂正の上、再掲します。
XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX

ちょっといろいろ忙しくもしているんでまあ、順番にゆっくりいくのがいいと思います。
長くなりすぎるのも、周りは疲れるでしょうし。

> ここでは私は表題に従ってまずは「学歴社会」とは何かということについて
> 書いているにも関わらずあなたはあるべき社会の姿についてコメントされています。
> もしあなたが引用された私の文章の個所についてご批判されるのならばあなたの考える
> 「学歴社会」の定義について明記しなければ無意味であるとご忠告致します。

学歴に応じて社会的身分が固定化されるような社会のことです。
しかし、そのような現実がない。また、社員募集の広告欄にある、
「経験者優遇」と本質的には区別できない。だから、学歴社会、という
問題の建て方自身がもう意味がない。

> >「その効果に疑問を提起せざるを得ない状況」ってどんな状況ですか。
> たとえば最近の警察官僚の不祥事や経企庁の景気判断の誤りなど挙げればきりがないので、
> この程度にします。

それは学歴社会の問題ではありません。あえて言えば自尊心の問題でしょう。
一応気を使って「警察官僚」という言葉を使ってあなたは書いていますが、
不祥事の多くは末端の、現場の警官が怠慢によって起こしたものです。
あなたが、おそらくは標的としている一流大学卒の人間は、このような現場にはいないでしょう。
(末端の現場の人間だけが悪で、現場にいない一流大学卒の上層部は避難される筋合いはない、と
書いている訳ではないし、末端の人間はミスをするが上層部はミスをしない、と書いているわけ
でもないので誤解なきよう。現場の警察官に対する敵意と上層部に対する盲目的信頼を
意味する文章ではありません。)
現場の不祥事をもみ消した一流大学卒で構成される警察官僚や上部組織が悪いというのならば、
それは警察システム、官僚システム全体の問題になるのであって、やはり学歴社会とは関係ないですね。

経済企画庁の予測がはずれる問題は、基本的に因果関係の相互循環があるので、
ここで議論しても意味がありません。官僚システム一般に対する批判ならいいですけど。
私も官僚システム一般には、無反省に肯定できない問題を感じます。ただ、官僚を目の敵にする
連中が多すぎて、がんばっている人に対する正しい賞賛ができているとは思えないので
警察官僚にしても大蔵官僚にしてもちょっとかわいそうとは思っています。

一応書き逃げしないのが私の主義なんで、返信だけしときます。今回はこれでいきましょうか。

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名前:一歩くん
100年05月24日00時56分
5月1日の学者の卵さんへ
>あのね、言っていることが前段と後段でばらばらよ。
>様々な主張が認められているんだったら、
>「俺は東大生だぜ〜!」>「ああ、そうなの?偉いんだね」で終わりだよ。
>それは実にすばらしい世の中なんだから、学歴によって社会的地位が決定される、というよう
>な問題の建て方をしなくていいんです。東大生を正しく賞賛できる一方で、
>たとえ学歴的には「ぼろぼろ」であっても、自尊心をもった存在として
>生きていける世の中であればいいのですよ。
どうも学者の卵さんは他人の文章をねじまげて理解するのがお得意のようです。
ここでは私は表題に従ってまずは「学歴社会」とは何かということについて
書いているにも関わらずあなたはあるべき社会の姿についてコメントされています。
もしあなたが引用された私の文章の個所についてご批判されるのならばあなたの考える
「学歴社会」の定義について明記しなければ無意味であるとご忠告致します。
>「その効果に疑問を提起せざるを得ない状況」ってどんな状況ですか。
たとえば最近の警察官僚の不祥事や経企庁の景気判断の誤りなど挙げればきりがないので、
この程度にします。
>基本的に、学歴による社会的地位の決定といったって、要するに投票行動の集計だよ。権力者がいて、
>昔の身分制度のように、生まれながらに人間を特定の身分に固定化しているわけではないのです。
学歴社会において生まれながらに人間を特定の身分に固定化していないのは前提条件です。
なぜなら、生まれてから高々17、8年間のそれも学校の成績という人間の能力のごく一部分の
ある種恣意的な評価あるいは特定の時点における人間のごく一部分の能力のみによって
その後の60年以上の人生がほぼ確定してしまうという現実が良いのかどうかがこの場所で
問われているのですから。
>ホントかな。そんな説は聞いたことないね。大衆芸能とごっちゃにしてるんじゃないの?
>それとも大衆芸能にもそれなりに芸術性ありで評価に値するのであり、
>クラシック音楽のようなメイン・カルチャーを芸術と呼ぶ方が間違いという主張かな。
>どっちにしても、そんなことでいいんだったら、芸術家は、もと金持ちの子供が多いという
>4月23日のあなたの書き込みの意味はなんなの?
すこしは芸術史を勉強していただきたいと思います。たとえば日本の歌舞伎はもともと
出雲の阿国が京の三条河原で民衆相手に激しい舞を舞ったことが始まりであり、能にしても
もともとは農民が豊作を願って踊った田楽踊りが始まりです。クラシック音楽にしても
音楽自体が先史時代の人類が身の回りの様々なものを使って音を出したことが始まりです。
そして、時代とともにそれらが洗練された結果、現在の様々な芸術に発展していったと
いうことを書いているのであって現代の大衆芸能と芸術を混同しているわけでも「メイン・
カルチャー」を芸術と称してはならないということを言っているわけでもありません。
「金持ちの子ども」については(あなたが引用された個所を良く読んでいただきたいと
思いますが、「もと」はつけておりません)なにをもって芸能と芸術を区別するかという
問題はさておき芸術は基本的に採算を度外視しております。言いかえれば芸術では
「食えない」のが基本です。であるならば他の方法で食わねばなりません。もちろん
アルバイトなどの方法もありますが、片手間に芸術をやるよりも24時間を芸術につぎ込んだ
方が能力が磨かれやすいのは当然のことです。また、そもそも芸術に興味を持たなければ
芸術の道に進もうということはなかなか考えにくいものですが、芸術に幼いころから
接する機会が多ければ多いほど芸術に興味を持ちやすい傾向にあります。
ですから、日常的に芸術に接する機会が多く、成人してもその人間が生活のための仕事を
する必要もなく芸術活動により多くの能力を割くことができればできるほど芸術家としての
才能は花開きやすいということが言えます。従ってこのような人物は「金持ちの子ども」
であることが多いと言えるのではないかと思います。
>あのねえ〜〜、自分で何かいているのかわかっていますか?
>大衆の芸術鑑賞力があがれば、より優れた芸術家しか残らないんだったら、
>あなたの考える不都合な世の中になるんじゃないの?
「より優れた芸術家しか残らない」とは書きましたが「一度でも大衆から相手に
されなかったことがある芸術家は二度と自分の芸術を世に問うてはならない」と
書いた覚えはありません。一度でだめならば二度、三度とそのたびに自分の能力を
磨いて世に問えば良いだけの話です。それによってその人物の芸術的能力が上昇
するのですから「より優れた芸術家」の仲間入りをするだけです。
>もともと観客としての大衆と、演者としての芸術家は、全く別の物差しで
>世の中を見ているのであって、物差しが同じ、つまり、誰もが考えるのと同じことを
>考え同じように感じているようじゃ、そんな人を芸術家として観客は評価しますかね?
>「そんなん、俺でもできるっつーの」で終わりじゃん。
何故に大衆と芸術家の間に溝を作ろうとするのかが理解できませんが、あなたの頭には
芸術家は大衆から超越していなければならないという定義でもあるのでしょう。
また、観客から評価されないと芸術家ではないというご意見のようですが、上記のような
定義があるならばその点についても納得できます。
「そんなん、俺でもできるっつーの」というのであれば実際にやってみれば良いでしょう。
「できるっつーの」で終わっているならばこれは単なる評論家に過ぎず、実際にやっている
人物を批判することはできません。もっともあなたは「できるっつーの」で終わっている
ようですので、あなたもおそらく同類なのでしょう。
>どこをどう読んだらそうなるの?あなたが、貧乏人は才能を開花させることができない、
>というようなことを書くから、才能があるのかないのか不明の貧乏芸術家に、
>援助金を出すなんてとんでもない、と言っているのです。
ではお尋ねしますが、どのようにして才能があるかないかを判断するのでしょうか?
もっともあなたの頭の中は社会的評価をすでに受けている人物のみを芸術家と定義
しているのでしょうから、彼らに援助金を出せば良いとの考えなのでしょう。
言いかえればいかに芸術的才能があろうとも一定の社会的評価を受けるまでは一切の
援助をしてはならぬと言うことになります。つまり、一定の社会的評価を受けるまで
がんばりつづけることのできる人物のみが芸術家ということになります。
この点に関しては芸術家ご本人にどの時点で社会的支援がもっとも必要かということ
について是非ともお話をお聞きしたいものであります。
>特に下の4行の文章は、前回と同じく、あなたは実に狭い視野でしか考えていないことを
>如実に物語ってますよ。しかも実例の上げ方が実に恣意的。
>ほんでもってあなたが親切に金額まで教えてくれた場所やそういう場所が対象とする1流とされるレベルでは、
>人々は自由に芸術を鑑賞したり創作したりできますかね?
>そういう場所は、日本の絵画で言えば、狩野探幽とか、近代なら黒田清輝級の画家とか、そういうレベルの芸術の保護や振興に
>お金を出しているわけでしょ。こういうレベルに金を出すことはあなたの論理とは逆のことをしているんじゃないの?
>確かに日本がフランスと同等の文化、芸術振興の予算を計上しているとは私も直観的に思いませんが、
>せめて、文化財保護に対する拠出金額を比較するとかじゃないと意味のない比較でしょ。
>日本の一劇場と、パリ全体の文化省の拠出金額を比較してどうするつもりなんですかな。
これは失礼。あなたのようなただでさえ他人の文章をものの見事に捻じ曲げて解釈した上、
見当違いもはなはだしいご批判をされる方に対してあまりにも文章を省略しすぎました。
あの数字は日本国内の唯一の国立劇場に対する文化庁の総予算とフランス全土の各地にある
国立劇場の中でパリにある国立劇場だけに対するフランス文化省の同年度の予算を比較した
ものでした。
>人の作品を自由に売買できるような環境がよいのであれば、実際に街にでてみてくださいよ。
>「君の笑顔は君だけのたからもの」みたいなことを書いた3行詩を「癒される」とかいって4,5千円だして
>買っていく人がいっぱいいますよ。夜の繁華街じゃ、ギター抱えて歌ってる連中もごまんといます。
>そういうのは検討の対象になってないのですかね。サラリーマンが日曜アーティストになるなんて、
>そんなんでいいんなら、今のままで十分だよ。なにも、芸術家は金持ちの子息だ、なんて
>言い出さなくていいね。それとも売れない芸術家に個展を開く機会を増やそうというわけかな。
なるほど、あなたの定義によると「市民」にはリストラや過労死に日毎おびえろくに
休みもとれず仕事をせざるを得ないサラリーマンなどの労働者や得意先から単価の引き下げ
などの強制あるいは取引停止に追い込まれた自営業やあるいは7000万人分の食料を輸入
している日本において減反政策によって米を作ることができず収入が減らされた農家や
はたまた共同作業所以外に就職することもできない障害者などなど、一切含まれていない
ということですね。
>それに今の世の中が芸術に触れる機会が少ないとして、それは国是に関わることかいな。
>芸術を発表する側にしても受け手の側にしても、機会が少ないのは投票行動でしょ。
またまた新たなる認識をさせていただいてありがとうございます。あなたの辞書には
日本国憲法第25条第1項「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を
有する。」という言葉が存在しないことが判明致しました。
>だいたいがある人の芸術を評価する素地が社会にないとして、それで芸術を評価できるように
>社会全体の鑑賞力を底上げするなんて、それはあまりの愚策でないかい?
いやー、実にすばらしい理屈ですねー。社会全体の鑑賞力が上がったがゆえにそれまで
評価されていなかったものが新たに評価されるようになってきたこれまでの芸術史を根底から
ひっくり返す新理論の登場ですね。これまでの芸術の破壊に向けて是非ともがんばって
頂きたいものです。
>投票行動の分布を見極めもせず、「俺には才能があるのに社会に見る目がない」なんていうのは、
>そりゃ「客がいないのに店開いてどーすんの?」というレベルの議論でしかないよ。
またまたすばらしい理屈の連発です。個人の非才の問題と国の文化行政の怠慢という問題を
同一レベルでとらえるという実に独創的な視点には敬服致します。



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名前:たまごっち
100年05月20日01時35分
たまごっちです。

学歴社会とは何の関係もないけど、私が書き込むとすれば、
学歴のページが一番いいかんじなので。学歴と少年犯罪のページに書き込みました。2重投稿で失礼します。

最近、私の先輩が大学の研究者として就職しました。
その先輩は、いわゆる女の子にもてないタイプの典型なのですが、本人は、自分は結構
イケテルと思っているらしいのです。もてないのは、自分がいい年をして学生(大学院生)で就職していない、
また、大学院中心の生活で出会いがない、就職すれば俺も・・・と考えているようです。
しかし、その先輩は就職しました。博士号も持っています。その筋ではそれなりに評価されています。
お給料も結構いいです。それなりにその地方では名の知れた大学です。
もし、それなりにコンパ等に誘ってもらって、出会いのチャンスが準備されれば、もう、その先輩にいいわけは用意できません。

ところで、学生の間では、高校デビュー、という言葉があります。
中学までは地元にいて、本人の気持ちとは関係なく比較的地味な生活をしていたが、
高校になって、地元での印象(あいつはおとなしいヤツ)が意味を持たなくなる世界にでて、とたんに派手に、
イケテルように振る舞うことを高校デビューというのです。
これは要するに、周囲の目がなくなれば、自由度が高くなるという、日本人独特のメンタリティでもあります。
地元で、急にイケテルように振る舞えば、以前の彼、彼女を知っている人間からは、たいてい「あいつなに勘違いしてんだ?」と
からかいの的になるので、そのような行動にでる前に躊躇する人がほとんどですが、高校に行くと、とたんに
派手になっちゃう、というわけです。これは、旅の恥はかきすて、と本質的に同じです。

ここから本題です。バスジャック犯が掲示板でいじめられていたという報道がありました。
インターネットをうろうろすれば、この犯人の少年の実名も写真もなにもかも丸わかりでした。酒鬼薔薇聖徒の時よりも
はやかったかも知れません。それで、その問題の掲示板にたどりついたら、現在ではいろいろと、「おまえらが真の犯人だ」的な
批判が寄せられたりしているようです。この掲示板は完全に匿名で、言いたい放題好き放題の掲示板です。
普段、抑圧されていてイケテナイ、でも本当の俺はすごいんだぞ、と自己顕示欲はすごいタイプの人間は、
周囲の目が届かなくなるインターネット上の世界で、失われた自尊心を回復することがあるかも知れません。
であるから、インターネット上では匿名性を堅守すべきである、という主張があります。
(例:宮台真司:透明な存在の不透明な悪意、231ページ以下)
私はこの主張に同意していましたし、今でも基本的にはそうなのですが、今回はこれが裏目に出た気がします。
このバスジャック犯の経歴はインターネット上の情報もマスコミのものも、学校名などをだしているかどうかという
違いだけで、中身は全く同じです。彼は自尊心が高かった(他者の説教を受け入れなかった)のに、
中学時代の怪我から、世界観が一変してしまった。自宅に引きこもった後のインターネットの世界でもいじめられて、
自尊心を回復できなかった(存在感=ほしい、という書き込みが象徴的)。
つまり、匿名の世界でも(=自分を知る周囲の目がなくても)自尊心を回復できないとき、
インターネットは、その人自身の欠点(コミュニケーション能力の欠如など)を酷薄に本人に突きつけることになるわけです。

俺がイケテナイのは、○○のせいだ、と思っている人にとって、その欠点がなくなったとき、
つまり自分以外のなにものかの責任にできなくなった時。それでも、何とか、大きなことをやらかさないで
生きていけるとしたらどんな方法があるのでしょうか。

こんなことを考えるより、自分の博士論文を書く方が先のような気もするが・・・。
考えなければいけない問題です。

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名前:赤い彗星
100年05月16日22時55分
まいど!皆様お久しぶりですね。
最近勉強に疲れてきたのでまたまた帰ってきました。
ちなみに今年のプロ野球選手の各球団の平均年棒は12球団中
巨人がダントツ一位で5千5百万くらい。
阪神が星野、広澤加入で最下位から脱出して
九位の2千8百万くらいだったかな。
今日のサンスポに載ってました。

っていうかただそれだけです。
それでは皆様ご機嫌よう。

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名前:Shortです
100年05月09日11時29分
どうもお久しぶりです。Shortです。
ちょっと息抜きに突っ込みを。

アホウ鳥さんWrote:

> そういえば今年の巨人はあれだけ優秀な選手を集めて、阪神以下。一体この両
> チーム全選手の年俸の差はどれぐらいあるのだろう。

そんなこと言ったら阪神の選手が可哀想ですよ。(笑)彼らだって草野球少年
から見たら一応エリートなんですし,一般人から見たらとんでも無い化け物だ
と思いますよ。いや,まぁ,たしかに貧弱な選手に見えちゃうかも知れないけ
どさ。

p.s. 超亀レスですが,ラボエムさんの疑問は解決しましたか?

経済学は履修したことないけど,おそらく,統計学関係で,たとえば主成分分
析とか重回帰分析とかでLagrange(ラグランジュ)の乗数法がでてきたのだと
思いますが,まぁ,これは極値を求める定型的な導出方法と割り切って理解し
た方が良いかと思います。ただ,なんで極値を求めるのかという意味くらいは
はっきりさせておいた方が良いでしょうが・・・おそらく何らかの制約式を付
けて,でもって,誤差(分散)とか情報損失量が少々になるように係数を求め
ていくときに使う常套手段といった理解で,まぁ,ひとまずそんな感じで宜し
いのでは?とりあえず,解析学(微分)と線形代数(固有値問題)を押さえて
からやると,理解が随分と深まるように思います。


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名前:アホウ鳥
100年05月07日22時33分
 皆さんはもう一回人生やりなおせるんだったら、高校、大学といきますか?

 僕は一応高校、大学といきましたが、はっきり言って全然勉強なんてしませんでした。今思うと高校にはほとんど遊びにいった感覚で、大学はなんかは入って直ぐ、ちまちました大学教授という人種のマインドに嫌悪感をおぼえ、またまた大学の勉強も全然せず、社会に入る前の一服みたいな感じでした。

 社会に出て振り返ってみると、はっきり言って早いこと社会に出たほうがよっぽどいろんなことを学べるような気がしますし、別に学校の勉強なんか役立つわけでもないので、もう一度人生やり直すんだったら、まあ高校ぐらいは遊びにいっても、大学にはいかないです。

 それと学歴があることが優秀とか言っている人がいますが、高学歴の人でもこいつはアホか?という奴もいますし、そんなに学歴がよくなくても頭の切れる人は結構います。それに僕の知る限りでは、どちらかというと高卒の人の方が堅実な生き方をして、若いうちに自分で家を建てたりすることが実際には多いようです。

 言われたことを比較的何でも、いい子ちゃんに真面目にコツコツやるかということをはかる物差しが学歴なのではないかと思います。んなもんで、優秀な人材かどうかはかるのは僕は馬鹿げていると思いますが、吉本みたいに松竹梅という具合に社員を採用するのはなるほどなあと感心します。

 世の中はいろんなタイプの人がいて、それぞれがそれぞれの得意なところで活躍する方が世の中楽しいのではないでしょうか?ひとつの尺度や物差しで判断すると、やっぱりそこからいろんな歪みや不平不満が湧き上がってくる世の中になっていくのは当たり前のことだと思います。
 そういえば今年の巨人はあれだけ優秀な選手を集めて、阪神以下。一体この両チーム全選手の年俸の差はどれぐらいあるのだろう。

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名前:ひよこ
100年05月05日02時40分
東京大学が全てにおいて1番だと思う。
世界41位というのはありえない。
どっからどう見ても学生のレベル・教授陣のレベルは世界最高峰。
東大生が馬鹿だといって充足感をを得ている人は最低。
学歴はあっていい。
この世には学歴くらいのことを得られないお馬鹿さんが多すぎだっちゃよ。
本当に優秀な奴は学歴がいらないとよく言うがそういう奴に限って
優秀じゃね〜〜〜〜〜〜〜!
そいつにはなんにもないのよね〜。
邪魔してごめんね。ばいばいだっちゃ。


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名前:卵っち
100年05月04日00時37分
学者の卵、あらため卵っちです。

ドロンボーさんのいうことは、かなり複雑に入り組んだ、もっともらしい問題です。
今まで、こういう問題の建て方に、正面から反論した人はあんまりいなかっただろうし、
なにより日本人は、多数派が少数派を抑圧する、という問題提起に弱いですから、無理もないことです。

しかし、どのような立場からあのような発想を思いつかれたのかはわかりませんが、
一応、私の立場からすれば、「それでイイノダ」で終わりです。(こういうときこそ、
勉強漬けの私は自由でいられるので、大学院まで進むことができたことを幸せに思います)

投票行動が自由に見えて、実態は見えない法則(一流大学を出れば幸せな人生を送れる云々・・)が
作動していて自由ではない、「が、しかしそれでもよい」というのは次のように説明できます。

投票行動が自由であるというのは、基礎的な価値であり状態です。しかし、
「投票行動が自由である」ためには、何もかも自由にするわけにはいきません。なぜならこの種の命題は、
自己言及を避けなければ成立しない命題だからです。

例えば、「例外のない法則はない」というのは、論理的に「法則の一種」です。
ですから、自己言及すれば、「例外のない法則はない」という「法則」にも「論理的には」例外が存在する「はず」である。
しかし、それを言ったら話はそこで「終わり」です。この種の自己言及によって閉じてしまう命題は少なくありません。
「民主政治を放棄して独裁政治に向かう」決定を、「民主的プロセスに従って」行うことができますし、
「先行き不安の世の中では自己決定能力こそが大事である」という「説教に従って」、「自己決定する」こともあり得ます。
ちなみに社会学においては、クレタ島人のパラドックスとして、この概念を説明していますので、参考にされるとよいでしょう。

そこで投票行動の話に戻ると、自由な投票が可能であるならば、一流大学を賞賛する風潮があったとしても、
それに抗して別の投票行動をするかどうかも投票者の責任です。「自由に投票できる制度」を用いて、
「制度の設計者」が「自由投票を困難にする風潮を作り出した」わけではないからです。
社会科学の基礎概念として「疎外(Entfremdung)」というものがありますが、一流大学、一流企業を賞賛する風潮は、
投票者を疎外しているとは言えません。なぜなら、そのような賞賛は独自の法則に基づいて作動しているわけではなく、
単なる投票行動の結果であり、自由な投票行動を保障する制度の存続を脅かさないからです。
自由な投票行動を保障する制度が存在する限りにおいては、どのような風潮が大勢を占めようとも、
制度論としては問題はありません。

もっと実際的な場面に目を向けるとこのことははっきりしてきます。
コギャルのカリスマ安室奈美恵(今じゃこれは浜崎あゆみか?)に対しては、素顔が魅力の広末涼子が、
カウンターバランスを提供しました。魔性の女(葉月里緒奈)には、セクシュアリティを取り去った天然系(篠原ともえ)が対抗したし、
今では「癒し系(本条まなみ)」が一大勢力になりつつあります。
自由な投票が行われれば、たいていの場合は、放っておいても、それなりにバランスが保たれるようになっています。
そして、モーニング娘がどれだけのヒットを飛ばそうとも、ちゃんと、一昔前ではル・クプルや最近ではキロロが
台頭しましたし、モーニング娘は、彼女らを排除していませんし、芸能界は、売れそうな人であれば、
どんな種類のアーティストでも「売り出し」にかかるのであり、あとはそれを消費する大衆が価値を決めるという話なのです。
また、仮に、フェロモン系藤原紀香の方が、癒し系松嶋奈々子よりも売れてるじゃないか!と言っても意味のない比較です。
別々の価値を奉じる集団同士を比較しても、自由な投票行動が行われているかどうかは検証できないからです。
ですから、結論としては、今のままで超OK!なのです。

あなたが一歩くんと同様の思想的背景を持っているのかどうか不明ですが、
共同体への同調を第一義とするような世の中では、自由な投票すら行われていません。
現代の資本主義において問題がないとはとても言えませんが、
投票への圧力が水平的(ミニマム系テクノよりも人間味のあるゴスペルの方がすき!)に作用する世の中の方が、
垂直的(○○という価値を奉じよ!)にかかる世の中よりかは遙かにましなのです。
一般に社会主義や共産主義がだめと言われているのは、こういうことです。

ちなみに、日本やアメリカなどの資本主義社会において、社会主義が生き延びていられるのは、
リベラリスムと表裏一体の資本主義が、社会主義と水平的関係にあるからです。逆に社会主義国家において、
資本主義は、日本における日本共産党ほどの支持すらない、というか存在していません。この一事を見れば、どちらの社会が健康であるかは、一目瞭然です。


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名前:ドロンボー
100年05月03日01時26分
学者の卵さんへ

反応をありがとうございます。
学者の卵さんの言うことは理解できるのですが、どこか違うという肝しています。
投票行動だというようなことを言われていますが、その投票行動は自由に行われているのですか。
学者の卵さんの言うように権力者が投票を監視していることはなくても
何となく世間の風潮に流されて投票する人も多いと思います。それで多数派の好みに
知らず知らずにあわせて、高学歴の人を好む、という傾向があるのだと思います。
それは別に高学歴に人がしくんだ訳ではないですが、
私が言いたいのは、自由に投票しにくい状況があるのに投票行動を信頼していいものかどうか、ということです。世間の常識に流されて、こういう人生がいいのだ、という、安易な投票に逆らうことができるのでしょうか。それに逆らうことができなければ、投票行動だから、といってもいいわけに聞こえますがどうなんでしょう。

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名前:学者の卵
100年05月01日12時28分
学者の卵です。

白いヤツさんへ

オグバーンの文化遅滞説は、科学の発展が人間の精神の発展よりも遙かに早いためにおこる
人間の精神の混乱を指した言葉です。
社会科学的には、次のように説明できます。
資本主義システムは、いったん立ち上がれば、キリスト教的宗教倫理と無関連化しますが
資本主義の発展は共同体を縮小させますから、共同体内でのルール(道徳=日本人が伝統的にあてにしてきたもの)も
合意の可能性が小さくなります。ですから社会が発展すればするほど、反比例的にいわゆるモラルは崩壊し、
政治に無関心になります。今の日本はこれです。
一方、宗教倫理は内面の問題なので、それが資本主義の進行によって解体するスピードは、
共同体の縮小よりも遙かに遅いものです。
日本よりも、欧米の方が、凶悪な銃犯罪や麻薬の問題を別にして
市民レベルでのモラルが維持されていると一般に言われる理由は、宗教倫理で行動を律する伝統があるからです。
ただ実際には欧米でもそのような倫理の歯止めがなくなりつつあることは明らかです。

学問によるモラル回復の是非はともかくも、自分の中に蓄えられるものであれば、
倫理としての使い道がありそうです。学問によるモラル回復・・・・、
いいかもしれませんね。具体的な方途について考えてみる価値はありそうです。
(今の論文が終わったら考えます)

一歩さんへ

>私の定義では「学歴社会」とは学歴によって社会的地位がおおむね決定
>される社会となります。ですから、社会内で様々な主張が認められている
>ということとは全く別の問題となります。

あのね、言っていることが前段と後段でばらばらよ。
様々な主張が認められているんだったら、
「俺は東大生だぜ〜!」>「ああ、そうなの?偉いんだね」で終わりだよ。
それは実にすばらしい世の中なんだから、学歴によって社会的地位が決定される、というような
問題の建て方をしなくていいんです。東大生を正しく賞賛できる一方で、
たとえ学歴的には「ぼろぼろ」であっても、自尊心をもった存在として
生きていける世の中であればいいのですよ。

>そして、今までは「学歴社会」というものがおおむね効果的に働いてきた
>と言えると思いますが、現在ではその効果に疑問を提起せざるを得ない状況が
>表面化しています。

「その効果に疑問を提起せざるを得ない状況」ってどんな状況ですか。
具体的にどのような分析視角を持っているのか聞いてみたいもんです。

社会的地位という言葉は、きっと共産党員のあなたには「手放せない」言葉なんでしょうが、
基本的に、学歴による社会的地位の決定といったって、要するに投票行動の集計だよ。権力者がいて、
昔の身分制度のように、生まれながらに人間を特定の身分に固定化しているわけではないのです。
一流商社に勤めて海外飛び回るのも、下町の工場で地道にネジを作るのも、その職業に就くために
問われる資格や資質には当然違いがありますが、職業としての本質的価値は同じで、
そのような職業に就きたいかどうかという、就職希望者と世間的評価による投票行動があるだけです。
それは別に国家とか権力者とか学歴エリートが大衆を支配するとかいう図式とは全然関係ない次元で行われているのですよ。
そういう投票行動とは別に「でも、俺はこの仕事が好きなんだ!」という態度も十分ありですし、
現在そうなりつつあります。そうならなければ、言い換えれば、「高学歴=社会的権力保持者」という
ラベリングで批判しているだけでは、正しい賞賛が行われず、社会全体の力は衰えます。
学歴で社会的地位が決定される、というような「短絡」の結果、日本はこんな風になってしまったと言っても
過言ではないでしょう。

>芸術の問題について言えば、二流、三流の芸術家を量産すべしという主張です。
>もともと、全ての芸術は大衆の様々な表現形態から発生しています。

ホントかな。そんな説は聞いたことないね。大衆芸能とごっちゃにしてるんじゃないの?
それとも大衆芸能にもそれなりに芸術性ありで評価に値するのであり、
クラシック音楽のようなメイン・カルチャーを芸術と呼ぶ方が間違いという主張かな。
どっちにしても、そんなことでいいんだったら、芸術家は、もと金持ちの子供が多いという
4月23日のあなたの書き込みの意味はなんなの?

>そして、時代が下るにつれて、それらが次第に洗練されていったという流れです。
>ですから、大衆自身の芸術を見る目が上がっていかない限り、芸術自体もより
>洗練されることもなく、結果として優れた芸術も生まれてこないということになります。
>逆に大衆の目が肥えていけば、その社会で勝負しようとする芸術家にとってもより
>高度の能力を要求されることになり、より優れた芸術家しか残らないという
>事になります。

あのねえ〜〜、自分で何かいているのかわかっていますか?
大衆の芸術鑑賞力があがれば、より優れた芸術家しか残らないんだったら、
あなたの考える不都合な世の中になるんじゃないの?

もともと観客としての大衆と、演者としての芸術家は、全く別の物差しで
世の中を見ているのであって、物差しが同じ、つまり、誰もが考えるのと同じことを
考え同じように感じているようじゃ、そんな人を芸術家として観客は評価しますかね?
「そんなん、俺でもできるっつーの」で終わりじゃん。

>学者の卵さんのご意見を拝見していると芸術家は行政が養わなければならないという
>考えであるようにお見受け致しますが、

どこをどう読んだらそうなるの?あなたが、貧乏人は才能を開花させることができない、
というようなことを書くから、才能があるのかないのか不明の貧乏芸術家に、
援助金を出すなんてとんでもない、と言っているのです。(まあ、あなたは才能不明の
貧乏自称芸術家を保護すべく援助金を出そう!とはかいてませんが)

>ですが、より重要なことはその人の作品を
>売買しやすくするなど、一般の市民が自由に芸術に触れる機会をもっと増やすべきだ
>と考えます。ごく普通のサラリーマンが休みの日には公園で絵筆を握っているような
>社会を私はすばらしいと考えます。彼はこのときには芸術家以外のなにものでもありません。

>なお、国家予算の点については一つだけ例を挙げるに留めます。
>日本の新国立劇場の予算が912億円、フランス文化省の場合、パリだけで3220億円。
>この違いがパリをして芸術の都と呼ぶにふさわしい実力を担保する一つの大きな
>要因となっているのではないかと考えます。

特に下の4行の文章は、前回と同じく、あなたは実に狭い視野でしか考えていないことを
如実に物語ってますよ。しかも実例の上げ方が実に恣意的。
人の作品を自由に売買できるような環境がよいのであれば、実際に街にでてみてくださいよ。
「君の笑顔は君だけのたからもの」みたいなことを書いた3行詩を「癒される」とかいって4,5千円だして
買っていく人がいっぱいいますよ。夜の繁華街じゃ、ギター抱えて歌ってる連中もごまんといます。
そういうのは検討の対象になってないのですかね。サラリーマンが日曜アーティストになるなんて、
そんなんでいいんなら、今のままで十分だよ。なにも、芸術家は金持ちの子息だ、なんて
言い出さなくていいね。それとも売れない芸術家に個展を開く機会を増やそうというわけかな。
それに今の世の中が芸術に触れる機会が少ないとして、それは国是に関わることかいな。
芸術を発表する側にしても受け手の側にしても、機会が少ないのは投票行動でしょ。
だいたいがある人の芸術を評価する素地が社会にないとして、それで芸術を評価できるように
社会全体の鑑賞力を底上げするなんて、それはあまりの愚策でないかい?
投票行動の分布を見極めもせず、「俺には才能があるのに社会に見る目がない」なんていうのは、
そりゃ「客がいないのに店開いてどーすんの?」というレベルの議論でしかないよ。

ほんでもってあなたが親切に金額まで教えてくれた場所やそういう場所が対象とする1流とされるレベルでは、
人々は自由に芸術を鑑賞したり創作したりできますかね?
そういう場所は、日本の絵画で言えば、狩野探幽とか、近代なら黒田清輝級の画家とか、そういうレベルの芸術の保護や振興に
お金を出しているわけでしょ。こういうレベルに金を出すことはあなたの論理とは逆のことをしているんじゃないの?
確かに日本がフランスと同等の文化、芸術振興の予算を計上しているとは私も直観的に思いませんが、
せめて、文化財保護に対する拠出金額を比較するとかじゃないと意味のない比較でしょ。
日本の一劇場と、パリ全体の文化省の拠出金額を比較してどうするつもりなんですかな。


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名前:一歩くん
100年04月30日15時45分
ご意見ありがとうございます。
この場所で恋愛についてコメントするのは差し控えたいと思います。
で、ここでは「学歴社会」について議論する場ですから、その点に絞って
話を進めたいと思います。
私の定義では「学歴社会」とは学歴によって社会的地位がおおむね決定
される社会となります。ですから、社会内で様々な主張が認められている
ということとは全く別の問題となります。(ちなみに自分自身は現在のところ
反権威主義を自覚しています)
そして、今までは「学歴社会」というものがおおむね効果的に働いてきた
と言えると思いますが、現在ではその効果に疑問を提起せざるを得ない状況が
表面化しています。であればこそ、「学歴社会」というものを検証する必要が
あるのではないかと考えます。
芸術の問題について言えば、二流、三流の芸術家を量産すべしという主張です。
もともと、全ての芸術は大衆の様々な表現形態から発生しています。
そして、時代が下るにつれて、それらが次第に洗練されていったという流れです。
ですから、大衆自身の芸術を見る目が上がっていかない限り、芸術自体もより
洗練されることもなく、結果として優れた芸術も生まれてこないということになります。
逆に大衆の目が肥えていけば、その社会で勝負しようとする芸術家にとってもより
高度の能力を要求されることになり、より優れた芸術家しか残らないという
事になります。
学者の卵さんのご意見を拝見していると芸術家は行政が養わなければならないという
考えであるようにお見受け致しますが、私は社会全体で支えるべきだと考えます。
行政の援助金も当然必要ではあります。ですが、より重要なことはその人の作品を
売買しやすくするなど、一般の市民が自由に芸術に触れる機会をもっと増やすべきだ
と考えます。ごく普通のサラリーマンが休みの日には公園で絵筆を握っているような
社会を私はすばらしいと考えます。彼はこのときには芸術家以外のなにものでも
ありません。
なお、国家予算の点については一つだけ例を挙げるに留めます。
日本の新国立劇場の予算が912億円、フランス文化省の場合、パリだけで3220億円。
この違いがパリをして芸術の都と呼ぶにふさわしい実力を担保する一つの大きな
要因となっているのではないかと考えます。


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名前:白いヤツ
100年04月26日23時06分
卵さんあんたすごいよ。

最近思い出したように気になってることがあるのだけど、、
誰も気にしてくれない?
それは、
今は多分もう見ていないだろうジョナサンの一番初めの書き込みに関してなんですが、
オーバングだかオバーングだか詳しくは忘れたのですが、
なんだか、
社会が発展してきたのに宗教がどうのこうのって
言ってたよね。
最近CMで、ガングロの女の子がバスの中で、
老婦人に席を譲って、
内の家しつけ厳しいんだよね。
って言った後に、文部大臣がしつけについてみんなで考えよう。
というものを見たのですが、
確かに最近のモラルの低下から来る影響が結構問題だな〜って
思っていたのですが、だからといって宗教の持つ規律などによる
モラルの回復に目をつけている人が国の中枢にいたとしても、
私にはそれに代わるものを見つけ出せないのかな〜
って思ったりしています。
まぁ、宗教って言ってしまうと容易に反論されそうですが、
勿論私も既存の宗教のどれがいいとか、どこかに信仰を寄せているとかは、
全くないのですが、
よく分からないですが、
儒学などの学問によるモラル回復を目指したとして、
何か問題が発生するのかなぁ〜
と一人でぶつぶつ考えているのですごく狭い了見で、
しかも自分の中で勝手に話が進んでいくので、
誰か叱咤激励して下さい。<こういう場面で使う言葉じゃないか?>


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