国歌・君が代、国旗・日の丸について
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名前:taku
100年08月29日11時45分
昔に勉強した事なので、忘れている事もあるのですが、僕も学生の時に国旗に関して調べた事がありますので、いい加減な部分がありますけど、レスしますね。
>まず1について。「日の丸」は蝦夷討伐を最初として、武家(武人)社会で主として
使われてきました。源平合戦でもしかり、源氏の嫡流と自負する人々によっても大事にされてきた訳ですが、お公家さんの社会で使われた痕跡がありません。(明治の官軍も「錦の御旗」ですよね)僕は以上の理由から、「日の丸」を軍旗と考えています。それが、まさか軍事政権でいのに「日の丸」を使い続けているのはなぜでしょう?
それとも、純粋なお公家さんも使ったれいがあるのでしょうか?
<官軍の軍旗はまだその当時は制定されておらず、「錦の御旗」として扱われていません。
軍旗に該当する旗はそれぞれの出身藩で各々制定していたハズです。
そもそも国旗の概念は明治時代までは普及していません。朱印船などの外国に行く船には、「日の丸」を国旗として掲げていましたが、それ以外での用途はあまりなかったように記憶しています。
>2 国旗が揚がっているところを見ると、脱帽し、注目しなければならないというのは、西洋の貴族社会の習俗に由来があると思います。例えば、イスラム社会において、女性に国旗の前だからとベールを取らせることは強制できないことでしょう。同様に日本の場合でも、紋章自体に敬意を表する風習がなく、まして日の丸に至っては、屋島の合戦で那須与一が射落とし、敵味方うち揃ってやんやの喝采となったわけです。日本の伝統にあらず!といえませんか?さらにいうと、長野オリンピックで里谷さんが脱帽しなかったときにも、米合衆国人のコーチから「髪の乱れが気になるなら、帽子を取らなくていい」と言われた、と弁明していた覚えがあります。「国際的儀礼」と言われているものも、それほど強制性のあるものでないのではありませんか?
<国旗に対するマナーは、非常に珍しい世界共通のマナーです(起源が、貴族に起因するとははじめて聞きました。何かの本にでもかいてあったのでしょうか?よければ教えて下さい)。
国旗に対しては、その場で立ち、静態し、敬意を表するのですが、民間人の場合で帽子を被ってる場合は当然脱帽しなくてはなりませんが、イスラムの女性がベールを外す必要はありません(因みにイスラム社会の国でも、国旗に対するマナー、扱いは非常に厳しいです)。
国旗に対するマナーは国際儀礼でもありますが、国際的な強制力などありません。しかし、大抵の国では、国旗に対する扱い、それに対するマナーは決められており、法律にない場合でも慣習法として定着し、幼い頃から教えられます。また、一部の国では国旗に対して非礼を行なった場合は、厳罰に処せられる場合もありますし、私自身、アメリカに留学していた時、日本の学生が
米国国旗掲揚中に座ったまま、友人と話しをしていて、後で大問題になった事があります。
起源が西洋だろうと東洋だろうと関係はにと思います。数少ない世界共通のマナーであるわけで、しかも定着しているのですから起源をたどって、日本にはなかった等言う必要はないと思います。世界的に定着しており、しかし強制力がないからと言って、知っているマナーを敢えて無視する事が、マナー違反になるわけです。
里谷さんの件は、米国コーチの指示に従ったのが本当であれば、それは米国のコーチが
マナーを知らなかっただけの話しです。しかし、このコーチも国旗掲揚中、国歌吹奏中に
座ったり、歩いてどっかにいってしまったりはしなかったと思います。
>3戦国時代武田信玄が軍旗に使っていたと伝わる日の丸旗を見たことがありますが、正方形でした。「国際的標準」(これも西欧の習俗というべきだと思うのですが)にあわせた結果だと思われますが、伝統無視ではないでしょうか?僕は、植村直己さんの本でネパール国旗を見て、子供心に衝撃を受けたものです(「なんや!この三角2つツナゲタ旗は!カッコエー)。
いっそのこと、折り紙にでもして世界の度肝をぬいたら面白いと思うのですが…。
<全体的にあなたの論旨がはっきりしないのですが、今の日の丸は嫌だからマナーを守りたくないけど、新しいデザインになればいいんだけとおかんがえなのですか?私は今の国旗に愛着がありますが、デザインをかえたらどうかという意見を持つ事は自由だと思います(但、そう簡単に国旗のデザインは変えるものではないと思いますが)。しかし、マナーは、マナーとして守らねばなりません。今のデザインが好きとか、嫌いの問題と、マナーを守る、守らないの問題はまったく別次元で考えなければなりません。因みに、どうやって国旗を折り紙にするのかは理解出来ませんが、世界の度肝を抜いてどうしようというのでしょうか?また、武田家の日の丸が、国際標準にあわせた結果といわてますが、その当時に国際標準などあったなどとは聞いた事がありません。また、仮に国際標準に合わせたとして何に問題があるとお考えなのですか?また、なぜ伝統無視なのでしょうか?
名前:デルタ(delta-hayashi)
100年08月25日23時32分
皆さんが教育現場のことを中心に書いておられるのに、こんなことを書いて申し訳ないです。
けれど、広いネット社会で偶然にも流れ着けたので、敢えて書きます。
どうぞ、新入りのこととて、ご一笑のほどをお願いいたします。
日の丸という紋章や、国旗という概念について僕の抱いている疑問を、みなさんにも考えて頂きたく、書き込みます。疑問は3点です。
1日の丸は、日本を象徴しうる紋章なのか?
2伝統的に考えて、「日の丸」に対して、「国際的な儀礼(僕は「西洋的な儀礼」と言うべきだとおもうのですが)」を尽くす必要があるのか?
3日の丸がなぜ、約3:4の旗となったのか?
いずれも、日本史上の先例をゲンミツに見たときに沸いてきた疑問です。
まず1について。「日の丸」は蝦夷討伐を最初として、武家(武人)社会で主として
使われてきました。源平合戦でもしかり、源氏の嫡流と自負する人々によっても大事にされてきた訳ですが、お公家さんの社会で使われた痕跡がありません。(明治の官軍も「錦の御旗」ですよね)僕は以上の理由から、「日の丸」を軍旗と考えています。それが、まさか軍事政権でもないのに「日の丸」を使い続けているのはなぜでしょう?
それとも、純粋なお公家さんも使ったれいがあるのでしょうか?
2 国旗が揚がっているところを見ると、脱帽し、注目しなければならないというのは、西洋の貴族社会の習俗に由来があると思います。例えば、イスラム社会において、女性に国旗の前だからとベールを取らせることは強制できないことでしょう。同様に日本の場合でも、紋章自体に敬意を表する風習がなく、まして日の丸に至っては、屋島の合戦で那須与一が射落とし、敵味方うち揃ってやんやの喝采となったわけです。日本の伝統にあらず!といえませんか?さらにいうと、長野オリンピックで里谷さんが脱帽しなかったときにも、米合衆国人のコーチから「髪の乱れが気になるなら、帽子を取らなくていい」と言われた、と弁明していた覚えがあります。「国際的儀礼」と言われているものも、それほど強制性のあるものでないのではありませんか?
3戦国時代武田信玄が軍旗に使っていたと伝わる日の丸旗を見たことがありますが、正方形でした。「国際的標準」(これも西欧の習俗というべきだと思うのですが)にあわせた結果だと思われますが、伝統無視ではないでしょうか?僕は、植村直己さんの本でネパール国旗を見て、子供心に衝撃を受けたものです(「なんや!この三角2つツナゲタ旗は!カッコエー)。
いっそのこと、折り紙にでもして世界の度肝をぬいたら面白いと思うのですが…。
名前:はと
100年07月31日13時45分
いつきさんへ
ヨコレスさせてください。
>「いえー、うちは天皇より聖書のキリスト第一なのでやりません」と校長が言ってつっぱねた
>らしい・・
これは詭弁だと思います。実際は偏った思想、信条があっての発言であることは間違えありません。私も中高はミッション系でしたが、国旗を掲揚し、国歌を斉唱しましたよ。法律が制定する
何年も前でしたけど。短期交換留学でアメリカの姉妹校であるミッションスクールにいた時も
常時星条旗を掲揚し、記念日には国歌を斉唱していました。
信仰と国旗、国歌は全く別事件の話で、その区別もつかないような学校は程度の低さを露呈させてるに過ぎません。
私立と公立の違いは、根本部分では私学と公立では全然立場も適用法律も違うためです。
教育委員の指導も及びませんし。
名前:いつき
100年07月29日01時34分
>ノブさんへ
なぜ公立校が反対して私立校がしないのかということですが、きっと公立校の方が県教委とかからの管理が厳しいからではないかな?「絶対日の丸・君が代しろよーっ!」と上から締め付けがくるから先生たちも「それはちょっと・・そんな強制しないでヨ」と思って反対しているのでは?
私は自分が公立の教員してて、友達が私立の教員してたからその子にきいたことあるんだけど、友達のところはミッション系ということもあってか、県教委がいろいろ言ってきた時も「いえー、うちは天皇より聖書のキリスト第一なのでやりません」と校長が言ってつっぱねたらしい・・
そういう意味では独自の教育方針で生徒と関わっている私立校はけっこういいなあと私は思いました。ではではまた!
名前:はと
100年07月28日19時15分
>先生が与える影響って大きいんですね。 私はそんなに教師に期待しなかったです。
>先生が,どうだというより,自分自身で何とかすべきと思っていたなあと、
>感じました。
当然です。でも多くの人はそんなに先生には期待しないでしょう。先生に期待して
学校にいくのもある意味、違うはなしです。しかし、期待していようが、いまいが
教師は影響を与えられる存在であることにはかわりません。
>それよりも、いろんな考えの子供がいるのに,きちんとした考えの先生ばっかり
>で,その方がいやだった覚えがあります。(変ですが)
そうでしょうか?きちんとした考えの先生がいないとは思いませんが、ばっかりとは
思えません。
>しかし,現実問題、それをぶきに、あれこれと統制に使われているのでしょうね。
>聞いた話ですが,国を愛することを教えろと管理職が
>言う中に,なぜか他の指導法にまで介入し教え方にもマニュアルをと
>注文が増えているそうです。
>習う側からすると,どの教師も同じ仕方で,
>同じことを教えろと思うのでしょうが,
これも日本語になっていませんが。意味は理解出来ないんでよこれば意味を
説明して下さい。
>個性豊かになんて育たないと思うのでしょう。
>教育のシステムと,この国歌・国旗は別問題でありながら,
>からめてはなすのでもめるのでしょう。
>教育と政党が結びついているのも変です。
今、問題なのは個性豊な人材育成の名のもとに何でも自由が蔓延し、社会も学校も
ケジメのない無節操な状態になっていることです。礼儀,マナー、一般常識を身につ
けていない個性豊な人間が多くそだっても意味のない話です。国を国家を主体的に
考えられない、敵対もしくは関係ないものだと考える個性豊な人間が育ってはたして
良いいのでしょうか?そんな人間が個性豊と呼べるのでしょうか?個性があれば
どんなでも良いんでしょうか?その辺のところを考えていいない、忘れてしまっている
のが今の日本の問題ではないかと思います。
国旗、国家に対する礼儀,マナーを教えると個性がなくなるなら、それは普段の教育方法
がいけないだけのはなしなんです。
名前:サファ
100年07月22日01時23分
先生が与える影響って大きいんですね。
私はそんなに教師に期待しなかったです。
先生が,どうだというより,自分自身で何とかすべきと思っていたなあと、
感じました。
それよりも、いろんな考えの子供がいるのに,きちんとした考えの先生ばっかり
で,その方がいやだった覚えがあります。(変ですが)
と,思い出話になってしまいましたが,
正論として,教師がやはりきちんと国のことをもう少し
敬う心をもって、教育するのが理想でしょう。
しかし,現実問題、それをぶきに、あれこれと統制に使われているのでしょうね。
聞いた話ですが,国を愛することを教えろと管理職が
言う中に,なぜか他の指導法にまで介入し教え方にもマニュアルをと
注文が増えているそうです。
習う側からすると,どの教師も同じ仕方で,
同じことを教えろと思うのでしょうが,
教師側からすると
それだと、同じ考えの子供しか生まない。
個性豊かになんて育たないと思うのでしょう。
教育のシステムと,この国歌・国旗は別問題でありながら,
からめてはなすのでもめるのでしょう。
教育と政党が結びついているのも変です。
やはり本来ならきちんと教えるべきでしょうね。
うーん、つながらない。
すみません・・・
名前:ノブ
100年07月20日23時56分
中学の時の担任がこんな事を言っていた。
「君が代を進めるのはお前達を戦争に行かせるための準備をしているんだぞ!」
俺はこの時ほど先公をバカと思ったことはない。
先生は人間的には問題ないなのだが、先生的には問題が・・・
人間性はすっごくいいんだけど、先生として見ると最悪だ。
先生に注目されて無かったとかとかそんなことではない。
僕は高校にいってすごい熱心な先生と出会った。
その先生を見ると、中学の時の先生は、本当に先生なのか?
と、よく思う。それほど今の先生はいい!
勉強で解らないことがあると教えてくれるし、
怒るときには本当に怒る。殴って振り飛ばす。
そんな本気で怒ってくれる先生がいるか?
授業さぼっても何も言わない先公なんかやめてまえ!
先生じゃない方がよっぽどせいとのためになるわ!
あと、一つ疑問が・・・・
なぜ公立学校では反対して、私立学校は反対しないのか。
教えて下さい。
名前:はと
100年07月19日11時30分
サファさんへ
下の方で投稿したはともうします。社会科の教師をしております。
貴方の投稿にお返事させてください。
>まず,そんなに先生方は、ひの君問題で一生懸命かな。
>子供らのことより,こっち優先って言う先生多いのでしょうか。
>私は,そう感じませんでしたが。
一部の先生は非常に熱心です。「子供のため」、「平和のため」といい子供そっちのけ
で、授業の時間を使って一生懸命、先生ご自身のお考えを子供達に教え込んでおられます。
>教員の反対は,教育の場に強制をするのではない
>ということに反対していると思います。
>がくしゅうすべて,強制される部分がありますが,
>やはり,思想にかかわる所なのでは,ここは。
この部分は日本語になっていませんので、意味がわかりにくいのですが解釈してお答えすると
教員は教育の現場に自己の思想を持ちこみ教育してはなりません。思想の自由を教えるのと
自己の思想を教えるのとは全く意味が違います。国旗、国歌は本来は思想の問題ではありません。他国でも右、左色々な考えがありますが、日本のように自国の国旗、国歌を否定するよう
な思想などありません。(アナキーを除いて)
国をより良くする為に、世界の国々を理解、協力を深める為にも自国への愛は必要であり、
教育の場でそれを教えることは大切なことです。また国旗、国歌に対するマナーを知らない
人間が、自国を愛する(偏愛ではなく)ことが出来ない人間が、他国の国旗、国歌にマナー
良く出来るわけがなく、他国を本当に理解、尊重することなど難しいでしょう。
名前:サファ
100年07月06日23時45分
下のコメント、と言うので。
まず,そんなに先生方は、ひの君問題で一生懸命かな。
子供らのことより,こっち優先って言う先生多いのでしょうか。
私は,そう感じませんでしたが。
きっと,あなたは,先生が嫌いなのですね。
過去に,先生との関係で寂しかったことか、
先生に注目されていなかったのか・・・。
教員の反対は,教育の場に強制をするのではない
ということに反対していると思います。
がくしゅうすべて,強制される部分がありますが,
やはり,思想にかかわる所なのでは,ここは。
つたない文ですみません。
名前:ノブ
100年06月25日19時50分
世の中には反対してる人がいるけど、何が嫌なのかよくわからん。
戦争の事を思い出すとかあるんだろうけど・・・
公立の学校では卒業式入学式に国旗国家を歌い掲揚しなければならないと決まりましたが
先生方は、掲揚しなかったり、斉唱の時に座ってますが反対する理由はなんですか?
昔の君が代の意味は天皇主権、天皇がえらい、と言う意味ですが、
現在は違います。日本の成長を願ったうたなのです。(新聞に書いてあった)
日本の成長を願ったうたをなぜ歌わないのか・・・わからな。
そんない国旗国歌がいやなら変えればいいのに。
後、オリンピックの時国歌を歌うけれど、あれはなぜ反対しないの?先生!
最近の先公はこんな事で一生懸命になって、生徒のことは何も考えてない。
わいは、公立の先生は、先生では無いと思ってるので。
だいたい、本気で怒ってくれる先生がいないんですよね。
生徒にはなめられてる先公ばっかりだ!
君が代とかそんなことやらなくても
他にすることがあるでしょ!
いじめに関してもろくに対処してないくせに。
いっつも偉そうなこと言ってんじゃねーよ。
どうせ自分が校長になったら起立するこせによ〜
暴言もありましたが、この辺で。
最後の一言・・・ 全国の先生、生徒にもっと真剣になれ!
だれか私の意見についてコメントを・・・
名前:はと
100年05月22日22時31分
ROM専門でしたが、教育問題にまで踏込んできている面もありますので、少々
意見を言わせて下さい。私はある県の公立中学の教師です。年齢は52歳で社
会科を教えています。クラス担任しているのですが、現在は病気をして自宅で療
養中ですので、意見を書きこんでみようとおもいました。
教師である自分は、今の社会、子供達、教育現場に対して責任があるのですが、
少々棚に上げて意見を述べる部分があるかもしれませんが、お許し下さい。
ヒロさんのご意見に対して、私の考えをのべさせていただきます。
>まず「本来は「子供には最大限の自由と最小限の権利」であるべきなのが、「最大限の
自由と権利」を与え、教師が指導、管理出来なくなって いる・・・」云々の件の出典に
ついて疑問に感じました。政府の白書にそう記されているのでしょうか。
「最大限の自由つ権利を与え〜」の件は、現在の子供達、教育現場での実態を表して
いる言葉です。実際、教員の勉強会でも良く言われる言葉でもあります。
ここでいう権利及び自由、特に自由は無秩序な自己責任のない、言いかえれば意味を
履き違えた自由であり、本来の自由そのものを指す言葉ではないと思います。
>私は自分の子供も含めて、今の子供達は自由がなくて可哀相だと思っています。私は
戦後生まれのいわゆる団塊の世代ですが、受験もいまほど厳しくはなく、予備校にも通
わずとも学校の授業やラジオ講座などをまじめにやっていれば、高望みしない限り十分
合格できるという時代でした。夕方になると学校から帰って外で遊ぶ子供たちの歓声が
響きわたる、今では信じられないようなのどかな時代でした。学校では今のような陰湿
ないじめなどなく、任侠ぶったガキ大将健在の時代です。物質的にはまだ恵まれておら
ずようやく白黒テレビが普及しはじめ。クルマの普及は60年代後半、高度成長時代に入
ってからですね。
<そうですね。今は懐かしい時代となりました。
>いまの子供たちは (もちろん大人も含めて) 物質的には当時とは桁違いに豊かになって
いるわけですが、子供達には受難の時代ではないかと思っています。Ryoさんが述べら
れたように押付けは増している。予備校や塾通い、親の過大な期待など精神的にすり減
っている上に遊ぶ時間も場所もありません。中・高生たちの話をきくと、日常の些細な
生活指導においてすら教師の態度が強圧的で、対等な話し合いなどあり得ないと聞きま
す。何ごとにつけ規則を楯にその背景理由を説明しょうとせず、二言目には「勉強さえ
していれば良い」とか。殆どの生徒は内申書への影響を恐れ押し黙ってしまうというの
が現実というです。そういう状況で、とって付けたように国旗国歌の指導をする、増し
て話し合うなんていうことは、場違いすぎて考えられないのです。やはり子供たちにと
っては「校則と同列」の単なる強制であることには違いないと思います。
<同感です。ただ貴方が言われる子供達の受難の時代の件は、70年代から言われ始め
たことで、教師の態度云々は今も昔もいい事ではないのですが言われ続けていることです。
>もちろん総ての学校がそうだとは限りませんし、げんすけさんが例に出されたような
学校があることは知っています。あるいは国旗国歌を排し儀式色を一掃した卒業式をや
る学校もありますし、比率は分かりませんが、恐らく色々あるのでしょう。ちなみにミ
ッション系私立校では異宗教を指すものとして殆ど排除しているようです。
大人は酒を呑んでストレスを発散できるのでしょうが子供達には発散の場がない。結
果的に弱いものいじめに発散の道を求めてしまう。たまたま標的の子ができると、みん
なといっしょにいじめに加わらないと逆に自分がいじめの標的になってしまう。いじめ
は悪いことと理解はしていても加害者にならざるを得ない、子供にとっては正に「世渡
り」の知恵、必要悪なのでしょう。そして、それが凶悪事件へと発展していきます。ま
た、近ごろでは成績が良くて礼儀正しい子が万引きをするなど、見かけの判別もまった
く当てにならないと聞きます。
<この件も今に始まった問題ではありません。イジメの問題は、昔に比べ中々表面化
されないよう巧妙になってきている面は確かにあると思います。
またげんさんが書かれていた教育会における日教組の支配体制と弊害は、大変大き
な問題であり、おおよそ公立学校においてこの支配体制の現実は例外はないです。日
教組に同意しない教師でも、このことを口に出して言えないのは、自分の首や学校内に
おける立場がかかっているからです。学校において日教組べったりのシンパ教師はそん
なに多くはありません。大部分が抵抗しきれずに言いなりになっていたり、波風を立てな
いために反対をしない教師が多いのです。内幕を言えば文部省、教育員会からの指導な
どは教育現場には届きません。現場を支配し続けているのは、今も昔も日教組であること
は事実意外のなにものでもありません。世間から日教組の傍若無人ぼりを視的、非難さ
れていく久しいですが、その声も逆に組合には届きません。
子供達が自主的に反対を唱えると世間の人は思いがちですが、実態はそんな純粋なもの
ではなく、組合の支持を受けたシンパ教師が中核となり、子供達に徹底的にかつ指導した
ことが表面化しないよう国旗、国歌を反対するよう機会を見つけては子供達に自分の考え
を教え込むのです。このような偏向ぶりは、昔から頻繁にあることで、天皇制に関して意見
を書くようテストで設問され、反対するような意見であればどんなに拙い、内容がない意見
でも加点され、賛成する意見をかいた場合は、どんな内容でも加点なし、または減点され、
書きなおしを求められるといった事は、世間でも良く聞かれることです。
教育の問題は、その原因を考えるのに1番忘れてはいけないのは、その場その場の現象、
問題だけに集中して考えてはならないという事です。大切な姿勢は、いい事、悪い事をそれ
こそ教師達はイデオロギーをこえて見極めていかなければならないと思います。小手先だけ
ど、しかも世間の目を気にし過ぎるあまりに、例えば差別の撤廃、平等の掛け声とともに運
動会のかけっこで順位をつけない、皆同じに手をつないで、ゴールする。成績表に甲乙丙、A
BC,五段階評価、10段階評価等をもちいないなど、全くの無意味で、それこそ最初から形骸
化してしまっているような事が堂々と制度として導入されてしまうのです。
組合が全部悪いのではないですが、学校教育の荒廃を指摘される時(特にマスコミ。)、かなら
ず政府や文部省の教育政策が問題にされ、組合の方針や組合及びシンパ教員の実態は殆ど
問題視されないのです。現場の教師は知っています、組合の方針が如何に間違っていて、理不
尽な内容であるのかを。そして、その結果どのような弊害が起きているのか。
しかし、この事は誰も報道しませんし、教員の間でも口してはならない事であるのです。
>イデオロギーの時代、1980年代まではその緊張関係が国の繁栄を支えてきたのでし
ょうが、もう時代が変わりました。みんなの幸せのことだけを念頭にした改革を期待し
て止みません。「組織」と名の付くものはそれが古くなるほど淀みを生ずるもの。原則
にこだわるあまり得てして個人の良心をねじ曲げて、あらぬ方向に突き進みかねないも
のです。組織の中で多数決で何かが決まれば、あとはみんなロボット。組織の良心と言
う言葉はありません。民主主義とはそういうものなのでしょうけど…。
<細かいよう事を言いますので、気を悪くなされないでください。
イデオロギーの対決は冷戦が終了した時に、終結したと言われます。しかし、この極東地域に
おいては例外であるということを忘れてはなりません。しかも、日本に置いてはイデオロギーの
時代、対決は依然としてなくなっていません。現に教育現場では、現場を抑えているのは左翼
組合であるのは厳然たる事実です。また組織が古くなるから淀むのではなく、制度が古くなり、
会わなくなると淀みが出るのです。どんな制度もそれはその時点では最善、最適と考えられて生
まれたものでしょが、しかしどんな制度も改良の余地が充分にある過渡期の一方法に過ぎません。
教育界の混乱、荒廃ぶりを社会の状況に結び付けたり、制度を原因として考えることが多いです。
たしかに起きた事件の解説や制度の不備、矛盾をつく論も有効です。そこし皮肉な言い方をすれば
社会状況や制度を否定的に語れば、たいていのことは分析は出来ます。しかし、分析しかしていな
いのが何も改善されない原因であり、1番大切な対策をあまり考えていないところに大きな問題があ
るのです。確かに対策は簡単ではありません。あちら立てれば、こちら立てずになります。だから実際
に対策を行うと言っても実際には、小手先ばかりになってしまい却ってそれが弊害になっていってしまう
のが、今の日本のあらゆるところで見られる事だと思います。
民主主義とは、話し合いを充分に行い(実際的には、時間の制約があるでしょうが)、話し合いでまとまら
なければ多数決を行い決め、決まった後は意見の違いをこえて、決まった事に対して皆で協力していく事
だと思います。もちろん、決まった意見とは違う意見があったということを忘れないようにするのも忘れては
ならない事です。どんなに制度を変えてもこの原則、姿勢を忘れてはヒロさんがいうようロボットになってしま
うのです。
>党利党略、組織 の面子など古臭い論理の衝突で日本の将来をねじ曲げるようなことだけは止めて欲しい。
組織人以前に個人であるこことを忘れないで欲しいものです。
<私も心の底から同じように思います。今の森総理の発言にしても、その発言内容に関してここで触れる
のは避けますが、与党、野党そろって非難をしていますが、それが選挙を前にしたデモストレーションであ
るとこは、今となっては多くの国民がわかっている事です。しかし、彼らは依然として批判する事(行為)に
重きをおいてる現実です。「政治家はその国の国民の平均的なレベルより優れることは無い」という有名な
言葉があります(発言者失念。)が、その言葉を考えてみることも必要かもしれません。
>度重なる閣僚や総理の放言騒動で明白なように、保守系の一部に日の丸、君が代を軍
国主義復活の要にもくろんでいる人たちがいることは紛れもない事実で、否定のしよう
がありません。雑誌等にも過去の戦争を正当化する記事が氾濫しています。内政が行き
詰まれば戦争というのが過去の世界の歴史から見て必然の流れですから、現状であり得
ないとは言え、誰だって不安を感ずるのが当然です。
<戦争発生の原因は、内線問題の行き詰まりだけでなく、様々な事が考えられます。ヒロさんが言われる
ような原因で戦争に突入する危険性のある国は、民主主義という看板だけは掲げているが実際は共産党
による一党独裁体制で、言論の自由もなにもない国において起こりえることであるといえるでしょう。政治家
の発言とは別に、このような国が我が国周辺には2国もあるにもかかわらず、自国に対しては疑心暗鬼で、
他国に対してはなかば無条件に近い信頼(攻めてこない)を持つような平和に対する備え方は見なおすべき
でしょう。私は自民党を保守政党とは思いません。彼らの政策は昔風にえば“亡国”政策以外のなにもので
もないでしょう。また軍国主義、ファシストという言葉は良く使用されますが、本来どう意味なのかという事を知
っている人間は少ないのではないでしょうか?今の状態では真の軍国主義、ファシストという言葉で、本来そう
ではない人々の言論や人権を結果弾圧してしまっているとう実態の自覚が必要なのではないでしょうか?私が
思うに、本来の言葉を理解して言うならばファシストは自民党だけでなく、民主党、社民党、共産党にも多数いると
思いますし、誰々はファシストである、言論の自由、人権をを弾圧していると言う人間が無自覚なのか、意図的なの
かわかりませんが、自分自身がファシストであり、言論の自由、人権を弾圧してしまっている人間が多数いるのが
日本の悲しい姿であると私は思います。
今の政治家で政党を問わず、教育勅語を理解し、または読んだことがあるのか、また安全保障の原則を理解、勉
強し、過去50数年間の間(その間冷戦があり、世界では大小百数十の戦争が起こり、3000万人にも及び死者が
出たにもかかわらず)、日本では戦争が起きなかったのかを説明出来る人間がどれくらいいるのかと思いますし、
そんな政治家が国の舵取りをしているのかと思うと、恥かしいのと将来への不安を抱いてしまってしょうがありま
せん。
>げんすけさんがイデオロギーを排除する立場で書かれたことは理解できますが、読む
人によっては別の解釈をされかねません。日教組云々のくだりがありますが、平和を願
う気持ちにおいてはみなさん同じです。考えの道筋が違うとは言え、左右双方認めるべ
きところは認めあって、お互い攻撃し合うような構図がなくならない限り「喧嘩」は終
わらないと思うのです。
<誤解をしてしまうので、実態を知らないからでしょう。私もここで声を大にして述べますが、学校
教育の現場は、厳然として偏ったイデオロギーで支配され、イデオロギーに染まった者、自覚な
くして結果的にイデオロギーに染まってしまっている者が多数います。そしてそれを指摘する言論
の自由も無く、また指摘した人間には人権すらも無視されてしまうのです。そして、それを子供達に
まで押し付けてしまっているという事を多くの人に気付いてもらいたいと思います。
(革新はみずからを平和団体と定義して、その行動を平和集会、平和運動と言ってきたわけです。
しかし、戦後の日本に存在した各団体の運動方針を比較検討してみると、一番闘争至上主義的な方針を
持っていたのは革新団体だったわけですし、それは今も変わりません。ただし、姿、形をカモフラージュして
イデオロギーを巧妙に隠してはいますが。)
国民に豊な将来を提示する事と、国が最悪の事態になった場合にどうするのかを提示するのが、
政治です。そして個人個人に関しては自由ですが、政治は軸足を現実において、理想に踏み出す
事が絶対条件です。
教育には、権利と義務、自由と責任、人権に対する人倫、また平和ということを今のように陳腐な
説明で終わらせず、平和とは秩序があるという事であり、戦争がないという事だけが平和(戦争の
ない世の中が平和とするならば、専制と隷従の世の中でも戦争が起きなければ平和ということに
なります。)ではなく、また与えられるものではなく作り出し、維持しなければならないということを教え
ていく事が大切であると思います。
左右両方のヒロさんが言われる喧嘩がなくならないのは、国家の基本的事項に関する共通認識が
ないからです。どんな国でも、それこそ保守、革新の政党が入れ替わり政権につくような国でも、国旗、
国家に対する扱い、国の安全保障に軍隊が必要な事などに異論はありません。政策過程において
意見の食い違い、対立は起きる場合はありますが。しかし、日本ではこの部分においての合意、共通
見解がないから、言い方をかえればいつまでたってもレベルの低い論議に終始してしまい、事の本質
に触れない、または理解出来ず、有効な政策が実現されないのです。
−私の考え−
国旗、国歌の問題は、法律制定の過程には疑問がありますが、法律化したこと自体には賛成します。
今の教育現場を観点に言えば、ましな場合では国旗、国歌に関して何もおしえない。多くの場合は軍国
主義の象徴で、国民の権利、自由を奪うものであるという政治的プロパガンダに利用され、その教えは
マルクス階級闘争主義に基づいているのです。これこそが本当に問題であり、それを一部の例であるとか、
誤解をされるからと言って、避けてはいけないのです。
また私自身は法制化しなければならない程、この国の民度が落ちてしまったんだと思い、悲しくなることもあり
ます。本来は教育現場において、イデオロギーに左右されずに国旗、国歌の意味を教え、マナーを教える
ことは当然であり、それらをきちんと理解し、身につけていれば法制化など必要がないのですから。
強制されることを反対するよう強制されている事実が、埋もれ過ぎています。学校における「式」という
場において国旗を掲揚し、国歌を斉唱するのは本来は当然の事であり、マナーです。常識、マナーを教える
のに当然、強制的と感じさせることは間違いであると思いますが、その常識、マナーを政治的プロパガンダ
に理由されてしまうような事にならないようにすることが1番大切な事であると思います。
日本型イデオロギーを排除して、マナー、常識として、また精神性を教えているにもかかわらず、それをこえて法
制化したのであれば、また世界的にみて時代と逆行するような事を法制化したのであれば問題は非常に大きい
でしょう。確かに法制化した以上の意図を感じます。しかし、現実は全くその反対であり、何も教えられない
どころかイデオロギーに利用され、反対することのみを教えているのです。ですから残念ではありますが、結果
法制化もやむなしと私は思います。
私の学校は可也生徒数の多い学校で、シンパ教師、無自覚シンパ教師も多幸に比べれば比較的少ない学校で
したが、卒業式、入学式の時は、その少数の先生達が少数の親たちと連名で(多数の意見により、国旗の掲揚、
国歌の斉唱を反対する〜)という内容の紙が教員やクラスで配られ、もちろん、校長にも正式に申し入れがされ
ました。
多数の意見、署名活動の結果としたその人数は教員が2名、父母が7名というのが実態で、時間的な余裕もあり
ましたので、彼ら彼女らの希望もありましたので卒業式の前に全校生徒に無記名アンケートを実施しました。、その
結果は国旗の掲揚、国歌の斉唱賛成が85%で、どちらでも良いという意見は10%、反対は5%でした。しかし、2名
の教員と父母達は当日も校門で反対する趣旨のアジビラを配り、式では起立、斉唱も一切しませんでした。それどころ
か、新聞記者を呼んで反対者多数なのに、それを無視するようなことが行われた。これが民主主義社会において
許されるべき学校での出来事なのであろうかと言い、そのように新聞に掲載されました。
これが民主主義の世の中なのかと疑問に思うのと同時に、生徒には反面教師的な意味合いで民主主義の大切さを
教えることが出来て良かった面もあります。
急いで書きましたので乱文も良いとこですが、お許し下さい。では。
名前:MIMORU_T
100年05月20日11時03分
HIROさんブラボーです。
左右、攻撃しあう時代ではないです。
いまこそ、坂本竜馬が必要なときです。
企業では起業家が必要なときです。
昼休み中なので、これで失礼します。
名前:HIRO
100年05月20日04時28分
はじめまして。私はRyoさんのご意見にほぼ全面的に賛成です。
私はもともと保守地盤の強い地方出身ですので、大都市圏とは状況が違い殆ど違和感
もなく国旗国歌に接してきたので、法制化によって逆に不審感が増してしまったという
のが本音です。
持論を系統的論理的に述べるほどの時間もないので、げんすけさんのご意見について
感じたことを述べさせていただきます。
まず「本来は「子供には最大限の自由と最小限の権利」であるべきなのが、「最大限の
自由と権利」を与え、教師が指導、管理出来なくなって いる・・・」云々の件の出典に
ついて疑問に感じました。政府の白書にそう記されているのでしょうか。
私は自分の子供も含めて、今の子供達は自由がなくて可哀相だと思っています。私は
戦後生まれのいわゆる団塊の世代ですが、受験もいまほど厳しくはなく、予備校にも通
わずとも学校の授業やラジオ講座などをまじめにやっていれば、高望みしない限り十分
合格できるという時代でした。夕方になると学校から帰って外で遊ぶ子供たちの歓声が
響きわたる、今では信じられないようなのどかな時代でした。学校では今のような陰湿
ないじめなどなく、任侠ぶったガキ大将健在の時代です。物質的にはまだ恵まれておら
ずようやく白黒テレビが普及しはじめ。クルマの普及は60年代後半、高度成長時代に入
ってからですね。
いまの子供たちは (もちろん大人も含めて) 物質的には当時とは桁違いに豊かになって
いるわけですが、子供達には受難の時代ではないかと思っています。Ryoさんが述べら
れたように押付けは増している。予備校や塾通い、親の過大な期待など精神的にすり減
っている上に遊ぶ時間も場所もありません。中・高生たちの話をきくと、日常の些細な
生活指導においてすら教師の態度が強圧的で、対等な話し合いなどあり得ないと聞きま
す。何ごとにつけ規則を楯にその背景理由を説明しょうとせず、二言目には「勉強さえ
していれば良い」とか。殆どの生徒は内申書への影響を恐れ押し黙ってしまうというの
が現実というです。そういう状況で、とって付けたように国旗国歌の指導をする、増し
て話し合うなんていうことは、場違いすぎて考えられないのです。やはり子供たちにと
っては「校則と同列」の単なる強制であることには違いないと思います。
もちろん総ての学校がそうだとは限りませんし、げんすけさんが例に出されたような
学校があることは知っています。あるいは国旗国歌を排し儀式色を一掃した卒業式をや
る学校もありますし、比率は分かりませんが、恐らく色々あるのでしょう。ちなみにミ
ッション系私立校では異宗教を指すものとして殆ど排除しているようです。
大人は酒を呑んでストレスを発散できるのでしょうが子供達には発散の場がない。結
果的に弱いものいじめに発散の道を求めてしまう。たまたま標的の子ができると、みん
なといっしょにいじめに加わらないと逆に自分がいじめの標的になってしまう。いじめ
は悪いことと理解はしていても加害者にならざるを得ない、子供にとっては正に「世渡
り」の知恵、必要悪なのでしょう。そして、それが凶悪事件へと発展していきます。ま
た、近ごろでは成績が良くて礼儀正しい子が万引きをするなど、見かけの判別もまった
く当てにならないと聞きます。
もちろん、家庭教育の問題も大きいでしょう。大平の世に酔いしれる親の品行が元凶
という見方も成り立ちます。親は子供にとって尊敬の対象から外れ加害者のように見ら
れ、世の中のいわゆる「偉い人」たちは経済崩壊や度重なる不祥事によりもはや侮蔑の
対象でしかないのでしょう。私ども大人の老後の年金も国の莫大な借金も、子供達の給
料から引かれるわけですから、親といえども肩身が狭いです。私の小〜高校時代には反
抗しながらも親を尊敬していましたし、各界に神様のような大物が大勢いらして大いに
憧れたものです。私の目にはいまの子供達が、心のよりどころを失っているように写る
のです。
イデオロギーの時代、1980年代まではその緊張関係が国の繁栄を支えてきたのでし
ょうが、もう時代が変わりました。みんなの幸せのことだけを念頭にした改革を期待し
て止みません。「組織」と名の付くものはそれが古くなるほど淀みを生ずるもの。原則
にこだわるあまり得てして個人の良心をねじ曲げて、あらぬ方向に突き進みかねないも
のです。組織の中で多数決で何かが決まれば、あとはみんなロボット。組織の良心と言
う言葉はありません。民主主義とはそういうものなのでしょうけど…。党利党略、組織
の面子など古臭い論理の衝突で日本の将来をねじ曲げるようなことだけは止めて欲しい。
組織人以前に個人であるこことを忘れないで欲しいものです。
度重なる閣僚や総理の放言騒動で明白なように、保守系の一部に日の丸、君が代を軍
国主義復活の要にもくろんでいる人たちがいることは紛れもない事実で、否定のしよう
がありません。雑誌等にも過去の戦争を正当化する記事が氾濫しています。内政が行き
詰まれば戦争というのが過去の世界の歴史から見て必然の流れですから、現状であり得
ないとは言え、誰だって不安を感ずるのが当然です。
げんすけさんがイデオロギーを排除する立場で書かれたことは理解できますが、読む
人によっては別の解釈をされかねません。日教組云々のくだりがありますが、平和を願
う気持ちにおいてはみなさん同じです。考えの道筋が違うとは言え、左右双方認めるべ
きところは認めあって、お互い攻撃し合うような構図がなくならない限り「喧嘩」は終
わらないと思うのです。私がRyoさんに心酔してしまったのは、その意味で全く別の視
点からの、公募した国旗国歌でも強制反対という意外な仮設からの論理展開に惹かれた
のです。実業界の方の発想なのでしょうか。アメリカの外交なんかそうですけど、相手
を認めることが協調への第一歩だと思います。
私は他の方々とは違い、学識、文章とも未熟ながら本当に真剣に平和を願って投稿し
ました。大人の喧嘩が終わらないと子供の喧嘩も終わりません。これからの幸せな日本、
子供たちの幸せということだけに限定して、あらゆる組織を超えて知恵を出し合えたら
いいのです。
ここで国会と同じレベルの子供じみた論争をやっても、単なる蒸し返しで国会と同じ
結末にしかならないでしょう。インターネットの存在価値を示せるような実のある話し
でないと、ただの暇つぶしのお遊びでしかないのです。マスコミが注目し、議員さんが
盗んで選挙の政策にするほどの市民の知恵の広場になるといいですね。
名前:げんすけ
100年05月19日17時53分
少々カキコさせてください。
まず私の考えから。国旗、国家の重要性は充分に認識しています。私は法制化される
前から日の丸、君が代が国旗であり国歌であると認識していましたので、特段法制化
する必要がないのではないか考える側面があります。ただ私は生理的な部分であるので
すが自民党がきらいなので(もちろん優秀で立派な政治家がいることはしっていますが)
その自民党の手でこの法案を、自民党的なやり方で制定された事に反感を覚えます。
いずれにせよきちんと論議し、国旗、国歌の必要性、重要性をきちんとしてから法制
化されるべきだったと思います。
RYOさんのカキコをメインにレスしたいと思います。
>しかしながら、国旗国歌が国を象徴するものである限り精神性を抜きにしたのでは、
>教育としてあまりに皮相的ではないでしょうか。むしろ国旗国歌に対する冒涜という解
>釈も成り立ちます。
同感です。あのような法制化ですと国旗、国歌がただ単に形骸化されてしまうだけです。
精神性とそれからマナーの観点から子供達には教えるべきです。
>当然生徒の側からも様々な疑問が出るでしょう。私が言いたいのはそのときどう対処する
>か? ということなのです。
そうですね。今まで何も教えていなかったんで、ここで何人の方が言われてましたが、国旗、
国歌に対するマナーすらも知らないので、非常識な言動を外国の国旗、国歌にまでしてしまう
のです。数少ない全世界共通のマナーである国旗、国歌に対して敬意を表するということを
身につけないで、何が国際化なんでしょうか?そう思います。
今の所、今まで教えてきて入なかった人達(中、高生)と小学生を分けて教育していくしかないと思います。中、高生に対しては精神性とマナーの観点を特に重点を置いて、教えていく事が
大切でしょう。今の教員達の一部(教員の一部がマイノリティーの代表として、大部分の
人間を無視して、軍国主義や全体主義に結び付けるから混乱するのが実態です。私は日本全国の
学校、教師達を知っているわけではありませんが、それでも多くの学校、教員の現状を知っていますが、マスコミ、一部の政治家、知識人が唱えるほど大人数の教員が反対運動しているのではなく、実は一部の“熱心”な教員達が声なき声の代表として、他の言論の自由、人権を無視して全く全体主義的、ファシスト的な言動して、ヒステリックに叫びまくり、混乱させているだけです。)が、思考を停止させていたままでは、また変更した思想にもとづいこのことを教えると
きちんと理解出来る生徒がどんどん少なくなるでしょう。今の教育現場では、話し合い、
対等な関係と名を打って、自由に、自由として、学級が動物園のようになり、何をするにも
まとまらずにいるのが現実であります。
>現状では特に混乱は起きていない。問題はごく一部の学校だから無視して構わないと
>いうのが多分当局の見方だとは思いますが、それで解決済みとは思えません。
>国旗国歌は瑣末の事項。生徒達は勉強第一と言う見方もあるでしょうが、脳は使わな
>ければ退化するもの。創造力をつかさどる部分が発達しないまま枯れてしまうことは医
>学的にも証明されています。冗談ではなくて、健康診断に脳のCTスキャンが必要かも
>知れません。教師の採用試験それに選挙公報にも…。
>ここでは象徴的に国旗国歌を取り上げていますが、それに限らず小さな校則一つにし
>ても押付けはいけない。先生と生徒の対等な話し合いが必要です。そうしないと勉強が
>いくら出来ても判断力のない狭視眼的な人間になってしまいます。社会人になっても、
>ただ従順なだけでは今の世の中使い物になりません。何よりも自分の意見を持っていて、
>かつ、それをきちんと主張できる子を育成しなければいけないのです。 受売りや人の揚
>げ足とりなど能力のうちに入りません。
教育の問題を考えていくのであれば、押し付けはいけません。同感です。ただ、この国旗、
国歌の問題で言えば、賛成している人間(子供も含め)を反対している人間が話し合うので
はなく、やはり押し付けている面も確実にあります。その事も良く考えるべきでしょう。
きちんと議論しようという姿勢は間違えではありませんが、反対者が物凄く強権的になって
いる事実を忘れ、押し付けはいけないと言っても説得力がないと思います。
押し付けということを考えるのであれば、教育の現場を知っていればわかるはずです。
日教組に支配された教育現場がいかに強圧的で押し付け的であるかを。
日教組に反対した意見を少しでも唱えたら、彼らが非難する戦中と変わらない言論弾圧、
人権無視と変わらない反発を受け、組合の統制に服さないという理由で周囲からそれこそ
イジメにあい(しかも極めて陰湿な)、白い目で見られるのが教育現場の偽らざる実態
で、これは教育現場を知る者なら異を唱えることが出来ない現実なのです。
偏向した思想を持った教師が行った子供達に行った、行っている差別、弾圧を忘れては
なりませんし、無視をしてはならないと思います。(他のトピにも以前書かれていましたが
自衛官や警察官、ある政党の政治家の子息に対するあからさまな差別、虐待は目を覆うもの
があります。)
教師は生徒を導き、教える存在です。教師が生徒と話し合うには、教師であるという自覚
を忘れず責任を持ち、話し合いを行うべきでしょう。貧しい偏った心の持ち主の教師から、
しかも組合から統制された教師から豊で楽しい授業や学級生活など生まれるわけないのです。
周囲の顔色をうかがう教師、差別や言論弾圧を自覚せずに行う(しかも正しいことだと思って
いる教師すれいる)教師から教えを受けたり、話し合いをしてきた子供達は自分で判断し
行動出来る能力を育てられるのであろうか?政府や文部省の姿勢、やり方を批判するばかりで
自分たちのことを棚に上げて、支離滅裂になっている日教組の統制を受けた教師達をまず
改めなくては、色々な問題も分析はできても対策は一向に進まないのではないかと思います。
>今の子供達は校則やマナー云々などお笑いギャグとしか捉えていませんし、いじめす
>ら一向に減少する気配がありません。かかる教育現場の認識欠如が少年犯罪の増加、凶
>悪化と無縁であるとは思えないのです。なんかの漫画にありましたが「既に死んでいる」
>と言いたくなります。
この問題を考えるには原因が色々と考えられ簡単にはいきません。私が上で述べたことが
全ての原因でもありませんし。しかし、簡単に言えば本来は「子供には最大限の自由と最小限
の権利」であるべきなのが、「最大限の自由と権利」を与え、教師が指導、管理出来なくなって
いるからではないかと思います。また親も学校に不信感を持ちながら、しかし教育の責任
を学校に全て押し付けているのも大きな一因であると私は思います。
子供達はある面非常に純粋でありますが、ある面は大人と同様、ある面はそれ以上にずる賢い
面も持ち合わせています。良し悪しは色々とあり、差もありますが子供達との話し合いを実施
している教師は少なくありません。しかし現実にはその教師の能力、普段からの姿勢もあるので
しょうが、話し合いなど成立しないのが現実でしょう。平和、戦争反対、言論の自由、人権、押し付け教育の反対、権力への盲従を戒めることを念仏のように唱えても、それはかえって自分の
足をすくわれ、授業中にクラスから出ていっても、遅刻したり、勝手に早退しても、「個人の自由、押し付け反対」と言われ、話し合いや指導が出来なくなっているのです。躾せずに教育は成立しないという事です。
教員達は「国旗、国歌を義務付けられるようになると、軍国主義になり、平和教育が崩壊する」
と言いますが、そんな陳腐な平和教育ならなくなってしまったようが良い訳で、こんな事で
軍国主義になっているならとっくに軍国主義になっているでしょう。
ことの本質はこんな事ではないはずです。1番悪いのは、「国旗、国歌」を理由して国民を不幸の道へ扇動しようとすることです。これはいわゆる右でも左にもある動きで、軍国主義化、平和教育の崩壊と言う連中の裏側にも必ず意図があり、その言葉にまどわされてはならないのです。
過度に賛成する側も過度に反対する側も所詮は国旗、国歌を理由しているだけではないでしょうか?
イデオロギーに左右されず、純粋な位置付けとして国旗、国歌を保持することが大切であると思います。
乱文で論旨がはっきりしないかもしれませんが、色々とご批判をいただければと思います。
名前:MISA
100年05月18日14時21分
はじめまして。ここに書くのははじめての主婦です。
Ryoさんのご意見、目からうろこが落ちるようでした。知識のない私にも
よく理解できました。国会でなんでこういうお話ができなかったんでしょ
うね。
日本は好きです。でも回りくどく強制なんかされたら、別の下心があるみ
たいで、嫌いになってしまうじゃありませんか。
イデオロギーとか政党なんて関係ないんですよ。だれだって豊かになりた
いし子供達に幸せになって欲しいですもんね。
脳が退化するおはなし、以前テレビでやってました。大人だっていつも周
りからガミガミ言われて押さえ付けられてたら性格変わっちゃいます。ホ
ントにそうですよね。
会社、いまどこも大変らしいです。前みたいなただの優等生タイプじゃ、
これからの世の中渡っていけないって、パート先の店長も言っていました。
私も子供いますけど、自分の都合だけで叱ったりしないように気をつけま
すよ。
エート、なんて締めたらいいか分かりませんけど、どうもありがとうござ
いました。
名前:いつき
100年05月18日03時44分
初投稿です。私は基本的にRyoさん、一歩さんの意見に賛成します。
みなさん、頭がよろしいみたいで、理論だてて論じておられるのでなんだか緊張・・・
えっと、日の丸も君が代も「強制」されるのは嫌いです。「強制じゃないよ」というのは甘いと思う。形は強制じゃなくっても結果としてやっぱり強制になると思う。私は広島に住んでいますが、法制化されてから以前と変わったこと、それは町の中に日の丸が目に付くほど増えた。
「校長の自殺など教育現場の混乱を防ぐため法制化を急いだ」って理由を与党の人達は言っていたけど、ほんとにそれだけかなあ?森さんとかが好きそうな「国体」のためなんじゃないかなあ?こういうこと書くと「お前は左翼だろ」とか言われそうだけどどっちでもないです。
一市民としてなんだか怖いだけ。乱文失礼しました。
名前:Ryo
100年05月17日20時11分
先に投稿されていたことに気付かず失礼いたしました。問題を国旗国歌に限定、かつ
純粋な一般論として考えるなら、まったくパセリさんに同感です。教育に関するお考え
が不明のままでしたけど…。
しかしながら、国旗国歌が国を象徴するものである限り精神性を抜きにしたのでは、
教育としてあまりに皮相的ではないでしょうか。むしろ国旗国歌に対する冒涜という解
釈も成り立ちます。
それに、校長の裁量に委ねられているとは言え、校長の判断には教師も生徒も従わざ
るを得ないわけですから、実質的には強制と変わらないのではないでしょうか。
一般社会では、法律・条例はどうあれ業務命令が至上命令で、逆らえば処分か不利益
な差別対象となります。学校でも生徒にとっては法律と同列の命令としか写らないでし
ょう。当然雇用者たる先生にとっても同様でいつ異動されるか分かりませんし、校長す
ら行政からの通達違反ということで立場が危うくなるでしょう。
しかし教育の場においてそういうやりかたが正常とは思いません。
小学生なら通り一遍の説明で済むでしょうが、中・高となれば生徒のレベルに応じた踏
み込んだ説明や指導が必要でしょうし、(まともな学校ならば) 当然生徒の側からも様々
な疑問が出るでしょう。私が言いたいのはそのときどう対処するか? ということなので
す。
現状では特に混乱は起きていない。問題はごく一部の学校だから無視して構わないと
いうのが多分当局の見方だとは思いますが、それで解決済みとは思えません。
国旗国歌は瑣末の事項。生徒達は勉強第一と言う見方もあるでしょうが、脳は使わな
ければ退化するもの。創造力をつかさどる部分が発達しないまま枯れてしまうことは医
学的にも証明されています。冗談ではなくて、健康診断に脳のCTスキャンが必要かも
知れません。教師の採用試験それに選挙公報にも…。
ここでは象徴的に国旗国歌を取り上げていますが、それに限らず小さな校則一つにし
ても押付けはいけない。先生と生徒の対等な話し合いが必要です。そうしないと勉強が
いくら出来ても判断力のない狭視眼的な人間になってしまいます。社会人になっても、
ただ従順なだけでは今の世の中使い物になりません。何よりも自分の意見を持っていて、
かつ、それをきちんと主張できる子を育成しなければいけないのです。 受売りや人の揚
げ足とりなど能力のうちに入りません。
今の子供達は校則やマナー云々などお笑いギャグとしか捉えていませんし、いじめす
ら一向に減少する気配がありません。かかる教育現場の認識欠如が少年犯罪の増加、凶
悪化と無縁であるとは思えないのです。なんかの漫画にありましたが「既に死んでいる」
と言いたくなります。
「和を以て貴しとなす」従順なる国民性は戦後復興に大きな原動力となりました。
創造力、奇抜な発想には乏しくとも、例え猿真似といわれようとも、日本人の得意とす
る分野で世界の市場を拡大して参りましたが、それが既に限界に達していることは誰の
目にも明らかです。
これからは組織の枠をはみだすような、奇抜で創造性の豊かな人材を育成しなければ、
欧米諸国はもちろん近隣アジア諸国にすら追従することは難しいでしょう。景気回復な
どとは空言で国民の生活レベルのさらなる低下は必至です。国内においても自分の仕事
を自分でつくる起業家としての能力がなければ現状を乗り越えることはできません。
かつて組織内で「はみだし者」「売名」と罵られたようなユニークな人材こそ、いま
最も必要としております。近ごろの採用面接では、とんとそういう覇気のある人材にお
目にかかりません。実になげかわしい限りです。
森総理の申される「神の国」は国民の島国根的精神構造から見れば、まことに残念な
がら真実を含んでいるのでしょう。しかし人材育成においてはそれが大きな足かせにな
っていることは事実です。当然、民主主義と相容れない歴代稀な問題発言ですが…。
私、視察がありますので、投稿はこれにて中断。失礼いたします。
またいずれの日か…
名前:パセリ
100年05月16日23時21分
>りょうさんへ
私の意見が法制化の上に立っているように読みとれましたでしょうか?私は、今回の法律の制定には疑問を持っております。その点は、以前の書き込みを見ていただければ理解していただけると思っております。もう一点、「君が代」の歌詞の政府解釈にも疑問を持っております。このような点は、もっと時間をかけて審議して国民一人一人への浸透が必要と思っています。確かにおっしゃるとおり、他に山積みの問題を抱えている中で、この問題のみを先行させている点は私も危惧しております。但し、国旗と国歌に対し、敬意を払うというのはやはり大切ではないでしょうか。別段、個人でいる時間や場所で吹奏されたり、掲揚されたりするわけではありませんし公式行事の席上のみでしょうから、いたずらに個人の信念を傷つけることはないと考えます。
教育の場で必要と考えるのは、これから社会人となる人間に最低限の常識を教育する必要があると考えるからです。日本国内ではこのような論議がなされていますが、国旗国歌に対する対応が日本と全く異なるのが、二次大戦後独立した旧植民地諸国です。かの国々では、自国独立の象徴として、非常に大切にされておりますし、彼ら自身の誇りにしています。先般もこのコラムで米軍基地での「事件」が書かれていましたが、これが海外ですと、最悪の事案も考慮に入れる必要があると思います。これに対し、きちんとした教育を実施しておけばこのようなことを考慮する必要もなくなってくるのではないでしょうか。
あと、蛇足ですが、国旗国歌法には、強制する規定もありませんし、罰則規定もなかったように記憶しております。教育現場での話は、あくまでも校長の裁量権の中にあったと思います。
名前:Ryo
100年05月16日16時25分
いろいろご意見をいただきありがとうございます。若干自己フォローをいたしたく再度
投稿いたします。先ほどは誤字が多く失礼いたしました。
先ずほろほろさんのご意見に関して…。私も国歌、国旗に対するマナーの必要性を否定
するものではありませんし、法制化するしないに関わらず誰もが国旗、国歌に愛着を覚
えるような国になって欲しいと切望しております。アメリカ人が祖国を愛し星条旗を愛
するように…。
ただそれには、それなりの順序が必要だということを申したかったのです。
学校で国旗、国歌に対するマナーを教えるには、当然その精神的背景を教えねばなりま
せん。
つまり学ぶことの意味といいますか、将来経済的文化的に人々の生活を潤すような職能
を身につけるということが第一。しかし個人がいくら頑張っても豊かになれません。ま
ず国が豊かになること。そして何よりも世界が平和で、近隣諸国も豊かでなければ、自
分の生活は向上しないというシュミレーションを子供達に十分に理解させなければなら
ないでしょう。
それには教育改革が急務でしょうし、産業経済の改革、公務員倫理の法制化等々、先に
なすべきことが山積みなのです。有馬前文相が東大のレベルはアメリカを除き世界で70
番目 (正確な数字は忘れました) と申されていましたが、現状のままでは残念ながら、国
旗国歌−愛国に至るシュミレーションが成り立たないのです。何と東大卒でも世界には
通用しない。
子供達は内申書への影響を恐れ、セレモニーのマナーはきっと守ってくれるでしょう。
でも、それが何になる!!と、私は言いたいのです。上つらだけじゃないですか。女の
子のスカート丈の校則と同レベルの低次元の指導でしかないのです。実の伴わないセレ
モニーならやらないほうがいい。教師、生徒が輪になり、各学校毎に脱儀式的な実のあ
る式典を創り出すことこそ、教育のあるべき姿ではないでしょうか。現に一部の私立校
などではそういう試みがなされています。
個人主義をはきちがえている人は確かに多いですね。私は欧米のキリスト教文化を背景
にした個人主義を念頭に考えております。
反逆云々の発言については、世界に通用する人間は、日本型の組織では育ちにくいとい
う現状に発しています。会議で一言も自分の意見を言わないサラリーマン。さらにトッ
プには一言も口答えできず、総べて密室の根まわしで運営される日本の組織のしくみこ
そが問題なのです。
はてまた、力を背景に規則を押付けるだけで、対話のない学校教育。自ら考え自ら行動
するという人間にとって最も大切な能力を圧殺する教育では、将来わが国を牽引すべき
人材育成などとてもおぼつかないのです。教師と生徒が対等に白熱の議論を闘わしてこ
そ教育ではありませんか。
ところが今は、民間予備校と警察の協力なしには学校が成り立たないという信じ難い状
況にあります。学校は既にその本来の機能を失っているのかも知れません。まさにこれ
に呼応するかのように民間諸企業においても、既成の秩序が崩壊しつつあります。
こういう現実にあっては、志と能力のある者には「反逆者的精神」が不可欠だというこ
とを申したかったのです。今のままではどうにもならないのです。
文脈を見ればお分かりいただけると思いますが、「反逆」という言葉は時折マスコミが
報じるような、国旗国歌に係わる幼稚な示威行動、或いは少年犯罪を指して使ったわけ
ではありません。
パセリさんのおっしゃるように、私の申すこと社会で通用しないことは十分認識してお
ります。
多分、革新的政党からもそっぽを向かれることでしょう。アナキストだと誤解されるか
も知れません。悲しいです。
やっぱり自分の儲けのことだけを考えて、長いものに巻かれてお利口ぶりっこして、陰
でこっそり脱税でもして、何ごとも深読みせずお上に殉ずるというのが平均的日本人像
なのでしょうか。
かく申す私は戦中生まれ。激動の時代をこの身で体験してきて、社会常識も闇の部分も
十分わきまえているつもりです。
こういう解放された議論の場というのは、役所や政党の説明会でも個人の知識を発表す
る場でもなく、様々な立場の一般市民が様々の視点から一定のテーマについて論じ、お
互いの視野を広め相互理解を深める場としてのみ意義あるものと認識しております。
私はかかる観点から、イデオロギー抜きにした凡庸なる一市民としての極めて素朴な疑
問を述べたに過ぎません。
その意味で失礼ながらおふたかたの論拠が「既に法制化済み」という現状肯定に止まり、
背後に潜む問題点、マイナス因子に関する認識が希薄であるように感じました。マスコ
ミや論壇、議会にも登場しないような、まったく別の一般市民の視点からの斬新な発想
を期待したのですが…。私への反論とか政府の代弁ではなく、ご自身で考えられた私的
日本改革シュミレーションをお聞かせ願いたかった。
言えることは、法律というのはただ盲目的に従えばよいというものではありません。結
果が裏目に出ても誰も責任をとってはくれない。すべて国民にツケが回ってきます。
公務員といえども現状を懐疑の目で見ることは必要です。めいめいの生活が破綻しない
程度に個人の領域を拡大するのがいい。そういう積み重ねによって現実がより良いもの
に改革されていくものと信じます。
貧しい国にはなりたくない。あの飢えを二度と体験したくない…。
名前:パセリ
100年05月15日22時52分
>りょうさんへ
国歌、国旗というものは、”個人の領域”でしょうか?これは、一般常識に該当するものと考えます。別に、家で深夜番組を見ているときに、NHKの放送終了時の国歌放送を一緒に斉唱せよと言っているわけでもないし、祝日の役場前の国旗に正対しろと言っているわけではないでしょう。あくまでも、自身の参加している、公の儀式(卒業式等)においては当然ではないでしょうか。ためしに、公衆の面前で、皆が国歌を斉唱し、国旗に正対しているときに、近くでおしゃべりでもしてみたらいかがですか?
社会では通用しませんよ。
名前:ほろほろ
100年05月15日20時32分
りょうさんにレスします。
基本的は同意見なのですが、私は教育の現場において国歌、国旗に対するマナーは
最低限教えるべきだと思います。
昨日用事で米軍の基地に行き、国旗効果に立ち会いました。どんな場所にいても皆国旗に向かって静態しているのですが、日本人の中年カップルと若い男女グループ10人程度は何も気にせず
歩いていました。(しかも食べたゴミを道にすてながら・・・)
その後どうなったか想像出来ますか?アメリカ人の青年に日本人達が注意され、それでも直らなかったので周りにいたアメリカ人も怒りだし、大揉めでした・・・。
礼儀、マナーをしらないがゆえの出来事です。
法制化には法制化した過程には反対しますが、法律で定められる事自体は良い思います。
個人主義の拡大と反逆精神とありましたが、今のまま個人主義が拡大すると危険ですよ。完全に個人主義をはきちがえていますもん。今は単なる利己主義です。このままだと本当の個人主義は
利己主義である個人主義に潰され、抹消されてしまいます。
名前:Ryo
100年05月15日13時39分
はじめての投稿です。
私は基本的に国歌斉唱、国旗掲揚の義務付けには反対です。
仮にそれが君が代、日の丸ではなくて、新たに公募、制定されたものであったとしても
やはり反対です。
なぜならそれは「個人の領域」であると思うからです。
国家であるからにはそれが法制化されるのは仕方ないのかも知れませんが、それに従わ
ないからといって差別的に扱うべきではありません。
例えば公立校での国家斉唱。子供達にとってはただの校則の一つにすぎず、それが国民
としての自覚に結びつくとは考えられないのです。何でも「決まり」にさえ従っていれ
ば我が身安泰というのであれば、自分でものを考え判断し行動するという、創造的な芽
を摘み取ってしまうことになります。
これは子供に限らず大人の社会でも同様。出る釘は打たれる、長いものにまかれろの光
景は何処も同じ。それが景気低迷の原因であることは言うまでもありません。
国の繁栄のためには確かに国を愛する気持ちは必要でしょう。しかしひたすら「決まり」
に従うという国民性こそ最大のマイナス要素ではないでしょうか。反逆的な開拓者精神、
創造力こそが国民経済を潤します。欧米の猿真似の技術、家族的?な経営は限界にきてい
ます。
役人、政治家、教師の不正行為が後を経たないのが社会の現実。経済面でも近隣諸国に
追い抜かされかねないのが現状です。こういう状況をつくり出した張本人たちが、国民
の意識向上などとは・・・。
とにかく、「どうでもいいことを決めるな」といいたいですね。
個人の領域の拡大(個人主義)と、反逆者精神がなければ、他国に太刀打ちできませんよ。やることがまるで逆のような気がします。
名前:パセリ
100年05月10日00時25分
>一歩君へ
確かに言われるとおりそのように読みとられかねないな。前文訂正
公務員は、国民全体に対し奉仕する者ではないでしょうか。特定の信念、信条を公の場で公表すべきではないと考えます。日の丸を破棄した彼は、公務員として論外の行動を起こしていると思います。逆に言えば、国粋主義の教員がいて、学生に対し天皇崇拝のようなことを強制したり、入学式や卒業式といった儀式の最中に天皇の肖像を掲げたりしたら実施すればどのように考えますか。
彼らが個人の立場で、そのような信念を持つことや、退職した後に行動することは問題ないでしょうが、これを在職中に公の場に持ち出すことは決して許されないと思います。全く逆の国粋主義的な思想を持つ教員がいて、入学式や卒業式で行事を妨げる行動をしたり、天皇崇拝や、凶暴な軍国主義的な教育をあなたは認めますか?
これと同じことは、他の国家、地方公務員にも言えることです。
それと、例の法律の制定過程は確かに問題がある。別にあんなに急いで制定する必要もないし、(50年以上ほったらかしだったものを、今急ぐ必然性が見あたらない)「国の顔」を本格的に決定するわけだから、もっと時間をかけるべきだと思う。
但し、君が代、日の丸に信念を持って反対しているのは、極めて少数だと思う。学生が国歌斉唱や日の丸掲揚時に起立しないのは、思春期独特の反抗心であってきちんとした説明を受ければ簡単に納得するレベルと考える(もちろん全員とは言わない)。
ただ、前大戦のことをいつまでも言うのはどうかと思う。そんなことを言えば、共産党も以前は、一部のはみ出した集団とはいえ、武力革命を標榜していたことを掘り出されて、赤旗を中国や旧ソ連の人民弾圧や侵略戦争とリンクされれば、全く同じことでしょう。
前大戦でのアジア諸国の損害は計り知れないものがありますが、これは日本人全員が共有すべき問題点、反省点であって、国旗や国家をそのシンボルとして排除する理由にはならないと思う。
あと、蛇足ですが、卒業式をぶちこわされた生徒の気持ちをお考えになったことはありますか?教師から見れば年一回の卒業式でしょうけど、生徒にすれば一生に一回しかないんですよ。
>卵っちさんへ
「政治的デモンストレーション」なんて高尚なものじゃないですよ。あれは「パフォーマンス」って表現の方が適切でしょう。何せ、自己満足の世界の中で、教員という立場でありながら生徒のことを一顧だにしない人間なんですから。あれは、売れない漫才師のレベルですよ。
名前:卵っち
100年05月08日12時31分
一歩君へ
> ならばあなたのおっしゃる「政治的デモンストレーション」の定義について
> ご教示頂きたいと思います。
またまたくだらない相対主義に持ち込んで焦点をぼかすのかどうかは
しらんけどね、いい加減にしてほしいよ。「一概には区別できない」とか
「概念自体が不明確」とか言いたいのかもしれんけどね。
そういうことを、きっちり決めんとだめっ!て言うつもりかねえ。
卒業式で壇上にあがって、日の丸を取り上げるのも「日の丸反対、という
政治的メッセージを表現している!」とでも言いたいのかしらんけどね。
政治的デモンストレーションの定義付けって、普通なら分かりそうなもんやけど。
まあ、今はアメリカの話で、仮定上の話をしているんだったけどね。
面倒やけど教えたるわ。逃げてると思われるのもしゃくやしね。
「政治的デモンストレーション」の定義はね、辞書的にはあり得ないけど、
政治的メッセージの表出であること、この1点につきます。
それで、表現の自由の一形態として保護される政治的デモンストレーションは、
衆目において政治的デモンストレーションと受け取れる蓋然性の高さで決まります。
あとね、決定的なこと教えてあげるよ。「平均的な人の報復を招き治安妨害とならない」。
これが大事なの。こういう要件を備えるのは大変よ。反戦教師がふきあがってあばれるのとは
訳が違うの。反動と積極的意思表示は違うんだから、そのへんをきっちり理解してほしいよなあ。
象徴的言論として保護されたのは、判決によれば、
「反レーガン政権、反共和党を標榜する平穏な政治的デモンストレーション」だったのであり、
その行為の内容は、「デモの終点であるテキサス州ダラス市庁の前で、途中で入手した星条旗に
灯油で火を放ち、アメリカ、赤、白、青、唾かけろ、と繰り返し唱和した」のであって、
「その間に負傷したり、身体に危害が及ぶおそれを抱いた者はいなかった」のです。
国旗保護法は、1989年10月28日に成立。法律名は、
Flag Protection Act of 1989 Pub. L. 101-131 103 Stat.777です。
最近は判決が容易にインターネット上で検索できるご時世なんで勉強したら。
象徴的表現として星条旗の焼却を保護したのは、
http://www2.law.cornell.edu/cgi-bin/foliocgi.exe/historic/query=[Group+491+U.S.+397:]([Level+Case+Citation:]|[Group+citemenu:])/doc/{@1}/hit_headings/words=4/hits_only?
国旗保護法を、政治的デモンストレーションに適用される限りにおいて合衆国憲法第1修正に違反するとしたのは、
http://www2.law.cornell.edu/cgi-bin/foliocgi.exe/historic/query=[Group+496+U.S.+310:]([Level+Case+Citation:]|[Group+citemenu:])/doc/{@1}/hit_headings/words=4/hits_only?
まあ、アメリカの話であり、あくまで仮定上の話であり、日本には、国旗保護法に該当する
法律がないから、上に書いた話は関係ないけどね。
どういうつもりで書いたのかわからんけど、政治的デモンストレーションの定義を
ご教示頂きたいなんてよく言うよ。教示したらしたで、その次は
「あなたは体制側が下した判決を鵜呑みにするのか?」と怒られるのかもしれんな。
> 横レスに関しては偏向ではない授業とはなんぞやという問題について議論する必要が
> ありそうです。
そんなもんない!全然ない!偏向授業が何か分からないようなのは、きっとあんただけ。
仮にその教師が反戦日教組共産主義教師でも、「大戦時に、アジア各国を侵略したという問題があったが、
最近ではその見直し論も多く、議論は紛糾していますよ」と言えばいいんだよ。
あんたって細かい定義付け好きだね、ほんと。
のわりには「血の通った国民が主人公の政治」とかを標榜する政党の党員なんでしょ。
矛盾もいいとこだね。主張や反論が場当たり的でめちゃくちゃ。
(頼むから「どこがどうむちゃくちゃなのか、具体的に示してほしい」なんて書くなよ
上に書いた文章と、学歴のページでの書き込み見れば分かるでしょ)
ほんじゃね。
名前:一歩くん
100年05月08日01時44分
4月30日の学者の卵さんへ
ならばあなたのおっしゃる「政治的デモンストレーション」の定義について
ご教示頂きたいと思います。
横レスに関しては偏向ではない授業とはなんぞやという問題について議論する必要が
ありそうです。
5月3日のパセリさんへ
あなたがご指摘の点は4月24日のあなたのレスに対して書いたものですが、それは
始めにこのように書いてあります。
>一歩君み〜つけた・・・ここにもいましたね!
この一文は明らかに私個人に対する呼びかけだと判断できます。
また、以下の文章では「君たちは」「反対する君らは」という主語が明記されていますが、
「君」という呼称はある程度親しい関係でなければ普通使いません。
で、この場において明らかに「君が代」「日の丸」に反対しているとみなされているのは
最近のレスでは私だけです。でありますから「君」の対象は私であろうと
推定できます。
ところで問題は「君」が複数形になっていることです。とするならば対象は私一人では
ないことは明らかです。このことをどう考えるかですが、話の流れからいくとどうも
この場には他にはいらっしゃらないようですから、他を探さなければなりません。
で他の可能性を考えてみると私が「共産党」宣言をしていることぐらいしか思いつきません。
であるならば「君たち」「君ら」の対象は私を含めた日本共産党全体ではないかと
考えられます。よって日本共産党の見解を書いたまでです。
もし、「君」の対象が私ではないとしたらどのような人間が想定されるかということを
4月24日のレスから導き出していただきたいと思います。
5月3日のぐんそうさんへ
日本共産党の理論的支柱は科学的社会主義です。マルクスが発見し、レーニンが発展
させた社会変革のための理論であるという点ではマルクス・レーニン主義と共通するの
ですが、その理論を日本の現実に合わせてさらに発展させたという点が異なります。
日本の資本主義が欧米と異なっているように中国や北朝鮮とも異なっています。
決まりを守るかどうかという問題と決まりを変えるかどうかという問題は全く別のもの
です。また、君が代・日の丸が国歌・国旗としては認めないということも書いては
おりません。あくまでも制定過程およびその強制を問題にしております。
「自主的な判断」をどのように行うかという問題は考えるべき問題だと思います。
私としては教員の中だけではなく、生徒自身あるいは生徒の親や地域も交えて
徹底議論するより他に解決の道はないように思います。
強制しないとは一言で言うと国旗、国歌に対して敬意を表さない自由を保証する
ということになるかと思います。
君が代、日の丸をどう扱うかという問題は国民世論の中ではいまだ決着していない
問題です。単に学校の場に持ち込むか持ち込まないかという問題ではありません。
このように扱いが国民の間で確定していない問題については学校教育の場に持ち込む
べきではないということが基本です。また、国会答弁においても法制化によって
取り扱いが変わるものではないということがはっきりしていますから、基本的には
変わるものではありません。もちろん法制化されましたので、「日本の国旗、国歌は」
という問いかけに対しては「日の丸、君が代である」という回答自体を否定するもの
ではありませんが、それ以上の扱いはすべきではないと考えます。
公務員であろうと会社員であろうと教育諸法で規定するところの教員には何ら代わり
ありません。であるならば教育内容に違いがあるべきではありません。もちろん、私学
特有の教育方針までも否定するものではありませんが、それとても全く違う教育をして
いるわけではありません。また、国旗、国歌を教育の場でどのように取り扱うかという
問題に対しては私の知る限り法律上の条文としては存在していません。学習指導要領には
規定がありますが、これは法律ではありません。文部省の考えでどうにでもなるものです。
ですから、国旗、国歌の取り扱いについては法改正の必要すらありません。
5月4日のグランさんへ
反対派の一人として少し書きます。
国旗や国歌を制定すること自体に反対なのではありません。問題はなぜ日の丸、君が代なのか
ということです。
国旗や国歌は国の理念をあらわすものであると一般的に考えられています。
ですから、政治体制が大きく変わるとほぼ例外なく国旗、国歌を変更しています。
日本においては長い間国旗、国歌が制定されず、明治以降日の丸、君が代が国旗、
国歌的なものとして広く国際的にも認知されてきました。
太平洋戦争後日本は天皇主権から国民主権へと政治体制が大きく変わったといえると
思います。であるならばそれまで国の理念であった天皇主権を象徴する日の丸、
君が代は当然国旗、国歌としてはふさわしくないということになりますが、戦後も
国旗、国歌的機能は変わることなく現代に至るまで使用されつづけています。
このことを言いかえるならば国の理念としては明治維新以降変わっていないのだ
ということを国の内外に宣言しているとみなされても仕方ありません。
前述のように国の理念が変わったのだからそれを象徴する国旗、国歌も現在の理念に
ふさわしいものにするべきだというのが基本的な主張です。
ちなみに君が代の意味ですが、以下のとおりです。
君が代は 千代に八千代に さざれ石の巌となりて 苔の生すまで
(今の天皇の治世はいついつまでも続きますように、たとえば川にある石が海に流れ
それらが集まって高く険しい山となって、その山が苔で覆われるまで続きますように)
ですから、現在の天皇の人柄を問題にしているのではありません。
5月5日の遊霊さんへ
基本的に日の丸・君が代をどのように扱うかという問題はそれぞれの家庭で考えるべき問題
だと考えます。現にこれまででも敬意を表する家庭もあれば、無視する家庭もあります。
それでは不充分だ、是非とも学校でとりあげなければならないということになると
どうなるでしょうか。あなたは好きなら唱和すれば良いし、嫌いならしなければよいと
主張されていますが、入学式や卒業式において「国歌斉唱」とアナウンスされたときに
着席したままでいるのは並みの神経ではなかなかできるものではありません。
特に現在では課外授業や日常生活にまで偏差値の網がかけられている現実を考えると
あなたのご意見は非現実的だと言わざるを得ません。
名前:遊霊
100年05月05日21時48分
初めまして、遊霊と申します。
国旗国歌排撃を唱える皆さんにお聞きしたい。国旗を掲揚しない、国歌を演奏しないこれまでの状況は、国旗に敬意を表し国歌を歌いたいと望む人たちの権利を最初から選択の余地なく奪ってきたのだということを考えたことがあるのでしょうか。
私は法制化など本来ならば必要ないことだと思っています。しかし、これまでがあまりに異常すぎました。国旗が掲揚され国歌が演奏されるようになれば、嫌いな人は起立もせず唱和もしなければいいのだし、好きな人は起立して唱和すればいい。今回の措置は単に両者の選択の自由がやっと平等になった、ただそれだけのことです。
しかし皮肉なことですね。あまりに異常な排撃行為が結局は法制化を実現させる引き金になってしまったのですから。
それにしても、本家ソ連が消滅しているのに、いまだにマルクス主義の怨念を吐きながら子供たちを汚染し続ける日教組という存在を許し続けた我々の大いなる過失は、後世から厳しく指弾されるべきです。
名前:グラン
100年05月04日22時02分
はじめて書きます。
日の丸・君が代についてですが、私としては「なんであかんの?」って思います。
おっと、アホと思われるかもしれませんが過去の事(戦争やそれに伴う戦前の教育制度等)は新聞などからの知識ではありますがしってます。そのうえで何故?とおもうのです。
別に戦争するわけでもなし侵略するわけでもなし。
反対しているのは主に教育関係者なんでしょうか?よく新聞にでてますが去年は広島で校長先生が自殺されてましたよね。人ひとりが死ななければならないほどの問題なんですか?この問題は。
そこで、質問があります。反対しているかたは何故反対なのかおしえていただけませんか?
過去の悪夢を繰り返さないとか、戦争反対とかそれだけの理由なんでしょうか?教えていただけるとうれしいです。
ちなみに私はどっちかといえば賛成です。理由は国旗があるのは当たり前のように感じているし
日の丸はシンプルで非常にわかりやすい。対して君が代ははっきりいって訳がわかりません。内容は天皇を称える内容らしいですが意味がわかりません。さざれいしだっけ?これが珊瑚のことなんていったい何人の人がわかるのでしょうか。分からない以上意味があろうがなかろうがたいして気にもなりません。それに今の天皇・皇后は好きなほうです。メディアに踊らされてるだけかもしれませんが悪い人にはみえないので。
では反対意見の人の方、よろしければ返事お願いします。
名前:ぐんそう
100年05月03日14時17分
こんにちわ。
またしても、しつこく、一歩くんに対してちょっと。
>日本共産党と中国共産党あるいは朝鮮労働党とを混同しないでください。
ちょっと皮肉を込めた書いたのですが、正直言って「逃げたな」って感想です。
でも、基本理念は同じところからかなーなんて、いまだに思ってます。
マルクス、レーニン主義ってところでは一緒でしょ?
>一方私の意見としては国が決めた事であっても間違っていると判断したならば
>反対すべしということですから、この点につきましては議論が成り立たないと
>考えます。
そうですね、そういうことでしたら議論にならない。
あえて、言わせてもらうならば、「天上天下唯我独尊」でしょうか?
まあ、革命を目指している人なら、そういった考えも仕方ないですね。
でも、決まりは守りましょうね。
>基本問題として、国歌、国旗については国家権力としては強制しない、つまり、
>たとえば学校教育の場でどのような取り扱いをすべきかという問題については
>それぞれの学校の自主的な判断に任されるということです。
「自主的な」判断ですか、そうだったらいいですね。
現実問題として、日教組などの、左翼系組織が堂々と介入しているところでそういった自主的判断が行われるかどうか疑問です。
>子どもたちに対しても強制はしないということについても国会答弁で明言しています。
子供に対して、強制しないというのは、何を強制しないということですか?
これが国旗国歌だということを、認めなくてもよいということですか?
その法律に関しては、無視してもよいと?
>世論も大きく二分されています。学習指導要領の建前は「国論を二分する
>ような問題については取り扱わない」ということですから、本来ならば日の丸、
>君が代を学校の場に持ちこんではならないということになります。
またこれも、屁理屈のような気がするよ。
ということは、反対論も持ち込んではいけないし、戦争についても教えられない、じゃあ、国旗国歌とはなに?ってことにならない?
持ち込まないってことは、反対論についていると思うのだが。
>しかるに教員が公務員である場合に限り、なぜに日の丸、君が代を教育の場で
>取り上げなければならないのかということが今問題となっていると考えます。
公務員であるからでしょう。
公の人なんだよ。
特定団体の職員じゃないんだよ、特定政党の人じゃない(そういう場合もあるが)んだよ。
私立学校の教員であれば、これは会社員と一緒。
取り扱いは自由だと思う。
しかし、公務員は、上司の命令には従う義務があるし、法的根拠もある。
前にも書いたけど、異論があるなら、筋を通して改正という道をとってほしい。
なぜ教えるかといえば、教わる側の生徒のほとんどが「日本人」だからでしょう。
そしてここは日本。
日本人が、住んでいる日本の国旗国歌を知らない、または、教わっていないなんて、変ですよ。
実は、僕は就職するまで、君が代の歌詞なんて知りませんでした。
僕のクラスメートたちもおそらく同じでしょう。
一切教わったことがないし、もしも歌おうものなら、先生にしかられる、そういった雰囲気がありました。
社会に出ると、そういった偏った考えが通用しないということがよく分かった気がします。
名前:パセリ
100年05月03日09時59分
>一歩君
君、人の書き込み読んでから書き込んでる???私は、共産党なんて言葉を全く使っていないし、あなたに対して発言しているのではないんですよ。あんたほんとに共産党員なの??
自分で言ってるだけじゃないの??「私たち共産党は・・・」君の発言は「党」の発言なの??それとも組織をちらつかせないとこの程度の議論もできないの??
ちっさい人間だね!!
名前:学者の卵
100年04月30日23時13分
学者というのは、どうしてこう些細なことにこだわって、物事を難しく言うのかねえ、という
批判をうける可能性大ですが、曖昧にしてよい部分とそうでない部分の見極めができるか、ということも
大事なので書いておきます。
>確かに言い過ぎですね。「少なくとも」の後に「基本的に」と入れるべきでした。
ただしておきますけど、基本的に「処罰の対象になる」ということですよ。
>しかし、故意に星条旗を燃やす場合で、実行者の意思として「表現の自由」の
>「行使の一形態」でない場合ってどんな場合でしょうかねえ。
ほとんどそうです。反戦の意思表示としての徴兵カードの焼却行為も同じ。
政治的デモンストレーションである場合に限り適用違憲です。
ですから、アメリカの法律を日本の事例に当てはめれば、学校の教員が卒業式で無理矢理に
日の丸をおろしちゃったり破いたりすれば処罰の対象になる可能性大です。
日本の場合は、このような法律がありませんから、沖縄国体の日の丸事件のように
器物損壊でしょっぴかれるという過程をたどることになります。
日の丸、君が代の是非とは別に、私が注意しているのは、
>名前:横レス太郎
>100年04月24日02時22分
>>「認めない」側ができるのはせいぜい偏向授業くらいのものですが
>
>これが一番危険だろ? (笑)
という書き込みが代弁してくれていますが、
抽象的な議論をすることと、解釈を含んだ論理の飛躍を混同してしまう人が少なくない、ということです。
特に、特定の政治的信条を持つ人はこの種の混同をしがちな気がしています。
上にある偏向授業とは、私の理解ではこの種の混同をすることですね。
名前:一歩くん
100年04月30日14時29分
皆さんご意見ありがとうございます。
一通り皆さんのご意見を拝見していると大体以下のようになるかと思います。
国が決めたことは黙って従うべし。
一方私の意見としては国が決めた事であっても間違っていると判断したならば
反対すべしということですから、この点につきましては議論が成り立たないと
考えます。よって、今後についてはできるだけ事実について書くことにします。
基本問題として、国歌、国旗については国家権力としては強制しない、つまり、
たとえば学校教育の場でどのような取り扱いをすべきかという問題については
それぞれの学校の自主的な判断に任されるということです。また、子どもたちに
対しても強制はしないということについても国会答弁で明言しています。
また、世論も大きく二分されています。学習指導要領の建前は「国論を二分する
ような問題については取り扱わない」ということですから、本来ならば日の丸、
君が代を学校の場に持ちこんではならないということになります。
しかるに教員が公務員である場合に限り、なぜに日の丸、君が代を教育の場で
取り上げなければならないのかということが今問題となっていると考えます。
それでは個々のご意見に対して
4月24日のパセリさんへ
私たち日本共産党が反対したのは日の丸、君が代だからではありません。
国歌、国旗のようにそれぞれの国の象徴に関するものについては国民の
間にコンセンサスが得られて初めて制定するものであると考えるからです。
わずか10日ほどの審議でコンセンサスが得られたとは考えておりません。
ですから、仮に国民の間で君が代、日の丸がコンセンサスを得られたとしたら
それを国歌、国旗として制定することに何の反対もしません。
4月24日の学者の卵さんへ
確かに言い過ぎですね。「少なくとも」の後に「基本的に」と入れるべきでした。
しかし、故意に星条旗を燃やす場合で、実行者の意思として「表現の自由」の
「行使の一形態」でない場合ってどんな場合でしょうかねえ。
4月28日のぐんそうさんへ
日本共産党と中国共産党あるいは朝鮮労働党とを混同しないでください。
中国とは昨年まで、北朝鮮とは現在に至るまで党としての関係を断絶しております。
従いまして、これらの国々の国内法規については正直なところほとんど存知
あげておりません。よって、どうしても偏見が入ることは避けられませんから、
コメントしなかっただけです。このホームページに思い込みで自由に文章が
書きこめるほど甘くはありません。現に星条旗についてのコメントに対して
学者の卵さんからの反論があったことはそのことを証明しております。
名前:ぐんそう
100年04月28日19時31分
みなさん、久しぶりです。
一歩くんに、ひとこと。
国民の9割が反対しようとも国会内で過半数をとれば問題がないということになりますねとありますが、僕は問題ないと思いますよ。
だって、国民の9割も反対することを議会でとうそうと思ってみてください。
できると思います?
それができると言うことは、そう言う考えを持った議員を国会に送り込むだけの支持者がいるわけです。
国旗国歌の「信仰」するかどうかは基本的に個人の問題・・・
とあります、それが宗教ならそうでしょう。
別に、朝夕最敬礼をしろってわけじゃないし、結局今まで通りでいいんだよ。
国旗国歌を否定している人の中で、若年層のほとんどは、偏向授業の産物で、一方からの押しつけ的な教育によって、反日的思想を抱かされているとしか思えません。
偏向教育って恐ろしいですよ。
あなた方が否定しているような、戦前の思想だって、そういう教育を普通に受けていたからそうなったわけでしょう?
決まったことを守れないのなら、処分を受けて当然。
守った上で、正規の手続きを経て、決まりを変えていくのがスジというもの。
明文化されているものは、その内容も変えることはできるはず。
変えるという意見が主流を占めたときに、変わるでしょう。
いやがる人でも、それまでは決まり事を守ってもらいたい。
赤旗を購読しなさいって決まりができたら、僕だって従いますよ。
教育の現場に両者の意見を持ち込めばいいんですが、えてして片方だけですよね。
主に、反対派の。
しかしアメリカの例をご存じで、共産主義圏の中国、北朝鮮をご存じないとは、意外でした。
おおかたの予想は、僕のような素人にでも想像がつくんですが。
どうでしょう?
名前:学者の卵
100年04月24日12時22分
学歴のページにいる学者の卵です。
23日(日)に掲示板を見たら私に対する批判が寄せられていたので、
書き込みをしたついでにあちこち見て回ったら、一歩くんという方はほんとうに
いたる所で発言しているんですね。ところで彼の「共産党宣言」の上での様々な発言は、内容はともかくも
>アメリカで星条旗を燃やしたら、一部の国粋主義者からは袋叩きにあう
>でしょうが、少なくとも処罰の対象にはなりません。
と書いたらやっぱまずいでしょう。これ間違いですよ。
星条旗や国璽(国のシンボルマークで、真ん中に鷹みたいな鳥がついているやつ)は法律で特別に保護されていますよ。
星条旗を燃やして処罰の対象とならないのは特定の政治主張を含めた「象徴的言論」に当たる場合のみです。
「象徴的言論」である、つまり「表現の自由」という「権利の行使の一形態である」と裁判所が認めた場合のみです。アメリカってそんな寛容な国じゃないよ。自由を称揚する国という印象を持っているのかもしれませんが、だからこそ「自由を破壊する自由」には、敏感です。
以上、法学研究科の大学院生からの指摘でした。
名前:横レス太郎
100年04月24日02時22分
>「認めない」側ができるのはせいぜい偏向授業くらいのものですが
これが一番危険だろ? (笑)
名前:パセリ
100年04月24日01時42分
一歩君み〜つけた・・・ここにもいましたね!
日の丸、君が代?
強制するのはどうかと思いますが、仮にも教師がそれを破いたりするのはどうかな?本人は自己満足するでしょうが、生徒にとっては一生に一度の入学式、卒業式を台無しにされるんですよ。とんだ迷惑だ。
個人の主張は個人の場で行えって言いたいですよね。結局あのあたりは教師のパフォーマンスでしかないんですよ。あんなのに影響受けるようではものの真贋を見ぬくことはできないね
ところで、「君が代」「日の丸」反対の人じゃあ日本の国家と国旗どんなやつがいい?
オリンピックであがるやつだからちゃんとしたやつがいいぞ・・
それと君たちは世界の国旗を見たことあるか? 世界の中には日本の国旗と同じデザインがいっぱいあるぞ。バングラディッシュのデザインは日の丸を基調としてイスラム教の象徴の緑を取り入れたそうだ。そんなに恥ずかしいデザインではない。
私としては、全ての国民に「強制」するのはどうかと思うが、少なくとも公務員はそれに準じなければならないだろう。反対派の教師は私立にでも行ってもらうしかないな。
それと、反対する君らはいったいどんなデザインと唄がいいの?
むやみやたらに反対するんではなく、ちゃんと腹案を持ってから反対しなさいよ。それじゃどっかの国の国会審議と一緒じゃない?ここのコラムに国会議員みたいな馬鹿はいないと思うけど・・
名前:一歩くん
100年04月23日11時01分
どうも、週一アクセサーの一歩くんです。
ご意見どうもありがとうございます。
国の象徴である国旗、国歌を決めるのにわずか10日ほどの国会
審議でよいのかどうかという問題ですが、ぐんそうさんのご意見に
よりますと、国民の9割がたとえ反対しようとも国会内で過半数を
とれば問題がないということになりますね。
国旗、国歌を「信仰」するかどうかという問題は基本的に個人の
問題だと考えていますので、認めるにしろ認めないにしろそのことを
強制することは同じように問題です。では、誰がそれを行っている
かということが問題となりますが、認めないことを強制しているのは
部落開放同盟などの一部の民間団体およびその構成員だとあなたは
おっしゃりたいのだと思われます。一方、認めることを強制している
のは文部省および教育委員会です。
「認めない」側ができるのはせいぜい偏向授業くらいのものですが、
「認める」側は懲戒処分などの実力手段なども利用できますし、なに
より、その影響力たるや「認めない」側の比ではありません。
国会答弁においても「強制するものではない」と明言されています。
しかもこのような国論が二分しているような問題に対しては、教育の
現場に持ち込むとしても両論をきちんと説明して、その上で生徒自身に
考えさせることくらいしか解決の道はないように思います。
アメリカで星条旗を燃やしたら、一部の国粋主義者からは袋叩きにあう
でしょうが、少なくとも処罰の対象にはなりません。
アメリカの例を取り上げたのはあれほど国旗、国歌を大事にしている
国といえども個々の国民の主張までは強制しないということの一つの
例として取り上げたに過ぎません。であるならば同じように「強制は
しない」と明言している日本においても同様に扱うべきだと考えます。
北朝鮮や中国でどうなるかという問題に対しては各国の法規についての
知識がない以上コメントのしようがありません。
win2k@ちょっと思ったんだけど・・・さんへ
基本的にあなたのご意見に同意します。
国家権力という強力機構がその意志を貫徹しようとしたとき
その意志に反する国民がどのような状況に置かれることになるのか
という問題は常に頭の隅に置いておかなければならないことだと
考えます。
名前:win2k@ちょっと思ったんだけど・・・
100年04月19日21時31分
>ちなみに中国で国旗を焼いたらどうなるんですか?
>北朝鮮で国歌のパロディ版を作ったらどうなりますか?
作ってお咎め無しなことに感謝しなきゃねって思いますし、
そんな国で無くてよかったし、そんな国になりたいなどとは
思わないでしょう。
強制するって事はそんなことに繋がる懸念があるのではないでしょうか?
と思わせるような例えでしたね(笑)
名前:ぐんそう
100年04月17日18時41分
>君が代、日の丸をあんないいかげんに国歌、国旗として決定したことは
>確かに問題ではあるが、
別に国家主席が一人で決めたわけではない。
>もっと問題なことは強制的に「信仰させる」
>ということではないかと思う今日このごろ。
さらに問題なのは、絶対に歌わない、歌わせないという「信仰」をする人がいることだ。
>あのアメリカでさえ国歌を拒否し、国旗を焼き討ちすることを認めている
>というのに。
じゃあ、アメリカで星条旗を燃やしてみてください。
どーなるか。
ちなみに中国で国旗を焼いたらどうなるんですか?
北朝鮮で国歌のパロディ版を作ったらどうなりますか?
名前:一歩くん
100年04月15日23時31分
君が代、日の丸をあんないいかげんに国歌、国旗として決定したことは
確かに問題ではあるが、もっと問題なことは強制的に「信仰させる」
ということではないかと思う今日このごろ。
あのアメリカでさえ国歌を拒否し、国旗を焼き討ちすることを認めている
というのに。
名前:かずくん
100年04月13日22時22分
国歌や国旗は必要だけどそれが君が代・日の丸だから問題なんだろうな〜。
名前:和
100年04月11日07時27分
子供の頃から自分の国を誇る心を教えなくちゃいけない、その為には
国歌を愛し国旗を愛す心を教えなくちゃ、いけない。
名前:赤い彗星
100年03月28日22時27分
なんか、久しぶりに帰ってきたらかなりここも寂しくなっちゃいましたね。
自衛隊がどうのこうのっていう議題は盛り上がっているようだが。
(あれは、ある意味物騒な話だな。俺にはついていけん。)
まあ、ともあれ今年の卒業式シーズンは何事もなく無事に終わったようですね。
ただ、世間でも教育現場でも、なんか時間と共にこの問題も曖昧化されていっ
てしまっているような気がしてならないんですがね。
所詮その程度の問題だったにすぎないと言うことなんだろうか?
名前:明治生まれの爺さん
100年03月14日09時55分
めくまん様
話がずれますが、今私は
「自衛隊とは何か、軍隊とは何か?自衛隊は日本を守れるのか」
という議題をよく拝見しています。
国家の安全保障だけにとどまらず教育の問題や行政の問題などにも
言及されていて、日本が今まで民でも官でも論ぜられてこなかった
ことですので、非常に興味深い討論会になっています。
私もここで発言をしようと考えておりますし、ここの議題にも
言及されてくることと思っています。
名前:めくまん
100年03月08日23時49分
はじめまして>明治43年生まれの人
明治43年ということは、90歳ですか
ご長寿で何よりです。
現在、私の周りにはほとんど明治・大正世代はいないので
何かお話を聞かせください。
お願いします。
では
名前:Legend Hunter
100年03月08日05時19分
君が代&日の丸を侵略戦争の象徴として嫌う者もいるが、それならばなおさら君が代を国歌、日の丸を国旗とすることで、過去の過ちを末永く日本人記憶の中に留め、再び同じ過ちを繰り返さぬようにすべきであり、むしろ君が代&日の丸を否定し新生日本の意識を生み出すことは、新たなる戦争への近道と言えるだろう。
また、全体主義を完全なる悪として拒絶する意識は、若者の中に個人主義の蔓延を引き起こし、国家や世界の為に自分が何を為すべきかという意識を遠ざけ、自らの名声や利益しか目に映らない視野の狭い人格を作り出すこととなり、結果としてエゴイズムを成長させることとなるだろう。
名前:ぷーたろー
100年02月26日04時18分
>アジアンさん
残念ながらわたしは一日本人に過ぎないので、日本人の総意を述べることはできません。
あくまでわたし個人の認識として受け取ってください。
日本はなぜ戦争をおこしたのか・・・?
大正時代を眺めると、第一次大戦後の民主主義的風潮もあって、労働運動、婦人運動な
どの社会運動が盛んになり、不完全ながら普通選挙法も制定されています。大正デモクラ
シーと言われているものです。
一方、当時の日本経済は、第一次大戦後の好況が欧州経済の復興に伴って不況に転じて
います。関東大震災も経済に大打撃を与えています。さらに当時の世界経済の中心だった
アメリカの恐慌が世界恐慌に発展し、日本経済も深刻な恐慌状態となったようです。日本
は英米のように自国の力でこの恐慌を乗り切ることができず、政党政治に対する不信、現
状打破を求める動きがおこってきました。こういった混乱期に台頭してきたのが、軍部と
右翼、革新勢力で、特に軍部は五・一五事件をきっかけに政治的権力を増し、大陸進出を
はかっていったようです・・・
「戦争に至る経緯」の要点を、わたしなりにまとめてみました。
十分な民主主義が根付かなかった、恐慌からくる社会不安が深刻だった、で、結果として
それまで踏襲してきた強兵策に乗ってしまったということになるでしょうか。日本も好き
このんで戦争に踏み切ったわけではないということは理解できます。
結局、戦争で日本は負けました。だから「悪い」・・・などとは露程も思っていません。
ただ、戦前戦中を通してアジア諸国を侵略してきたことについては、誤りだったと思うわ
けです。
名前:明治生まれの爺さん
100年02月25日11時32分
明治43年生まれの爺さんです。PCは随分まえからやっております。
戦前生まれの自分が戦前に感じた事、当時の情勢、そして戦後に感じた事などなどを語り継ぎたいと思っており、また若い世代の人達との交流を得たいという希望からお邪魔させていいただきました。私は旧帝国大学(現東大法学部)出身で、大東亜戦争中(先の戦争の正式名称はこれでした。)は、海軍の士官(予備士出身)として南方海洋及び陸上勤務で南京(南京事変に参加しております。ただし、陸軍主体の作戦でしたので、戦闘参加はしておりませんが、最前線で部隊と一緒に行動しておりまして、南京陥落及び入城式にも参加しており、その後3ヶ月間任務でおりました。)を始めとして大陸各地での勤務、終戦時は鹿児島で迎えました。
国家、国旗に関して盛んな論議が行われており、是非邪魔にならないよう参加させていただきたいと思い、とりあえずご挨拶と自己紹介だけを今回は書かせていただきます。
皆さんと意見を交換できる事を楽しみにいたしております。
追伸
国家、国旗が法律で規定されていない事じたいに新憲法が出来た時に疑問に感じたものでした。
名前:アジアン
100年02月25日01時56分
ぷーたろーさん
お返事有難うございます。こうやってお返事いただけるのは楽しいものですね。初めての体験です。
今日より出張ですねの、自分の方からの返事は来週に書きこませていただきますが、先に少しだけ書き込みます。
<アジアンさんは教科書について疑問をお持ちなのでしょうか?
<それとも教師の教え方に問題があると言っておられるのでしょうか?
<わたし個人としては、教科書は「いい本」でもないしわかりやすく書かれてもいないが、
<間違ったことは書いてないと思いますけどね。いや、間違ってたら大変だよなぁ・・・
<戦争に関連して、日本=悪、戦勝国=正義を板書きする教師はいないと信じたい・・・
に関してですが、私の通った小学校、中学校は(高校は別)日本=悪、戦勝国=正義と板書きする教師だらけだったのは、特殊な事例だったとは思えません。ただし、プーターローさんと同じくそんな教師はいないと信じたいはには、同感です。
教科書に関しても、教師に関しても疑問を持っています。詳しくは後日。
<わたしは外国人と深く話す機会もそうないので、偉そうなことは言えませんが・・・
>面と向かって「日本人は悪いことをした」と言うような外国人はいないと思いますよ。加
<えて日本人相手に仕事をしているとなればなおさらじゃないでしょうか。それをもってア
<ジア諸国の認識と受け止めるのもナンセンスかと思います。外国人がこう言っているから
<・・・ではなくて、われわれ日本人はこう考える・・・からはじめないと、どうしようも
<ないんじゃないかなぁ・・・?
<「勝手に作り上げている」とするならば、具体的にどこがどうおかしいのか、指摘しても
<らえると助かります。アジアンさんが思っている「世間一般の日本人の戦争認識」とわた
<しの認識は違うかも知れませんが。
私は、生まれてから小学校5年生までタイ、中国、シンガポール、台湾、韓国に住んでいた経験があり、東南アジア諸国にいる友人、知り合いは、仕事で得た人達だけではありません。流石に最近は仕事で知り合う、友人になる人間の方が多くなってきましたが・・・。
私の知り合い、友人の意見がそのままアジア諸国の認識ではないことぐらい認識はしています。
しかし、前回も書きましたが現在の日本でのアジア各国が持っている日本に対して、過去の歴史に関しての認識に関する考えは私には独り歩きしているような部分があると絶対に思うのですがね。(自慢のように聞こえると嫌なのですが、私がこのような事をアジア各国との友人、知人と遊んだり、仕事したりして、彼らと話す機会、意見を直接、間接的に耳にする機会は決して少なくないと思います。自分の好ましい意見、賛同できる考えだけを聞いて、後は捨てると言ったことはしているつもりもありませんし・・・。)
「勝手に作り上げている」と思える部分は後日にしますが、プータローさんの考える「世間一般の日本人の戦争認識」とは何なんでしょうか?
<どうでしょうね?
<わたしはむしろ、みんなが一方向を向いていない今の日本が平和でいいと思いますよ。
<同じ思想なり宗教なり価値観で固まってしまうとヤバイですよ、実際・・・
私もに一方向皆が向く必要はないと思いますが、倫理、道徳観、歴史観の崩壊している日本
が平和であるとは思えません。(何とかボケしているよう気がしますね。でも何とかしているのが平和であるとも言えますもんね。ただし、平和を維持する為の努力を国が、そして国民一人一人がしなければ、単なる虚構であるでしょうけど。)
<同じ思想なり宗教なり価値観で固まってしまうとヤバイですよ、実際・・・
色々な考え方、とらえ方が出来る事なので一概には言えませんが、たしかに悪い方向へ(全体主義や軍国主義等。戦時中を生きた人間ではないので、昔の日本がどうであったかわかりませんが、共産圏の国々を見ていると、この全体主義や軍国主義の恐ろしさを感じますね。)進んでしまうような事になるのであれば、“ヤバイ”ですよね。でも、私が書きこんだ事、思っている事はこういう意味ではないので、その件も後日書き込みいたします。
※でも一番“ヤバイ”のは、今の日本が問題ないんだって考えが一番“ヤバイ”ですね。国の将 現状や将来、これからの子供達の事を考えず、自分だけよければOKという考え・・・、絶対
まずいですね。
とりあえず急ぎ書き込みました。では、また。
名前:ぷーたろー
100年02月24日15時44分
>アジアンさん
お返事ありがとうございます。
自分の国ぐらい理解すべきだ・・・という点では意見の一致を見たわけですが・・・
>でも背負ってきた歴史を理解する事って、簡単じゃないですよね。歴史には必ず光りと
>影があるわけで、大東亜戦争に関しても同様だと思うのです。今の学校は“こんな悪い
>事したんだ、どうしようもない国なんだ”の一辺倒のような気がするのです。特に教科
>書を読むと。先生も大半はそう教えますからね。これって正しく歴史を理解する事が出
>来る状態なのでしょうか。
アジアンさんは教科書について疑問をお持ちなのでしょうか?
それとも教師の教え方に問題があると言っておられるのでしょうか?
わたし個人としては、教科書は「いい本」でもないしわかりやすく書かれてもいないが、
間違ったことは書いてないと思いますけどね。いや、間違ってたら大変だよなぁ・・・
戦争に関連して、日本=悪、戦勝国=正義を板書きする教師はいないと信じたい・・・
>日本人が勝手に作り上げているとも思える過去に対する認識と外国(特にアジア諸国)
>の日本に対する印象のちぐはぐさ・・・
わたしは外国人と深く話す機会もそうないので、偉そうなことは言えませんが・・・
面と向かって「日本人は悪いことをした」と言うような外国人はいないと思いますよ。加
えて日本人相手に仕事をしているとなればなおさらじゃないでしょうか。それをもってア
ジア諸国の認識と受け止めるのもナンセンスかと思います。外国人がこう言っているから
・・・ではなくて、われわれ日本人はこう考える・・・からはじめないと、どうしようも
ないんじゃないかなぁ・・・?
「勝手に作り上げている」とするならば、具体的にどこがどうおかしいのか、指摘しても
らえると助かります。アジアンさんが思っている「世間一般の日本人の戦争認識」とわた
しの認識は違うかも知れませんが。
>“公”の一切ない“私”の世界だらけの日本に、歴史を、国家を、国旗を考え、理解し
>ていく事ができるのでしょうか・・・。
どうでしょうね?
わたしはむしろ、みんなが一方向を向いていない今の日本が平和でいいと思いますよ。
同じ思想なり宗教なり価値観で固まってしまうとヤバイですよ、実際・・・
名前:アジアン
100年02月24日13時57分
ぷーたろーさん、ご意見読ませていただきました。
たしかに前回の私の書き込みは何を主張したいのかが、少々ボケてしまっておりました。
前回自分が言いたかった事は、主張という程の事ではないのですが、要は日本人が
日本を、日の丸を、君が代を考えたり、感じたりする事の“たらなさ”、そして日本人が勝手に作り上げているとも思える(全てではないでしょうが、そう思える部分が私には多々ありますし、そう実感する事が山のようあるんです。)過去に対する認識と外国(特にアジア諸国)の日本に対する印象をちぐはぐさを自分の経験上から書きなぐっただけなのです。ですからこれと言った主張ではありません。(スイマセン)
ただ、前にも書きましたが法制化しようがしまいは、私には国旗であり、国家でしたので、関係
ないといえる部分はあるのですが、今後の日本の為には何かしら良い事はあるのではないでしょうか?と、考えております。(考えはあるのですが、文章にまとめきれないので、また今後書き込みます。)
ぷーたろーーさんの書き込みにある、
日の丸君が代が背負ってきた歴史(太平洋戦争のことです)をよく理解した上で、・・・
これって、今一番大事な部分だと思います。でも背負ってきた歴史を理解する事って、簡単じゃないですよね。歴史には必ず光りと影があるわけで、大東亜戦争に関しても同様だと思うのです。今の学校は“こんな悪い事したんだ、どうしようもない国なんだ”の一辺倒のような気がするのです。特に教科書を読むと。先生も大半はそう教えますからね。これって正しく歴史を理解
する事が出来る状態なのでしょうか。私の会社の仲間が言っていたのですが、日本の歴史(特に近代史)は本当に“勉強”しないと歴史の事実すらもわからないんだなーと大学院の時に実感したと言ってました。僕も同感です。真に理解するには、現在の価値観、基準、どっかの押しつけ的な考え(押しつけられている事すらも今の日本人は気付かないのでしょうけど)で、当時の事を考えるだけでは駄目だとおもうのです。何故、戦争に突入したのか、その時の日本の正義と外国(海外各国の)の正義、経済状況、世界情勢等など・・・。
この部分はこれから要検討ではないかと思います。今のような状態では、愛国心はおろか、国や国家、君が代を正しく国民一人一人が理解する事など出来ないでしょうね。(歴史だけでなく、文化や伝統もきちんと学び、そして守り、継承しなければならないと思いますし、そこから真に理解していけるのではないかと思うのです。)
でも、宗教や歴史に基づく価値観がなく、“公”の一切ない“私”の世界だらけの日本に、歴史を、国家を、国旗を考え、理解していく事ができるのでしょうか・・・。そうも思います。
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