宗教について

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名前:アホカンタ
100年06月01日23時50分
神を信じるかどうか、個人の勝手ですから、どうこう言うつもりはありませんけど、やっぱり
信じた方が、楽ですね。私は神というのは、宇宙を創造し、私たち人間を創造したものだと考えてます。
私たちが何のために、いきているのか?
こういう事を科学的に証明するのは、難しいと思いますが・・・。
しかし、宗教というものを通じて少しはわかるかもしれません。
まあ、そういう事を通じて、人生が明るく、良い方向に進むのなら、神を信じて損は無いと思います。

そういえば輪廻転生も、多くの科学者にの研究され、ほとんど否定できない物になってきてますね。日本では飯田文彦さんの「生きがいの創造」とかが、輪廻転生についてわかりやすく説明してありますね。神とかそんな言葉はいっさい使わず説明してあります。

後自分の意見ですけど、現在は世界中探しても理想的な宗教がないから、神を信じる人が少ないと思いますね。神の名において戦争したり、神が罰を与えたり、お金によって願いを叶えてもらったり・・・・。どうみても、宗教というものが、神の名を使い金もうけをしているようにしか、見えません。まあ、神を信じるのになにも宗教に入る必要はありませんけどね。


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名前:哀羅
100年05月30日10時01分
とりあえず神(God)を語る人間ってのは、神は人間を更に偉大にしたような存在だと思ってるんですね。常識から逃げられないんですよ。現代科学は、すでに聖書的な世界創造レベルまで近づいているというのに。神(God)を信じている人はとりあえずそのまま信じていて大丈夫ですよ。科学もそんな世界に入ってますから。私は科学の方が、とりあえず好き。

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名前:科学の人
100年05月28日15時11分
だいたい神を信じてる人の気がしれん。
大体、神様の定義はなんやねん。
めちゃ一部の人間にのみ見方をするエゴイストか?それとも人間を生み出したウイルスか?
そんなん悪魔と同じやん。ウイルスを崇拝してんのか?_
ちょっとでも日常的に分からないことがあったら神の存在を語る人がいる。
中途半端な知識で議論する前にしっかり学んでみてはどうですか。
宗教には必ず矛盾がある。科学にも矛盾がないとは言いきれないが
少しずつ矛盾を修正しているから一番矛盾が少ない。
とくにアホウ鳥さん
科学で測定できるもの意外はすべて否定するのですか?といわれていますが
あなたこそ科学で測定できるものを否定されているのでは?
中途半端な知識で語るまえにしっかり学んでみては?
    


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名前:アホウ鳥
100年05月08日02時09分
 僕は単純に宇宙を存在させている存在を神と呼んでますが、神の存在を否定している人は、この宇宙は全く偶然で、なんの意図もなく、宇宙や地球の自然界、素粒子の世界までも行き当たりばったり、適当にバランスがとれていると思っているのでしょうか?目に見えたり、科学的に計測できる存在以外の目に見えない意志をもった存在というものは全て否定しているのでしょうか?
 
 でもそれだけでは宇宙は本当に存在できるでしょうか?神と人間ではどちらが現実的な存在かと言えば、自分で自分を存在させることもできない人間より、神のほうがリアルだと思いますが。例えばこの宇宙というのは神の夢の世界の存在かもしれません。

 それに我々人間は夢や想像、心といった物理的には存在しない世界を持っていますが、唯物的に世界をとらえている方はこれらの世界についてどのように思われているのでしょうか?我々人間が自発的にこの宇宙で何かをする手段は、実のところ念いを発する以外にはありません。よく考えてみて下さい、自分で自分の身体を作ったり、存在・維持させたりしている訳でもなく、食べ物を消化するのだって、自分の意志でやってる訳ではありません。身体ひとつ動かすのに人間がやってることは「このように動け」という念いを発しているだけです。
 じゃあ、この宇宙も何か目に見えない大きな存在が念いを発して、存在させているって考える方が自然だと思いますが。

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名前:一歩くん
100年05月07日21時55分
アホウ鳥さんへ
ということは「人間」を発明したなにものかが存在するということですね。
もっともそのことについてあまり議論はしたくはありませんが。
通りすがりさんへ
私は基本的に「信仰」と「宗教」を混同していないつもりですが、そのことは
ともかく、「信仰」と「宗教」を区別するべきかどうかという問題自体議論の
余地があると思います。あなたの定義はそれはそれでかまわないと思いますが
その定義に対して異論を唱える方もいらっしゃるかと思います。

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名前:よっぱらいのおっさん
100年05月04日22時23分
神とはいつできたのか?分かる人おるかな?いないだろうな。
俺もわからんけどな。
ただ信仰ってのはあってもいいんじゃない?宗教でもいいけどさ。それによって生きる望みを得る人達がいるのは事実だし、生きる望みがあれば自殺する人もへるでしょうし。あ、今考えついたんやけど、自殺はいけないって宗教おおいよね。それって純粋に宗教上の理由なんだろうか?
なんでそう思うかって?だって、昔は人口は少ないうえに生活もきびしいはずだし病気なんかで死ぬ人もいただろう。それで困るのはいったい誰?国家だとおもうんですよね。国家っていうのは昔から市民からの搾取によって維持されてるわけやん?その市民が減ったらめっちゃ困るとおもう。ただでさえ少ないのに苦しいとか病気とかで死んでいくのにさらに自殺なんてされたらたまったもんじゃないっ!とか思ってそういう教義をつけたのではないだろうか?
国家が死ぬなっていってもまず説得力ないしな。理由は戦争でどんどんしんでいくやんか。
でも宗教ってのは基本的に救済や感謝を目的にしてるとこやから説得力がある。じゃ、お前のとこでやってくれってなかんじでできたのでは?とおもったんやけど・・・・
以上、突拍子で理屈もなにもないただの屁理屈でした。

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名前:通りすがり
100年05月03日04時50分
皆さん色々な考察をされていて、大変興味深く読ませて頂いています。
ただ、一つ気になる事がありましたので書き込ませて頂きます。

皆さんの書き込みを読んでいると、どうも「信仰」と「宗教」を
混同されているようですが、両者は基本的な部分では同じであっても
その内容に違いがあります。

「自然に対する畏敬の念」や「1日の無事やその年の収穫を祈る」、「漠然と感じる神の存在に対する感謝」
など、これらは「信仰」です。
しかし、これら「信仰」に「教義」「教典」「戒律」「集団性」が加わるとそれは「宗教」に
なります。
「信仰」はあくまでも「感謝」であり、「死んだら天国に行きたい」とか
「この教えを実行しないと不幸になる」とか、そういった束縛は「基本的」に
ありません。
とにかく「ありがとうございます」と祈るのが「信仰」です。
それに対する「見返り(天国や幸福)」は求めません。

しかし「宗教」は「教義」「教典」によって行動や思考が制限(禁止)され、
それを破る者は「不幸」になると言い、実践する者は「幸福」になれると言い、
時には「戒律」によって罰せられます。
そして不特定多数の人間が集団でそれら教義・戒律を実践する。
それが「宗教」です。

この2つを混同して考えると議論が空転する恐れがあるので
気をつけた方が良いですよ。

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名前:アホウ鳥
100年05月01日21時52分
>ここで書きたかったことは「神」というものが人類の発展にともなって発明されたものだとい
>うことにほかなりません。

 ここで書きたかったことは「人間」というものが宇宙の発展にともなって発明されたものだということに他なりません。

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名前:一歩くん
100年04月30日13時34分
人類の知識の発展については先史時代の資料があまりないのですが、
ラスコーの洞窟画などいくつかの考古学的資料が発見されています。
それらを見てみると最初は動物や人物画など、身の回りのものに
ついての表現が多く、神に対する認識については明確になっていません。
その後、時代が下って文明というものが発生、発達していく過程で
神に対する記述が増えてきますから、時代の進歩に従って神に対する認識を
深めていったと考えられます。
また、神に対する認識についてもはじめは日本神道のように全てのものに
神が宿っていると言うものであったと考えられますが、ギリシャ、ローマ時代では
およそ100単位にまで洗練されていき、最終的にキリスト教やイスラム教のように
一神教へと進化してきていると考えられます。
さて、人類の歴史は200万年とも300万年とも言われています。その中で文明時代と
呼ばれる時代はおそらく1万年を超えることはないでしょう。であるならば文明時代
のなかだけで宗教について語ることは無理があります。文明時代の初期において
宗教が重要な役割を果たしていたことは事実でしょう。ですが、そのことが
直ちに人類の発祥とともに宗教が存在していたということを証明することには
なりません。しかも、石器時代においてはふだん使っていたと思われる道具類は
割合よく発掘されますが、宗教上の道具については後の時代ほど多くは発掘されて
いません。この事実を見てもその時代においては宗教というものが生活上において
それほど重要ではなかったと言うことを示しています。
従って、人類の進歩に伴って宗教も次第に発達していったと考えるべきです。
つまり、人類の発生時には基本的に宗教というものは存在していなかったと
言えるでしょう。
ここで、人類の生活史についてすこし考えてみましょう。
人類発生時には基本的に道具類を新たに作り出すだけの技術力はありません。
せいぜいそのあたりにある石ころや棒切れを使うのが関の山だったでしょう。
ですから、その日一日どうやって生き延びていくかが当時の人々の最大の
関心事です。ほかの事に頭を使う余裕はなかったと考えられます。
ところが時代が下るにつれ、道具類を新たに作り出す技術力を手に入れるように
なります。その道具類を使って自然に働きかけることができるようになって
きます。そうすることによって生活に余裕ができ、ほかの事に頭を使う
余裕が生まれてきます。つまり回りの事に関して興味を抱くことが可能になって
くるわけです。また一方で自然に働きかけた結果についてある程度の予測が
付けられるようになってきますから、なぜそうなるのかということについて
考えることができるようになります。
このような知的欲求を満たすためには何らかの回答が必要となります。
当時はもちろん現代ほど科学が発達しているわけではありませんから、合理的に
説明することは困難です。何らかの超自然的な存在が必要となってきます。
これが宗教の始まりだと考えます。
アホウ鳥さんのように農作業をしていらっしゃる方が自然に対する畏敬の念を
抱くことについて、それはそれですばらしいことだと思いますし、日本の将来の
ためにも是非ともがんばっていただきたいと思いますが、ここで書きたかった
ことは「神」というものが人類の発展にともなって発明されたものだということ
にほかなりません。また、以前に書きましたように宗教を否定しているわけでも
なんでもないということを付け加えさせていただきます。


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名前:アホウ鳥
100年04月27日00時13分
一歩さんへ

>そもそも宗教とは人類の知識が今よりももっと少なかった時代にまわりの諸現象をできるだけ
>うまく説明するために発明されたものです。

 本当にそうでしょうか?何を根拠に言っておられるかは解りませんが、これはあまりにも現代人の目から観た一方的な考え方であり、もう少し昔の人の立場に立って考えてみないと本当のところは解らないような気がします。

 宗教というものは歴史的に観てみると大変興味深いものだと思うのですが、サルから進化し、道具というものを使うようになり、そして高度な頭脳を持つようになって、人類がはじめにその頭脳を使って表現しようとしたことが宗教ではないでしょうか?古い時代ほど何か発掘されると、ほとんど祭祀に使われたものだと説明されますが、子供の頃最初歴史の授業を聞いていて、とても不思議な感じを受けた記憶があります。

 それはともかくとして、歴史的に観ても、文化や文明の元は間違いなく宗教にあるでしょう。これらのことを考えると、人間の心の中の深いところには神に対する畏敬の念が存在し、我々人類は他の動物よりも高度な頭脳をもったので、はじめて宗教というものを表現できるようになったのではないかと思います。確か大学時代によく愛読していた精神分析学のユングは、人間の心の中に神という元型があるというようなことを言っていたような記憶があります。

 私は一昨年ぐらいから、畑を借りて、野良をはじめまして、ここ一年ぐらいは野菜はほとんど買ったことがありませんが、野良をするようになって変わったことがあります。それは自然に対する感謝の念が自然と沸いてきたことです。昔の人たちが天恵に感謝して、その感謝の念いをお祭という形で表現したくなった気持ちに共感できるようになってきました。

 何か今の文明は大事なものを失いつつある思います。そしてその原因は分業が進み、自然というダイレクトに命を育む環境から離れてしまったことが、人の心を荒廃させ、そして自然を破壊してもあまり何も感じないようになってしまったのではないかと思います。野良をして自然に触れるようになって、私は何か神の存在を感じるようになってきました。科学というものは人間のちっぽけな頭で考えたことで、この宇宙の全てを語れることなど到底できませんし、もちろん地球のひとつも創ることもできません。今のところほとんど人間だけの目先の利便と、自然や生態系の破壊をもっぱらやっているだけです。

 皆さんは自然に触れると神の存在を感じませんか?美しい自然を目の当たりにすると、神は最高のアーティストであり、神様の存在を否定する人の気が知れません。人間は自分で自分を存在させることもできず、自分の心臓も自分で動かすことすらできないくせに、何を偉そうにしているのかと思ってしまいます。


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名前:一歩くん
100年04月16日21時41分
では私も一言。
そもそも宗教とは人類の知識が今よりももっと少なかった時代に
まわりの諸現象をできるだけうまく説明するために発明されたものです。
その後、人類の知識はどんどん増えていきましたが、しかしながら
現在でもわからない領域は少なくありません、どころか知れば知るほど
領域が増えているかのようです。まあ、これは「分かっていない」と
いうことが分かったという人類の知識の前進の表れなのですが。
とにかく、現在でも分からない領域は確かに存在しています。
それならそれで「分からない」ということで納得できればよいのですが、
分からないなりに何らかの納得できる解答を得たいというのが
少なくない人の知的欲求としてあります。この人たちの欲求に
答えるためには宗教を持ってくる以外にありません。
また、人間は必ず何らかの悩みを抱えています。どれだけ社会が
進歩しようともできないことがなくなるということはあり得ませんので、
できないことについて悩むと言うことは将来にわたって存在
しつづけます。この問題に関しても宗教が解決の道筋を与えます。
従って人類が存在しつづける限り、宗教は消滅しないということに
なります。


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名前:Mr.Religion
100年02月18日11時56分
 いろいろ書いてありますね。一言いわせてください。
 人間は考え方一つで「神」にも「獣」にもなり得ます。人を殺すなんて獣ですよね。
 そうかと思えば、ボランティアで大勢の人を救う人もいます。考え方、心の持ち方
 次第ですよね。
  でも、その心の持ち方を決めるのって何でしょう? 下に赤い彗星さんが触れて
 おられますように、確かにフォイエルバッハは「信仰は最大の悪」といっています。
 私も読みました。原書で。翻訳は若干ずれているようなところも感じるので。
  考えてみるとその根本は何でしょうか? 理性でしょうか? 私は宇宙意志だと
 思います。有名なホーキング博士も触れていますように、また、著名な心理学者(?)
 ケン・ウィルバーも『意識のスペクトル』という本で触れていますように、日蓮が、
 法華経(私はS学会員ではありません)を通して会得されましたように、人間の心は、
 一つの奥深い意識でつながっている、のではないでしょうか。それが、一つの言い方
 では宇宙意識、宗教的にいえば神様ではないかとおもいます。  
  ですから、信仰することは能力だとは思いません。人間に自然に備わった本能では
 ないかと思います。どなたかご意見ありませんか?


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名前:ピカード
100年02月01日01時44分
「宗教心」について書きます。心が高揚したり落ち込んだりしたときに安定しようとする働きがあるとします。それは安定している方が(人間味はなくなりますが)仕事が正確にこなせるからです。現象に対して感情は受動的に生まれてきます。それを人は理性で制御します。それでも制御できないものをこらえるのが広義の宗教心ではないでしょうか。相手は神でも母のペンダントでも教祖様でもいいのではないかと考えます。つまり、理性を超えて信じる心ですね。

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名前:なち
100年01月28日00時36分
宗教に付いて
という題名なので、宗教に関してなら何でもいいかなと思って、ちょっと
書いてみます。

私は、信仰をする、出来る?というのは、一つの能力ではないかと思うの
ですが如何でしょうか。
例えば、スポーツが出来る、音楽が出来る、数学が出来る、国語が出来る
信仰が出来る、というように。

私がこんなことを考えるのは、私には信仰がどうしても出来ないからです。
信仰の対象になる宗教はゴマンとありますし、教義をみても、なるほどと
納得出来るもの、その時点では信仰出来そうなものも色々とあるのですが
じゃぁ信者になるかというとなれない。
信仰することが良いとか悪いとかではなくて、信仰というものをすること
じたいができない。

信心をする人の多くは、けっこう色々な神仏を信じることが出来る人が多
いようです。私の知っている何人かの人が、エッこの間は○○教だったの
に今度は××教になったの?と此方が驚くような次々に違う宗教を信じて
いたりするのです。

これはやはり、宗教を信じることが出来るという「能力」の差なのではな
いのだろうかと思うのですが、如何なものでしょうか。






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名前:赤い彗星
100年01月27日21時35分
フォイエルバッハが、「キリスト教の本質」ちゅう本で、

「人間の宗教に対する隷属根性こそが最大の悪だ!」

みたいなことを言ってました。(キリスト教の観念に限定はされてはいるが。)
うーん、そうなんかなー?って思ったこともありましたが、
私自身特定の宗教を信仰しているわけではないので、
そこらへんの判断は微妙です。

神の前では人間は罪深き存在ですね。(キリスト教においては。。)
でも、何で罪深いんや?人間が何をしたんや?
これからの社会にとって大切なのは、神でもなく宗教でもなく、
人間が人間として、生きていく上での政治こそ最も大切なのだぁー!
って言ってました。
かなり昔に読んだ本なので、おおまかな内容はあってると思うんですけど
細かい部分ではちょい微妙です。

でも、最近の新興宗教は人間崇拝的な宗教が多いので好きになれません。
なにかと物騒な宗教が多いですしねー。


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名前:スモーカー
100年01月26日00時05分
宗教とは・・・・って難しいですよね。
「死」もしくは「死後」の世界のことのように感じてるのも一理あるし、
現在ではそれでも間違ってはないと思いますけど、
本来は「神」と「仏」を信じて生きよう、ということですよね。
それに死の恐怖がくっついて今の宗教となってると思います。
恐怖があるから不安があるから、見えない存在、絶対的な存在に救いを求めよう
ということなので、その「存在」はそれこそ「サンマの頭」でも良いわけで、
信心する人が救われるという結果だけを考えるなら、麻原でもかまわないわけですよ(笑)
「信じる」ということ自体が「救い」になるのですから。
科学と対比することは、しったかさんと一緒で意味のないことです。
余程の酔狂な人じゃないと科学に「救い」を求めないでしょうし、
科学は「救い」なんかしませんからね(笑)あることをあるように言うだけのことですから。
科学を盲信する事に、とやかく言えないのは同じですけど。

最近の新興宗教は「現世利益」をおおっぴらに言うところが増えてるという感じですけど、
なんだかなぁ〜って思います。まぁ、信じる信じないは個人の問題ですけどね。
神道と仏教と密教がごっちゃになって(厳密に言うとヒンドゥなんかも)
まか不思議な宗教が多いですよね。
何年か前のTVで日本には宗教法人だけで2万の団体があるとか(記憶曖昧)
法人じゃないのもいれるとどれくらいの教祖がいるのだろうか?
それぞれに神様なり仏様なり生き仏なり、生き神様なりいるわけだから、
八百万の神を標榜する神国日本の面目躍如ってわけでしょうか(笑)

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名前:んじゃ、質問!
100年01月25日23時58分
「ライス・チャーム」とか「エミールストーン」って、
本当に効果あるの?

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名前:知ったかブッダ
100年01月25日04時15分
てるさんへ・・・。
その通り、日本の宗教人口は二億人以上です。これをみると、一人が2つ位の信仰を持っているということになりますが、この内訳を詳しく見てみると、神道系が一億一千万人、仏教系が九千万人弱となっていますので、これだけで二億人ということになります。ここで、「えー、私は神道の信者じゃないよ」とか「仏教の信者じゃないよ」と思われた方。まさにそういった人が、これらの宗教人口の中に含まれます。これは、自分自身が意識していなくてもその地域、また家系の中にあるだけで、信者として数えられていることに他なりません。こうした現象は一般に「重層信仰」といわれるもので、日本人は、氏子(神社の信者)や檀家(寺の信者)であることは、必ずしも信仰を持っているということに理解されませんから、こうした事が起こります。つまりハッキリとした意思表示をしていなければ、氏子や檀家として数えられていると思ったほうが良いでしょう。これらは家族単位で信者として数えていますから、一度、家の宗教は何か確かめてみるのも良いかも知れません。

ところで、日本では「天皇制」(天皇制はもちろん神道を基盤としています)によって第二次世界大戦に突入した為、戦後は徹底的に宗教を排除してきました。特に最近では、オウム真理教による地下鉄サリン事件以来、宗教に対する人々のイメージは非常に悪いものになっています。しかし、一度日本人の一年の行動を思い返してみると、宗教に関わらない人はまず居ないのではないかと思われるほどです。正月には神社に初詣に行き、節分、盆、クリスマスなどです。これらはもとは全て宗教行事ですから、その本来の意味は意識されていないとしても、確実に宗教に関わる行動ですから、宗教というものを全く批判することができる現代人はほとんどいないでしょう。
ところで、宗教は不必要である、という人の大半の意見は、科学が発達し、自然界の様々な現象が人間の認識できる範囲で捉えられるようになってきた為、神や仏といった神話的な話は信じることができない、というものです。確かにこの範囲では、宗教の力は弱まっています。しかしそうした神話的な部分というのは、実は宗教の非常に表面的な一部分でしかありません。ですから、こうしたところだけを捉えて宗教は不要だというのはいささか見当違いだと思います。
では、宗教とは何か、という私の考えを述べたいと思います。
人類は常に自分達の欲望を満たす事に全力を注いでいます。その為に科学が発達し、人間の生活を豊かなものにしてきましたし、これからも人間の欲望を満たすために発達しつづけるでしょう。ところが人間の欲望には限界がありませんから、人間の欲望を完全に満たす事は有り得ません。つまり、人間の突き当たる問題を絶対的に解決する手段は、科学的方法では有り得ないということになります。そうした科学的方法は、その解決が「相対的」で、「限界性」を持っています。例えば、大金持ちになることが人間の理想であると言うことはできます。しかしいくら巨万の富を持っていても、死が自分の目前に迫ればそれらは全て自分にとっては無意味なものになります。つまり、この理想は相対的で、限界性を持っています。ですから、人はそうした人間が直面するあらゆる問題に対処できるものとして宗教を生み出しました。つまり、宗教とは究極的には人間の死の問題を解決するということが言えます。ここで、「今が楽しければ、死ぬことなんてどうでもいい」という人が居るかもしれませんが、こうした人々は「死」がまだ自分自身の問題になっていないからそういう事が言えるのだと思います。例えば、明日死ぬ事が分かっていて、平気でいられる人などまずいないでしょう。
こうして宗教は、人間自身によって解決できない問題を解決する手段という事になります。そういう現象を宗教と言うことができると思います。そうした宗教の真理というのは、しばしば人間の理解を越えたところにありますから、あらゆる人が宗教を理解するのは不可能です。というよりも、それを理解し得る人は殆ど居ないと言っても良いでしょう。ニュートンは万有引力の法則を発見しましたが、我々は、リンゴが木から落ちるのは当たり前だと思っていますから、それを疑問とも思いません。真理とはそういった性格を持つものですから、そうした宇宙の真理というものはホンの一握りの人しか理解し得ません。宗教とは、時にはそうした人知を超えた立場から、人間の様々な問題を解決する事を目的とした現象ということが言えると思います。それゆえ、祈祷やまじない、迷信といった宗教だけを捉えて、宗教とは人間を惑わすものであり、科学時代には必要ない、というのは全く見当違いではないかと思います。
まあ、私が何を言いたかったのかというと、人間には宗教が必要だということです。
ご意見、反論のある方はできる範囲でお答えしたいと思いますので、どうぞ。

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名前:カバラ
100年01月14日17時12分
イノセントマンに賛成 そのころの人間ってすべてに対して謙虚だっただろーねー

原始宗教って、余りにも自然が人間にとって強かったから
自然に対する恐怖を神格化して、少しでもその恐怖をなくそうとしたんじゃないかな〜

で、文明が進化していくうちに(この言葉はちとおかしいか・・・)
自然とのおりあいが、変わってきたんだろね〜
人間の方の努力で、自然をある程度変えられる
ようになっていったから、昔ほどの恐怖を覚えなくなった。
そして、新たな自分たちの敵となった、自分達とは異なる開拓者
つまりは、人間に対して恐怖していった。
だから今度は人間を神格化していったんだろね〜
神格=人間だから、謙虚さも薄らいでいったんだろうとおもう、なんせ相手は人間なんだしね

そんなかんじで、宗教って、恐怖感に形をつけて安心しようって言う、人の
緊急回避みたいな行為だとおもうな〜  
例えば,無神心な人でも幽霊っていないと思いながらももしかしたらっておもうでしょ
あれと一緒だと思うな〜
だから、今の宗教ってそんな原始宗教から脱した人達が
次の時代を生き抜くために創ったものだと思う
それ自体はぜんぜん否定しない。
でもね〜        

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名前:いのせんとまん
99年12月30日19時48分
アニミズムの時代の方が人間は謙虚だったんだろうな…


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名前:麻原だ
99年12月30日00時09分
オーム真理教。
ばんざーい

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名前:ひd
99年12月29日11時05分
本日ジョウユウ出所!!!!

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名前:てる
99年12月17日20時55分
課税すべきと思いますけど、政教分離していないから無理っぽいような気がする。
なんとか省の宗教なんとか統計によると、日本国内の各宗教における信者の合計は日本人の人口の2倍以上に上るとか。(詳しいひとフォローして)
日本人にとって宗教って一体?という感じがします。
もっとも、昔から仏教と神教(お寺と神社)が共存(棲み分け)してきた国なんですけど。
いわゆる仏教に属する宗教が日本の主流の宗教と思いますが、たいていの人(特に若い人)にとって宗教の違いって冠婚葬祭のやり方ぐらいしか意味のないものじゃないでしょうか?
イスラム教などの一神教とはずいぶん重みが違うのは確かでしょう。
でも宗教で戦争が起きるのって悲惨なことですね。


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名前:Oracion
99年12月17日03時40分
宗教って国家よりも上に位置づけられるのかな?
日本国憲法では、宗教の自由というものがあるので
宗教は国家よりも下にあると思っていますが。。。

ある番組で宗教団体にも納税を適用した方が良いと
語っていた人がいます。
自分もそれには賛成です。
政教分離している日本には無理なのかな?


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名前:ライト
99年12月17日01時05分
思うに、半強制的に金を取る宗教はおかしい。。
それ以外は、
信仰してる人が幸せな気持ちになれるのであれば、
あってもいいと思う・・

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名前:nao
99年12月16日23時02分
一番乗りだ!!
最近の日本における宗教って一体なんでしょうね・・詐欺まがいの集団という印象が
強いですね。。むかしから、仏教やキリスト教などありますが。。このような宗教と
今マスコミに騒がれている法の華などの宗教??の違いといったら。。歴史ですかね。。
宗教一つで、戦争が起こってしまうくらい世界では重要視されていますが。。
私は、自分の助けてほしいときにだけ、、神様、仏様にお願いします。。
こんな私は駄目??(笑)

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